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蠱毒の後宮妃  作者: 及川 桜
第四章 皇子の女官

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夕葦の予兆

(誰かしら?)


 名を呼ばれ、思わず立ち上がって振り返る。


 そこに広がっていたのは、数週間前に脳裏に浮かんだ光景だった。


 夕焼けの光が差し込み、葦の葉が風に揺れてさらさらと音を立てる。


風の匂いと葉擦れの響き、そしてそこに立つ二人の男性の姿が、忘れかけていた記憶を呼び覚ます。


(なるほど──あれは、今日のことだったのね)


 背の高い男の傍らにいた宦官は、内侍長だ。


顔を合わせたこともあるはずなのに、予知したときには気づけなかった。


あの男の印象が、あまりにも強かったせいだ。


男は遠目にも気品が漂っていた。


 深紫のほうには銀糸で蟠螭ばんちの文様が精緻に織り込まれ、腰の帯には金銀の装飾が施されている。ひと目で、やんごとなき身分と分かる姿だった。


 夢か現かも分からず見惚れているうちに、年若い男と内侍長がこちらへ歩み寄ってくる。


 後宮に足を踏み入れられる男といえば、皇帝か皇子くらいのもの。


皇帝は今年四十五と聞いているから、この男は皇子に違いない。


 距離が縮まると、その顔立ちがはっきりと見えた。想像以上の美丈夫だった。


 黒曜石のような瞳は切れ長で涼やかに整い、端正な面差しからは艶めく色香が漂う。


絹糸のように流れる漆黒の髪は、冠の下で美しく結われていた。


「陀宝林、こちらは皇子の楊胤様だ」


 内侍長がそう紹介すると、やはり予想どおり皇子だった。


 楊胤というらしいその皇子は、仙霞をじっと見つめながら、口元だけで柔らかな笑みを作っている。


けれど、目は少しも笑っていない。──腹黒そうな男だ、と仙霞は思った。


「ああ、そうですか」


 皇子だろうと予想していたので、驚きはしない。


名前を知ったところで、特に興味もなかった。


「蠱婆に取り次ぎをお願いしたいのだが」


 楊胤が用件を告げる。華蠱宮に来る以上、蠱婆に用事があることは分かっている。


だが仙霞は、その理由を知りたくて、思ったままを口にした。


「なんの用ですか?」


「それは蠱婆に会ったら言う。二度手間になるからな」


 要するに、お前のような小娘には教える必要はない、ということらしい。


「面倒くさいですが、いいですよ」


 本当なら『では案内できません』と突っぱねたいところだ。


けれど相手は皇子、断れるはずもない。


「こら、陀宝林! 皇子様に対して、なんという無礼な言い草だ!」


 仙霞としては、できるだけ失礼にならないよう言葉を選んだつもりだった。それでも怒られてしまった。


 いくら蠱婆の跡継ぎとはいえ、皇子の命令一つで命が消し飛ぶのは分かっている。


命が惜しい仙霞は、すぐに殊勝な顔をして頭を下げた。


「大丈夫だ。気にしていない」


 意外にも、楊胤は穏やかな声音で言った。


「それよりも──さっきから何を抱えているのだ?」


 短気ではなかったらしい。助かった、と胸を撫でおろす。


 そうして初めて、自分が何かを抱えていることを思い出した。


つい先ほど、珍しいものを見つけて夢中で持ち帰ってきたのだ。


これほど大きく立派なものは滅多にお目にかかれない。


 きっと楊胤も驚いて、喜びに目を輝かせるに違いない──そう思った仙霞は、満面の笑みでそれを突き出した。


「ガマガエルです」


 差し出した途端、二人の顔がみるみる蒼白に変わった。


大きな悲鳴を上げて腰を抜かしたのは──ガマガエルを目の前に差し出された楊胤ではなく、隣にいた内侍長だった。


(そんなに怖がるものかしら)


 内侍長は、楊胤に手を引かれてようやく立ち上がると、仙霞をこっぴどく叱りつけた。


 延々と怒鳴られても、なぜそこまで怒られるのか仙霞には分からない。


ただ、これ以上長引くのはごめんだと、黙って下を向き耐えるしかなかった。


もちろん、反省などしていない。


やがて仙霞は、楊胤を蠱婆の住む離れへ案内した。


皇子は終始落ち着き払ったまま、怖がる素振りひとつ見せずについてくる。


案外、肝の据わった人物らしい。


 なにしろ、そこは采女たちですら近寄ろうとしない特別な場所だ。


内侍長も入室を断ったが、それが普通の反応である。


 しかも今は夜。日中でさえ独特な嫌な気配が漂うのに、夜ともなれば不気味さは倍増する。


仙霞自身だって、なるべく避けたい時間帯だった。


 それなのに楊胤は、愚痴ひとつ漏らさず、ためらうことなく歩を進めている。


これは、そう簡単にできることではない。


 皇帝の子ともなれば蝶よ花よと育てられたに違いない──仙霞はそう思っていたが、その想像はどうやら外れていたようだ。


見た目に似合わぬ豪胆さに、仙霞はひそかに感心した。


 やがて蠱婆の室へ入る。そこは独特の不気味さと緊張感に満ちた空間だ。


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