3話 ピラミッドで眠る者達
西の争いに関する情報は、すでに幾重ものふるいにかけられていた。
検閲、改竄、黙殺。
届く頃には、事実は別の形をしている。
だからエレンスとデルタは、正面から西へ向かわなかった。
壁があるなら、回り込む。
そんなものだ。
南へ――誰も気に留めなくなった道を選んだ。
フェドル王国は、もはや冒険者が自由を謳歌する国ではない。
剣を携える者は好きに歩けず、魔法を学ぶ者は勇者教に入信しなければならない。
今はただ、秩序という名の聖歌が国を覆っている。
そこで何かを知りたければ――
誰かに聞くのでも、記録を読むのでもなく、自分の目で見るしかなかった。
「適当な国に、亡命でもしてみるか?」
冗談だけが取り柄のデルタが、馬を並べながら言った。
その顔は、珍しくふざけていなかった。
「お前も、まだ自由でいたいだろ?」
「……お前は、昔から変わらなくていい。この時代じゃ、得難い」
「おい、それ馬鹿にしてるだろ。どうせ向こうにつけば、気は変わる。分かりきってるさ」
「……あの山を越えたあたりからだ。どの国の索敵兵に遭っても、おかしくない」
「俺たち二人が通る隙間はあるさ。ついでに、どこの国が押さえてるか見て回ってもいい」
デルタはそう言ったが、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
争いの音がない。
血や火の匂いも、風に乗ってこない。
小高い丘の向こうに戦場があるはずだった。
そう読んでいた。
それでも――何もない。
その静けさが、かえって彼の勘を揺らしていた。
そのまま日が落ちる頃、二人は丘の高みに立っていた。
そこには、どこの国の兵影もない。
「……静かすぎる」
予想より、戦場はもっと北か。
そう思いかけて、デルタは視線を凝らした。
平原の所々に、奇妙なものがいくつも点在していた。
一つひとつが、異様に大きい。
四角錐の形をしている。
ぱっと見は、巨大なテントにも見えた。
だが――
月明かりを受けたそれは、表面が硬く光った。
布ではない。
あれは間違いなく金属の反射だった。
「おい……これほど、おかしい戦場は見たことがない」
デルタは固唾を飲み、確認するようにエレンスを見た。
――お前も、同じだろう?
「どうせ、近くまで見に行くんだろ」
エレンスも興奮したのか、続けるように答える。
「馬はここに置いていくぞ」
その迷いのなさに、デルタの口元がわずかに緩んだ。
「やっぱりな」
嬉しさを隠しきれないまま、デルタは斜面を駆け下りる。
夜気を切り裂くように、二人は疾走した。
デルタは、気配を探りながらも、近づいた。
改めて触って、それが金属製だということを確かめた。
「……迂闊に触らん方がいいんじゃないか」
警戒し低く、抑えた声。
「何があるか、分からんぞ」
そう言いながらも、
エレンスの脳裏には、ひとつの記憶が浮かんでいた。
――似ている。
あの金属だ。
若い冒険者。
確か、名前はアセル。
彼の寝床であろうあのテントと質感が、どこか同じ匂いがする。
「入り口を探してみよう。どこかにあるはずだ」
「ああ……気をつけろよ」
デルタは一歩下がり、丘の陰と平原の両方を視界に入れる。
耳を澄ませ、風以外の音がないかを探っていた。
その間に、エレンスは金属でできた“テント”の外周を、静かに回り始める。
継ぎ目、歪み、接合部。
布ならありえない場所を、順に見ていく。
「……見ろ、これだ」
低く呼びかける声。
デルタが近づくと、エレンスはある一点を指していた。
金属の壁に、四角く切り取られた部分があった。
そこにはガラスがはめ込まれている。
「窓か」
「みたいだな」
二人は並んで、ガラス越しに中を覗いた。
天井から、弱い光が落ちている。
最初は、何があるのか分からなかった。
床だと思っていたものが、微かに起伏している。
――違う。
そこには、隙間なく横たえられた“者”たちがいた。
整列でもなく、乱雑でもない。
ただ、詰められている。
「なんだよこれは! まさか、死んでいるのか?」
目を離せないまま、確かめるようにエレンスの肩を叩く。
叩いた指先が、わずかに震えていた。
エレンスは答えなかった。
代わりに、デルタにも聞こえる唾を飲み込んだ。
呼吸の跡は見えない。
だが、腐臭もない。
「……死体じゃない」
エレンスは、そう言い切った。
こんな死体があるはずがない。
常識を総動員して、無理やり結論を引きずり出す。
「少なくとも戦場で……こんなふうに“綺麗”には、できないだろう」
「じゃあ、何だって言うんだよ……」
デルタの声は、問いというより確認だった。
エレンスは、もう一度だけ中を見た。
整えられた体。
乱れのない並び。
「……だから……」
一拍、置いて。
「寝てるんだろ」
二人の間に、乾いた笑いがこみ上げた。
可笑しいからではない。
そうでもしないと、立っていられなかっただけだ。
「……中に入ろう」
「どうやって?」
「その辺りに、取っ手の一つもあるだろ。探そう」
そう言った、その瞬間だった。
デルタが、無意識にガラス窓へ手を置いた。
ただ、触れただけだ。
その部分だけが、静かに光った。
「……おい」
声に驚いて、デルタは反射的に手を離す。
光は、それ以上広がることもなく、消えていった。
二人は、何も言わずに顔を見合わせた。
そしてデルタは、もう一度ガラス窓に手を置いた。
よく見ると、光は一点ではなかった。
触れた場所から、細い線となって、下へと伸びている。
デルタは、なぞるように、ゆっくりと手を下げてみた。
光の線が、それに応じて動く。
一本だったものが、途中で枝分かれし、横へ、下へと増えていく。
まるで、金属の内側を流れる回路を、なぞっているかのようだった。
「……扉か?」
デルタが、低く呟く。
二人とも、最初はそう思った。
触れれば形を変える、よくある魔法装置。
光の線が集まって、やがて扉になるのだと。
だが――
違った。
考えてみれば、もし“彼ら”が、ここから外へ飛び出てくるつもりなのだとしたら――
”扉”程度で済むはずがない。
大門だ。
倉庫ほどか、あるいは城門だ。
まさに、四角錐の一面が、めくり上がる。
大した音がしているわけでもない。
巨大な金属の塊が、まるで濡れた紙のように音もなく捲れ上がった。
でも、それにつられて心臓だけが、やけに大きく鳴っていた。
……失敗だ。
エレンスもデルタも。
すでに軽いパニックに足を踏み入れていた。
――だが。
何も、起きない。
開かれているはずの“門”の内側から、
動くものも、音も、変化もない。
「おい……やっぱり、死んで――」
……その時だった。
二人の背後から、戦場には不自然なほどの声がした。
可愛らしい、少女の声だ。
「おじさんたち、寝てるんだから。起こしちゃダメだよ」
エレンスとデルタは、また視線を重ねた。
そして、同時に――
声のした方へと振り返った。




