2話 白溶岩を喰らうツタ
ああ、こんなにも体が震えて、勝手に踊り出しそうなくらい気分がいいなんて――
あの時、魔物に催眠術をかけられた時以来じゃないだろうか。
家に戻って、藁の上にそのまま寝転んだ。
視線の先には、金属の檻の中にいる “この子《姫》”。
ただ眺めているだけでよかった。
姫から力があふれている――そう思っていた。
だが震えていたのは、俺じゃなかった。
山だ。
地面そのものが、ゆっくりうねるように揺れていた。
檻の隙間から、姫にも日光を浴びさせようとしたので外へ出た。
空には、今日も小さな一人ぼっちの雲が浮かんでいるだけだった。
あの嵐の日以来、まとまった雲を見ていない。
かといって雨が降らないわけでもなく。
今では俺の水やりのような――
天気雨だけが、パシャっと落ちてくるのだ。
「あの天まで伸びた子はどうしたのか……」
どの方角の空にも見当たらなかったので、気にはなっていた。
そのまま何処かへ飛んで行ってしまったのだろうか。
空の向こうが見えないものかと――
ずっと眺めていた。
「あ、アセルさんいたんですか!? 戦士さんの意識が回復したんですよ。何か食べてもらおうと思って見にきたんです」
トリスの声は相変わらず明るい。
「そうか、トリス。ありがとう。他には何か変わったことは?」
「他にも……と言われても――あっ、そうだ!」
トリスは自分の足元を見て、少しだけ不安そうに眉を寄せた。
「地震、ありませんでした? 最初は温泉が湧く前みたいな揺れかと思ったんですけど……なんだか違うんですよ。洞窟が共鳴すると言うか……」
彼の言葉に、さっき感じた山の脈動が頭の奥で重なる。
――やっぱり、地震か。
何かが目覚めるとなると、やっかいだ。
この山はただでさえ生き物みたいなのに、さらに目を覚ますつもりか。
……それか、本当に火山が動き出しているのか。
あれだけは勘弁してほしい。
せっかく馴染んできた“いい土地”を、炎で壊されたら困る。
戦士さんの様子を見つつ、調べて見るか。
「なあ、トリス。ここにいた子は、どうして消えたんだ? 変わったこととは思わなかったのか」
中腹の洞窟一面を覆っていたはずのツタが、跡形もない。
俺から見れば大事どころではなく、“緊急事態”だ。
「そう言えば、消えたっていうより……洞窟の奥へ行ったんだと思います」
トリスはさらりと言い残すと、それより戦士さんに食べさせるほうが大事らしい。
一人で松明を掲げて奥へ入っていった。
……奥へ、か。
壁に手を当てるだけで、はっきりわかる。
揺れている。絶えず、脈打つように。
――この山が震源だ。
地面が暴れているんじゃない。
山そのものが、息をしているような震えだ。
嫌な予感しかしない。
“あの姫”が奥へ行った理由も、これで半分わかった気がした。
戦士さんは目を覚ましてはいたが、まだ横になったままだった。
俺の顔を見るなり、枯れた声で怒鳴る。
「なに勝手に……死なせておけって……ごほっ、がはっ――」
言い終わる前にひどく咳き込み、胸を押さえた。
「まあ、落ち着けよ。お前みたいな図体じゃ、そう簡単にくたばらないさ。それに死なれたら後始末が面倒だ。ほら、トリスの飯は美味いんだ。食って力つけてろ」
トリスは隣で黙々と鍋をかき混ぜている。
戦士さんに向かうと、「あったまりますよ」と言って器を用意し始めていた。
「ちょっと調べてくる」
そう告げて、俺は洞窟の奥へと足を向けた。
揺れの正体――
まだ見たことのない、ここの姫を探しに。
そして、ツタが消えた理由を確かめるために。
少し入り組んでいるが、記憶を頼りに進んでいく。
そして――すぐわかった。
ここは俺の知っている場所じゃない。
“最近になって押し広げられた”みたいに、見覚えのない空間がぽっかり口を開けていた。
足元から熱気がぶわっと吹き上がってきた。
この俺でも思わず顔をそむけるほどだ。
――あの、息ひとつで石化させてくる牛。
あいつの体温に近い。
気合を入れて腕で顔をかばい、さらに奥へ踏み込む。
岩肌に絡むツタ――いや、もはや血管だ。
溶岩でも流れているんじゃないかと思うほど、赤い光がどくどく脈を打っている。
一歩進むごとに、その脈が強くなる。
その“生きた壁”は、これ以上先へ行くな――
そう告げているようだった。
――地震だ!
いや、俺は何かに食べられてしまったのか?
その揺れに合わせるように奥から――
白い灼熱の溶岩が押し寄せてきた。
何も考えられなかった。
ただ本能だけが「走れ」と叫んでいた。
俺は無我夢中でトリスたちの場所へ駆け戻った。
「噴……火だ……!」
言葉になっていたかどうかも曖昧だ。
この山が、ほとんど予兆もなく吼えるなんて。
嫌な汗が背中を伝う。
とにかく――全員で脱出しなければならなかった。
トリスに手伝ってもらい、戦士さんを背負う。
俺にとっては軽いものだが、なるべく慎重に運んだ。
「アセルさん! 後ろ! 溶岩が、来てる、来てるってば!」
トリスが半泣きの声で、後ろから迫る光景を実況し続ける。
俺たちは洞窟を飛び出し、そのまま山肌を駆け下りた。
だが――
「うそ……こっちも!?」
トリスの叫び。
山肌の、まったく予期していなかった地点が、破裂するように弾けた。
地の底から吹き上がる溶岩が、白く輝きながら唸りをあげる。
――雷だ。
大地の雷が、液体になって暴れ狂っている。
それはただ流れるだけでなく、襲いかかるように枝分かれし、
まるで意思をもって俺たちの周囲を取り囲んでいった。
「囲まれた……!?」
肌が焼ける。
視界が白む。
山そのものが怒り狂っているようだった。
……。
灼熱の白光が揺らぎ、見る間に鮮やかな青緑へ変わっていく。
それは溶岩ではなく、光を帯びたツタだった。
うねりながら伸び広がり、噴き上がる熱を飲み込む。
山全体を包むように広がっていく。
「……ツタ、なのか?」
熱はすっと引き、代わりに湿った風が吹いた。
あの“子ども”の気配が、確かにそこにあった。




