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なぜ、最強の勇者は無一文で山に消えたのか? ──世界に忘れられ、ひび割れた心のまま始めたダークスローライフ。 そして、虹の種は静かに育ち始める。ゆっくり、最悪へと。  作者: イニシ原
三章 境界のどちらが先に揺れたのか

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4話 旅だつ虹の双葉

「あの滝が見えるだろ? あの近くなら、色とりどりの草花が一番多く咲いてるよ」


「もしかして――温泉、好きだったりするか? いいところがあるんだ」


「まさか氷の中は嫌だよな? ……まぁ、取りあえず行ってみようか」


虹の双葉と一緒に山を登る。

背中には、植え替えたばかりのバケツ。

揺れるたび、中の双葉が小さく震える。


――語り合うというより、

独り言に、あいつが相づちを返してくれているような気がした。


今日は天気もいいし、滝に行ってみよう。

滝霧には、この子に似た虹がよく出るし、きっと気に入る。

――それに、仲間たちがどうなったのかも、少し気になっていた。


「キュ、キュ」


滝に着くと気持ちがいい。

その時、背中から小さな音がした。

……まさか、これがこの子の声なのか?

霧で濡れたせいで、葉が鳴っただけだと思う。


それより、気になったことがある。

ここには、たくさんの種を植えたはずなのに――

ぽつんと、ひとつだけ。

この子と同じ、虹の双葉が揺れていた。


もちろん、鳥に食べられたのかもしれない。

雨で流れ、風で飛ばされたのかも。


だけど――この子のように窮屈でいなくてよかった。

ここに残ったひとつは、この子より大きく、のびのびと葉を広げていた。

まわりの花たちと並んで、穏やかにすごしているようだった。


「……よかったな。窮屈じゃなくて」

そう思うと、バケツの中のこの子も、なんだか喜んだ気がした。


日が暮れるまで、この子を置いておいた。

ほんの短い時間だったけれど、この場所がわかってくれただろうか。


夕焼けが山の輪郭に隠れていく。

背負いなおすと、オレンジ色の水滴が飛び散った。


「さあ、帰ろう」

二人で家路についた。




次の日は、少し遠くまで足をのばして温泉へ向かった。

湯の香りが近づいてくる。


「ぴ、ぴぃ」


昨日と同じ、小さな鳴き声が背後からした。

気のせいなのかとも思ったけれど、どちらももう関係ない。


「……ああ、ごめん。熱かったか?」


湯けむりが暗がりの中で立ちのぼる。

サラマンダーの息のようだが、あれほど熱くはないか。

それでも、この子を抱きかかえ直して、よく見ていた。


……ぽとり。


え?


自分の目も耳も疑った。

そんな馬鹿な――そう思った瞬間、


――ぽとり。


双葉の“葉”が、左右どちらも落ちた。


「お、おい……?」

どうしたものかと、この子に手を伸ばそうとした。

闇の中でもはっきりわかるほどの虹色の光がぱあっとあふれた。


落ちた葉が、ふわりと浮かび上がる。

くる、くる、と小さく回転しながら動いていく。

温泉の岩場に開いた蒸気の隙間へ、導かれるように吸いこまれていった。

そして光は落ち着いた。


ただ、呆然と立ち尽くした。


「……ここが、気に入ったんだね」

絞り出したその声だけで、本当によかったと思った。


家に戻ろうと背を向けたその瞬間――

ぱっと、虹色の光が一度だけ瞬いた。


「うん」と言う返事かな。


振り返らないまま歩き出す。

葉がなくなった、幹だけになったバケツを抱えながら。

また、葉が生まれてくるかと思って。




……はぁ。

やっぱり、この土地を気に入ったんだろう。

あの子は――俺と同じように。


葉が落ちたのを見たときは焦った。

でも、虹色の光を見た瞬間、「ああ、もう大丈夫なんだ」とわかった。

自分で選んだんだ。

自分の居場所を。


どこかへ連れていくばかりだった俺の手。

そっと離してくれた。

嬉しいような、ちょっと寂しいような、なんとも言えない気分だ。


こうやって、帰り道に歩いているだけで。

幸せな気分になってくる。


次の子は、どこがいだろう。

あの小さな魔物が群れをなしていた高原。

氷の巨人が住んでいた宮殿――まだあればいいのだが。

それらが、泉みたいに尽きずに湧いてくる。


もっと南で暮らそうなんて思っていたけれど、もういい。

ここで、この山ごと守っていこう。


……そうだな。

この子たちを傷つけるものは、皆――

……魔物と同じなんじゃないか?




爽やかに家へ戻り、畑の前に立つ。

幹だけになっても、この子は、ちゃんと虹色をまとっている。


今はたぶん、目では見られていない、この子。

だけど、俺のことを感じてくれている。

「……ここが、一番いい場所だな」

同じ畑でも、みんなとは離れているところ。

そして、陽当たりの良いところに植え替えた。


――次はどの子にしようか?


また、もつれた根っこをほどかないといけない。

「……これが、大変だったよな」

ため息をつきながら、土をふるい分け、指の腹でそっと根を探る。

しかし今回は――あの子が嘘だったように。


すっ、とほぐれた。


まるで、”次は私よ”と、言っているようで。

細い目のこの子に決めた。


さて、どこに連れて行こう。

そうだ、まだ足を運んでいない南の湖沼――

光が差し込む浅瀬も、底知れぬ深みのある。

歩きにくくて、俺でもたどり着くのに苦労した場所。


でも、見て欲しいんだ。

君に。

この世でいちばん綺麗な、水中に咲く花を。




むせ返るような、濃く重たい“息”――

そんな霧が、湖沼一帯にゆっくりと満ちている。


地面に沈んだ白骨は、誰のものともわからない。

色という色を抜き去られ、ただ“残骸”だけがそこにあった。


「……そうか、思い出した」


ここで――

魔王城の鍵を見つけたのだった。


移ろい続ける湖沼を追いまわし、深い泥に足を取られながら。

当時は必死で、ただ敵だと思い込んでいたあの魔物――

今になれば、哀れなやつだったと思う。


……待て。

この道――あの時と同じだ。

そう確信した理由は、説明できない。

ただ、足下に流れて来る水の感触だけが、まったく一緒に思う。


増える水嵩の中で――あの時は、どうした?


魔法使いのじいさん――あの人が皆を救ってくれた。

水そのものが生きているみたいで、抵抗すら許されなかったのに……。


今の水の流れも、あの時と同じだ。

こちらを“どこかへ”運ぼうとしている。

いや、呼んでいるのか。


水の勢いが強くなる。

この子を守るのは、もう難しかった。

気づいたときには、バケツも土も散らかってどこかへ消えていた。


「……待ってくれ」

水に流されながら、手をつなぐように茎へ指を伸ばす。

けれど、ゆらりと揺れるその細い命は、すくおうとした指のすき間を――

そっと、すり抜けていった。

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