1話 凍付き錆びる黒花の心臓
まるで――
漆黒の鎧を着る騎士のようだ。
それと同時に、闇を溶かしたドレスの貴婦人でもある。
硬さと柔らかさが、同じ輪郭を共有していた。
「えー、なにこれー。こんな煌めいている花、見たことないわよ」
ミナリーは興味津々といった様子で、黒花のまわりを飛び回った。
だが、花の中心の眼は、終始、見下すように彼女を捉えていた。
「なに、このノワ君は……」
ミナリーは、いつの間にか勝手な名前を与えていた。
友達にでもなったように、軽い調子で。
その視線を正面から見返し、文句を言うように、口を尖らせる。
その時。
ノワの茎に隠されていたのか――
それとも、今この瞬間に成長したのか。
む、む、と。
何本もの蔓が、唐突にミナリーへと伸びた。
まさか、俺への復讐か。
そんな考えが、反射的に浮かぶ。
ミナリーは一瞬で絡め取られ、
黒い茎に縛りつけられてしまった。
「待ってくれ!」
声を掛ける意味が、あるのかもわからない。
それ以上、何を言えばいいのかが出てこなかった。
「そんなに気にいったの? 仕方ないわね」
……ん?
よく見ると、縛られているというより――抱き留められている?
蔓は締めつけるわけではない。
その位置を教えているようだった。
ミナリーの全身が、細かく震える。
彼女と同じ姿をした“水”が、もうひとつ現れた。
それが地面へと落ちた。
ミナリーの水を吸い込んだノワは――
瞳を閉じた。
なんだか気持ちがよさそうだ。
「今、アセルっちは汗かいたでしょ。あたしのこと、欲しいでしょ?」
ミナリーの様子が、どこかおかしい。
「でも、あげないよ」
話し方だけじゃない。
性格まで変わったように見える。
まるで――このノワと呼ぶ黒花が、
ミナリーを通して喋っているみたいだった。
……俺が、こんなものを作り出してしまったのか?
蔓の一本が、ゆっくりと俺の方へ伸びてきた。
「あれ、お願いするわ。氷の中で出られないし、誰も来てくれない。あなたのせいなんだから、早くしてね」
足元を見ると、ミナリーが蔓で作られた椅子に腰かけている。
その口調は、彼女のものとはまったく違った。
……それだけで、思い出してしまった。
北の高い山へ、植えてきた――この子たちを。
どうやって、それを知ったのか。
連れ帰って、何が起きるのか。
聞いてみたかった。
だが、なぜかノワの視線が、痛い。
……足元からも、見られている。
俺は何も言わず、北の山へ向かった。
……間違えた場所に、植えてしまったのか。
いや。
これも、この子たちを育てる手順なら――
俺は、どこへだって行けばいい。
勇者と呼ばれていた頃から、それが俺だったはずだ。
山を登ると、強烈な吹雪が襲ってきた。
その境界を越えれば、何者も通さぬ、静かな頂上。
そこには、数百年は立ち続けてきたのだろう――
すべてが氷でできた、大木があった。
すごいな……。
氷の中で、ゆっくりと育っていたはずなのに――
今や、立派な木になっている。
しかも、目を凝らしていれば、無音の中で、なお育ち続けているのがわかる。
どれだけ、大きくなるんだ……。
近くに寄れば、すぐにわかった。
スカートのように広がった氷の根が、道の形を作っている。
その奥で、枝の腕が――
まるで“それ”を俺に渡そうとするように、差し出されていた。
そして、そこにあった。
氷でできた、虹色のハート形の実。
幹も、枝も、葉も、ダイアのように反射し輝いている。
俺はそれを、凍りつく手で掴み、懐に入れた。
虹色のアイテムは、決して失われない。
それは、俺の体へと取り込まれる。
……ちゃんと、動いている。
あたりまえだ。
俺は、勇者だからな。
やっぱり俺は、こうやって何かに突き動かされないと進めないらしい。
それが――
俺の、動力源か。
――さあ、帰って、いくらでも歯車になってやるか。
俺のためだと思っていた虹のアイテムも。
まだ、よくわからない金属のアイテムも。
育て、使うことに、意味があるようだ。
きっと俺も一緒だな。
帰り道で、じいさんのことが気に掛かった。
変わった道具を作っているとか……
考えすぎか。
――いや、そうでもなかった。
何を作っているのかは、わからない。
だが、そこには大量の歯車が落ちていた。
指でつまめるほど小さなものから、俺の背を超えるほどのものまで。
歯の数は数えきれず、中には、虫のような形をしたものまである。
「邪魔じゃ。豆粒ほどの歯車を、踏んではおらんだろうな。出来上がれば、持って行ってやるぞ」
じいさんのそれは、まるで独り言だった。
金属の壁に歯車を描く、その手つきは絵師のようで。
杖から放たれる光は、金属を切り出す匠のそれだ。
……じいさんは、魔法使いのはずだよな。
それとも、俺が知らなかっただけか。
魔法というものを。
こうなると、俺にできることは、できるところまでやるしかない。
氷の実を、届けに行ってみる。
トリスが、何やら走り回っている。
その頭にはミナリーが乗っていて、一見、楽しそうに見えた。
「トリス、平気なのか?」
俺が声を掛けた途端、二人の動きが、ぴたりと止まった。
「随分、早かったじゃないか」
その言い方は、ミナリーのものではなかった。
彼女はトリスの髪に絡みつくように身を預けている。
トリスの瞳は、何を見ればいいのか分からないまま、行き場を失って泳いでいた。
……何かの冗談、なのか。
俺はそれに答えず、ノワの前へと立つ。
葉も、茎も、所々が赤く染まっていた。
まさか。
恥ずかしがっている、わけじゃないよな。
瞳が、ずっと俺を離さない。
釘を打たれたみたいに、視線だけが胸に残る。
蔓が伸び、
抵抗する間もなく、俺の手を引き寄せた。
葉に触れ、指で擦る。
赤は、血じゃない。
錆だ。
乾いた音を立てて、ぽろぽろと崩れ落ちる。
どうすることも出来ない俺は――
氷の実を、ノワに渡した。
……渡してしまった。
蔓が、飢えた蛇のように実に食いつく。
瞬間、ピン、ピキンと高い音が響いた。
凍りついたのではない。
漆黒だった茎と葉が、虹氷の透明度を取り込み、溶け合っていく。
錆びついていた赤色が――
鮮やかな青銀色へと、塗り替えられた。
凍てつく冷気の中で、ノワの“眼”が、 恍惚としたように細められた。




