罪人探しの始まり
二人は仙霞の知らない話をしているので、内容はさっぱり分からない。
けれど、どうやら後宮で蠱毒によって妃が呪殺されたらしい──そのくらいは流れから察せられた。
なるほど、だから皇子は蠱婆を訪ねてきたのか。
理由が分かった時点で、仙霞の興味はぷつりと切れる。
知的好奇心は人一倍強いが、大筋を把握するとすぐ興味をなくすのが彼女の性分だった。
(ところで私、案内役はもう済んだのだから退室すべきじゃない?)
なぜか当然のように楊胤の隣に座っているが、考えてみれば出て行くのが筋である。
(……まあ、いいか)
あくびをかみ殺しながら座っていると、突然話の中に自分の名が出てきた。
「ただ、罪人探しを手伝うのはわれではなく仙霞じゃ」
「え、私?」
罪人探しって何だ。途中からまともに聞いていなかったので、さっぱり分からない。
だが、「罪人」ということは、あの後宮妃を呪殺した犯人のことだろう、たぶん。
「そうだ、われは足が悪い。今さらここを出て後宮内を歩くのは骨が折れる。よって、手助けするのは仙霞の役目じゃ」
華蠱宮を出て後宮で罪人探しを手伝えというのか。
絶対に嫌だ。なぜ私がそんなことを。
身分上、「嫌です」とは言えるはずもなく、軽く首を振って拒絶の意思を示す。
もし咎められたら、『首のコリをほぐしておりました』とでも言おう。
「陀宝林は蠱術が使えるのか?」
楊胤が訝しげに問うた。もっともな疑問だ。こんな小娘に何ができるのかとでも言いたげだろう。
――そうです、私には何もできません、と答えたい。
「蠱術を使う必要はない。罪人を見つけ出せばよいのだ。仙霞は蠱毒の知識も十分にあるし、頭も切れる。良い補佐となるじゃろう」
蠱婆はめずらしく仙霞を褒めた。
本当は「そんなことありません」と否定したい。だが残念ながら事実である。
知識もあるし、頭の回転に自信もある。だからこそ反論ができない。
仕方なく、蠱婆が考え直してくれる切り札を探す。
「ま、待って蠱婆。私が手伝いに行ったら、誰が蠱婆の面倒を見るの?」
「食事を置いてくれさえすれば、あとは自分でできる。後宮内を歩く方がよほど大変だ」
……たしかに。
仙霞がいない不便さよりも、自分の足で歩くほうがよほど大変に決まっている。
「わざわざ後宮を歩き回らずとも、私が華蠱宮に通えばいいのではないか?」
楊胤の言葉は、まさに天の助けに聞こえた。
「何度来られても、占で罪人を視ることはできぬ。教えられることは何もない。その点、仙霞には予知の力がある。後宮で罪人と接点を持てば、何かを視るやもしれぬ」
──ちょっと! それは秘密にしておいてって言ったはずなのに。
しかも予知できると知られたら、「何もできない小娘だから補佐は無理」って話にならないではないか。
「予知か、それは面白いな」
ほら、やっぱり。
楊胤の視線が変わり、仙霞は気まずくなって思わず顔をそむける。
「とはいえ、蠱師見習いに大きな事案を任せるのは心許ない。ゆえに猫鬼を遣わそう」
蠱婆が両手を打ち鳴らすと、何もなかった空間から太った黒猫が現れた。
『なゃあ』
どうやら本人は甘えているつもりらしいが、鳴き声は妙に野太い。
もふもふとした体を揺らしながら、どすどすと床を踏みしめ、尾をふりふりしてすり寄ってくる。
「なんと面妖な」
楊胤は目を見張っていたが、仙霞にとっては見慣れた光景だ。
「あら、猫鬼。久しぶりね」
その声に応えるように、猫鬼はまたひと声小さく鳴き、可愛らしい体をすり寄せてきた。
漆黒の毛並みはつややかで、どっしりとした存在感を放っている。
深い黄金色の瞳は、角度や光の加減によってきらめきを変えた。
その輝き自体は美しいものの、どうにも目つきが悪い。
体つきも大きければ態度も図太い。世間一般の「可愛い」からは外れているのに、そこがかえって、仙霞の心をくすぐる愛らしさだった。
ひょいと抱き上げれば、猫鬼は大人しく胸の中に収まり、喉を鳴らしている。
あまりの可愛さに、仙霞はもう話の流れなどどうでもよくなった。
華蠱宮を出るのは気が重いが、猫鬼を連れていけるなら話は別だ。
どうせ断ることなどできはしない。
ならばせめて、この特別なご褒美を思う存分楽しんでやろう。
「これは猫蠱とも呼ばれる使役じゃ。妖かしのような、鬼のような──すでに死んだ猫だ」
「それを聞いて、お前はおそろしくはないのか」
猫鬼を抱きかかえる仙霞に、楊胤は引き気味の視線を向けた。
「どうしてです? こんなに可愛いのに」
むしろ、死んでいるからこそ可愛いのに。
気味が悪く、稀有な存在を愛でられる幸福さ。この特別さが分からないとは、仙霞には不思議でならない。
「……そうだな。とにかくこれから調べねばならぬことは山積みだ。一緒に行動できる者がいるのは有難い」
「だそうじゃ。仙霞、任せたぞ」
まあ、そうなるだろう。ここで断れるはずもない。
仙霞は深いため息をつき、しぶしぶ受け入れる。
「……蠱婆がそう言うのなら。気は乗りませんけど」
喜んで引き受けたと思われるのは癪なので、本音もきちんと添えておく。
内心では『嫌ならやめてもいいぞ』と言ってくれることを、ほんの少しだけ期待していたのだが──もちろん、そんな都合のいい展開にはならなかった。
こうして仙霞は、楊胤と共に後宮の罪人探しに乗り出すことになったのである。




