4話 邪魔なもの達
家の近くで蒔いた場所を、ひとつずつ見て回った。
どの土の上でも、小さな虹の芽がそっと顔をのぞかせている。
まるで、眠りから起こし合ったみたいだ。
誰かが「もういいよ」と合図をしたかのように、同じ朝を選んだらしい。
「……雪山のてっぺんでも、こうなるのか?」
体中がひんやりした。
からだの中で霜柱が立ったみたいだ。
それでも妙な熱が足をつついてくる。
遠くに蒔いた場所も、確かめに行くか。
北の雪山の麓あたりから、ずっと誰かにつけられている気配があった。
森では相手の姿は木々の影に紛れて見えない。
足跡を追って来た……のか?
けれど俺には、落ち葉が一枚ずつ踏まれる音が聞こえる。
向こうは、自分の音が世界に溶けているつもりらしい。
三人分の足音がする。
さっきの奴らが、俺のことを見つけたのか?
「……ま、途中で諦めるだろう」
それ以上、考えるのも面倒で、歩みだけを進めた。
まばらに生えた髭のような木々が、山肌に密集している。
途中から、それは雪で白髪になった。
今日みたいに登りやすい日は、そう多くない。
吐く息が白く見えるほどには冷えているのに、風はやけに穏やかだ。
頂上の雪の中に蒔いた種。
――芽が出ていたとしても、雪に埋もれて気付けないと思っていた。
それなのに。
雪の下から、薄い虹色の光がゆっくりと透けてくる。
氷の膜を押し上げるように、虹の芽が小さく顔を出していた。
「……この虹の種は、この世界で使われるはずだったもの、なのかもしれないな」
それを確認できただけでも、とてもよかった。
帰り道。
ここはまだ、木々すら生えないほどの高所だ。
雪に埋もれた岩があちこちに潜み、足を踏み外せば谷底まで転げ落ちる。
その白い斜面の途中に、色の混ざった影が見えた。
調査隊の三人だ。
ミルルと名乗っていた女は膝を抱えて座り込んでいる。
若い男は足首を押さえてうずくまり、中年の男は顔色を失って空を睨んでいた。
「……動けないのか?」
俺が声をかけると、ミルルがびくりと肩を揺らした。
「ち、違うわよ……! ちょっと、足をひねっただけだし……」
ミルルは指先を震わせながら、色の変わった足へ魔法の光を当てている。
だが、治癒の光が雪に吸われていく。
凍傷になりかけた皮膚は、なかなか色を戻さない。
低い気温が、魔法そのものを凍りつかせている。
若い男は歯を食いしばりながら言った。
「お、おかしいんですよ……この辺り……急に冷気が強くて……」
紫色になった指先を、隠すように握りしめている。
身体は震えているのに、なぜか俺のことだけは、じっと睨むように見てきた。
その目だけが、寒さに負けていなかった。
「コドート! 余計な体力を使うな。死なれたら困るんだ、こっちは……」
中年の男だけは、かろうじて防寒をしていた。
どう見てもこの若者たちの護衛だが、二人同時に運べる体力は残っていないようだった。
「……助けてもらえないか……?」
中年の男は、腰を落とし、頭を深く垂れていた。
罠だとしても仕方ない、と自分に言い聞かせているようだった。
俺がゆっくり口を開いた瞬間、風がぴたりと止まった。
「山に来るな。――二度と」
ただの言葉なのに、ふもとまで届く呪いのように響いた。
ミルルでさえ、エレンスが敵わない相手だと悟り、顔から血の気が引いた。
コドートは何も考えられず、雪の上で尻もちをついた。
空気が凍える。
しかし、エレンスのこめかみだけが、不気味に汗で濡れていた。
「そ、そんなことでいいのか……? 俺、エレンスと……そこのコドート、それにミルル嬢…… この三人だけの約束だぞ? 他の連中までは……責任が持てん」
「元からそのつもりだよ」
その言葉に、エレンスがほっと息を漏らす。
だがその安堵は、ほんの一瞬だった。
それは、いつもはマルチツールとして使っていた――
だが今は、伝説の剣として、ゆっくりと抜いた。
半分しか残っていないはずの刀身に、
周囲の冷気が吸い寄せられるように集まっていく。
白い息が逆流するみたいに、刃の欠けた先へと引きこまれていき――
まるで、折れた切っ先が“そこにある”ように見えた。
この山は、深く掘ると蒸気が出る。
昔、戦士が「必殺!」と叫び、山肌をまとめて吹き飛ばしたことがあった。
そのせいで見えた内部は、硬い金属のような何かが見えた。
それは、鱗にも見えなくはなかったが、気にも留めなかった。
定期的に噴き出す蒸気には、みんな助けられたからだ。
「ちょっと……熱すぎるわよ!」
出てきた蒸気にミルルが文句を言ったが、俺はちらりと見るだけで無視した。
蒸気はまるで意思を持つように三人を包み込んだ。
魔法の光がその中で、ふっと脈打つように強く輝く。
凍傷になりかけていた皮膚が、ゆっくり元の色に戻っていった。
「回復できれば、あとは平気だろ」
そう言い残して歩き出そうとする。
「ま、待ってくれ。君は……」
エレンスが何かを言いかけ、“まだ冒険者か?”と続くはずだった。
だが――
俺の顔を見た瞬間、言葉が凍りついた。
エレンスは口を開いたまま、
まるで氷に封じられた魚みたいに動けなくなっていた。
「……約束」
それだけ言うと、俺は雪ウサギのように雪の上を跳ねながら、斜面を駆け下りた。
「……助けてどうする」
雪を踏むたび、独り言が白く散っていく。
興味本位で勝手に追いかけてきた、あんな奴ら。
……約束をしたところで、どうせ似たようなのがまた来る。
俺の前で困らないでくれ。
目の前で凍えたり、倒れたりするな。
「助けないといけないのが……鬱陶しいんだよ」
吐き捨てた声は、風より冷たかった。
***
「エレンス。な、何なんだ、あいつは? 着ているのは古着みたいだし、汚いのに。まさか魔法を使ったっていう、訳じゃないよな……」
コトードは、凍傷を治してもらった手をぶんぶん振り回す。
口からは出るのは白い息と、地面から立つ蒸気のように文句だった。
「うるさいわよ。あんたは何も出来ないんだから、黙っていなさいよ。私たちも一気に下らないと、また凍傷になるんだから急ぎなさい」
ミルルは、この危機の中で冷静に動くエレンスを流石だと思った。
だがそれ以上に、若者に対して最初からの及び腰には、どうしても納得がいかない。
「お父さまが強いと言うから、年取ったあなたを雇ってあげたのに、どうして?」
「ミルル嬢、申し訳ない。たぶん、あいつは……冒険者だ」
コトードとミルルの間に、重く冷たい空気が落ちる。
言葉の後ろに隠れた、ただならぬ存在感に、二人は言葉を失った。




