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なぜ、最強の勇者は無一文で山に消えたのか? ──世界に忘れられ、ひび割れた心のまま始めたダークスローライフ。 そして、虹の種は静かに育ち始める。ゆっくり、最悪へと。  作者: イニシ原
六章 魔法は狭間から見る

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2話 隔離される無音の物に

「ふう、勇者くんよ。これが、わしの本当の姿じゃ」

 じいさんは、ニコリと笑って俺を見た。

「それに――君と冒険を始めた頃のわしは、こんなものだったろう。旅に出てすぐ、薄汚れた灰色になってしまったが……覚えておらんか?」


 ああ……紫檀で作られた杖の香りが懐かしい。

「思い出したよ、じいさんとはカルドで出会って、そのまま南の湖沼へ向かった。それでみんなびしゃびしゃになって……ですよね」


「まあ、そんなことはいい。どうして、わしを起こしたんじゃ?」


「それは……じいさんを起こそうと思ったわけじゃ……」

 本人を前にすると、言いづらいこともあるものだ。

「四つ葉の姫をですね……」


「つまり、これじゃろ?」


 じいさんの杖に、視線が吸い寄せられた。

 それは装飾ではなかった。

 紫檀によく似た色をした――四つ葉の姫が、そこにいた。


「その子は……」


「おぬしは……一体、どうしたんじゃ?」

 じいさんは、哀れむような視線を俺に向けた。

「それらは、もう何の役にも立たん道具のはずじゃ。それとも、付呪でもして遊んでおるのか? ……いや。今だに見かけ通りの中身では、あるまいな。いい年じゃろうに」


「いや、それは……」

 頑固なじいさんに、今さら言っても仕方ない。

 どういうわけかこの最近、昔の仲間たちと出会うことが多い。

 ……面倒なことだ。


 でも、じいさんも思うところがあるのだろう。

 それ以上、俺を責めることはなかった。


「遊ぶなら、ちゃんとした魔法使いにやってもらわんとな」

 じいさんは、優しく言ってくれた。


 遊びのつもりなど、俺にはなかったんだが――

 だが何も知らずに育ててきたのも本当のこと。

 植物というより、魔法の道具。

 そう考えるべきだったのかもしれない。


 今となっては――

 それを教えてくれる相手は、目の前にいるじいさんだ。

「そこでなんだけど……」


 ――もっと最初は、簡単なことから聞けばよかったのか。


「なあ、じいさん。なんで《世界を裏返すやつ》を、あんなに唱えたんだ?」

 たわいもない調子で、聞いたつもりだった。


 じいさんは、最初こそ冗談だと思ったらしい。

 だが、それもほんの数秒。


「……そんな馬鹿な」

 声色が、はっきり変わった。

 じいさんは慌ただしく動き出し、さっきまで自分が眠っていた箱の周りをぐるぐると回る。

 ぶつくさ呟きながら、蹴り、ひっくり返し、確かめるように叩いた。

「ありえん……ありえんはずじゃ……」


 ……すまん、じいさん。

 俺が悪いことしてしまったのだろう。

 魔法とは――

 俺の知らない理で動くものだとは、わかっていたのだが……。


 じいさんは、いつまでも独り言を続けているように見えた。

 だが――違う。

 それは呟きではない。


 呪文だ。


 魔力の流れで、俺にもそれだけは分かる。

 空気が、ゆっくりと折り畳まれていく感覚。

 ただし、どんな魔法なのかまでは読み取れない。


 そのとき、懐の中で姫が騒ぎ出した。

 どうして!?そう思った瞬間には、もう遅かった。

 姫は俺のもとを離れ、光の筋となって、じいさんの手へと吸い寄せられていった。


 ……まさか!俺の手から勝手に行くなんて――

 誰に向けたものかも分からない。

 だが、確かにそこには、怒りがあった。

 殺意と呼んでもいいほど、澄んだ感情が。


 ……その時だ。


「なんだ、これは!」

 じいさんが、今まで聞いたこともない怒声を放った。

 声だけじゃない。

 空気ごと、叩きつけるような響きだった。


 彼の目は、真剣そのものだった。

 いや――真剣ですら足りない。

 理解してしまった者だけが見せる、あの目だ。


 じいさんは、四つ葉姫の入った檻を、

 まるで刃でなぞるように、視線で追っていた。


 一通り確かめ終えたのか、

 じいさんは、今度は俺を睨みつけてきた。


「わしのことを生き返しおって――

 それで、何をするつもりなのじゃ?」


 ……何を?

 俺は、何を……。


 じいさんが、ただ手を開いただけで、“姫”は俺のもとへ戻ってきた。

「……」


「かなり禍々しい魔法じゃぞ。呪いと言っても、差し支えない」


 じいさんの言葉が、すぐには信じられなかった。

 ――いや。

 信じたくなかったのだと思う。

 でもすぐ、それを否定しきれない自分に、気づいてしまった。


「解放するんじゃ。まだ今の勇者くんなら、耐えられるだろう。……たぶんな」


 ああ、そういうことか……。

 この子を、檻に入れたのは俺だ。

 守るつもりだったのか?

 離れないように、失わないように――

 そう言い訳だ。


 そんなに、恨まれていたなんて……。


 檻を、ほんの少し……。

 千切っただけだった。


 ――パンッ。


 軽い音で、何かが弾けた。


 赤土が、体中に飛び散る。

 そして、その赤は――

 拭う間もなく、すっと肌に染み込んできた。


 体の芯まで届く。

 痛みと、苦しみを抱えたまま。


 息が、できない。

 何も、考えられない。


 ただ――

 いつの間にか。


 ……あやまることができた。

 ……ごめん。


 気がつけば、意識が深く、沈んでいった。




 俺は――

 何に、あやまったんだろう。


 “姫”は、何も言ってこなかった。

 責められると思っていた。

 罵られても、拒まれても、当然だ。


 ……それは、なかった。

 ……じいさんの言う通り、道具だからなのか?


 言葉がないことが、こんなにも空しいとは思わなかった。

 怒りよりも、涙よりも、ずっと。


 でも――

 それでよかったのかもしれない。

 感情が、すっかり抜け落ちていた。


 悲しみも、後悔も、恐れもない。

 ただ、妙に澄んでいて――

 さっぱりしていた。

 まるで、薄荷スライムが、俺の頬の内側で静かに弾けたような感覚だった。


「じいさん、すまない」


 俺の意識が戻るまで、そばで見ていてくれたらしい。

 向けられた瞳は、驚くほど優しかった。


「わしは、生き返らされるなどとは、思ってもみなかった」

 じいさんは静かに言う。

「それに、《世界を裏返すやつ》もどこまで及んでいるのかわからん……。もしレインボーアイテム(虹の種)の仕業だというなら、残りの寿命を使ってでも、調べてみる価値はあるじゃろう」


「……俺のために、か?」


「勇者くんのための役目は、もう終わっておる」

 じいさんは小さく笑った。

「これは、わし自身のためじゃよ」


 じいさんは、家の周りをゆっくりと歩き回り、隅々まで目を配っていた。

「……こんなものまで、使っておるせいかの」

 そう呟いて、杖の石突きで、俺の家の壁を軽く叩く。


 カン、カン、と乾いた音が響いた。


「魔王が、好んで使っていた金属じゃな」

 じいさんは、疑うように目を細める。

「わしも、ただの便利な素材だと思っておったが……もしこれにも、意思があるというなら、話は厄介じゃ」


 そんなことを言ったきり、じいさんは、もう俺のことなど構っていなかった。

 家のあちこちを杖で叩いては、「ほー」と、妙に感心した声を漏らす。

 かと思えば、戸口から顔を出し、隣の山――

 “碧翠のミナリア”へ視線を向けて、「おやおや……」今度は、楽しげにそう呟いた。

 困っている様子でもない。

 むしろ、久しぶりの散歩でもしているかのようだ。


 俺は今なら、自分が何をしてきたのかを、少しだけ振り返れそうだった。

 道なき道を、地図も持たず、目的地も決めずに――

 ただ、走り続けていた気分だ。


 速く走ることだけは得意だった。

 止まる理由を、知らなかっただけで。


 でも、じいさんが戻ってきたことで、世界は急に、立ち止まる余地をくれた。

 この種も……。

 最初から育ててみようか。

 ……そんなことが出来れば、だが。

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