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蠱毒の後宮妃  作者: 及川 桜
第三章 華蠱宮の蠱婆

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不本意な相棒

室内は霊廟のように冷たく、殺風景だった。


中央には大きな陶器製の火炉かろが据えられ、蓮華文様が彫られた上等な品である。


 炉からは煙が立ちのぼり、焚き物の匂いが室内に充満していた。


怪しげな沈香の香りは、この炉から広がっていたのだろう。


 炉の向こう側には、想像していた通りの白髪頭の老婆が座っていた。


陀宝林の言うとおり、少し太りすぎている。


「急にお客様をお連れしてごめんなさい。こちらの方は──」


 陀宝林の紹介を遮るように、蠱婆が口を開いた。


「知っておる。第四皇子であろう」


「どうして分かった⁉」


 思わず楊胤は声を上げた。


「占で視たのじゃ。お主が来ることは分かっておった」


 怪しげな呪術など半信半疑だった楊胤だが、考えを改めるべきかもしれないと思う。


 それにしても蠱婆は、皇子を相手にしても言葉を改めないようだ。


 本来、蠱婆は正三品の婕妤しょうよにあたるというが、立場でいえば皇子の方が上である。


だが敬語を使われなくても、不思議と腹は立たなかった。歳があまりにも離れているせいだろうか。


「もっとちこう寄れ。そこでは寒かろう」


 蠱婆に手招きされ、二人は炉のそばまで進み、腰をおろした。


炉の近くは思いのほか暖かかった。


「占いで見たということは、私がここに来た理由も分かるのか?」


「分かっておるよ。梅昭媛を呪殺した者を探しておるのだろう?」


 これにはさすがの楊胤も度肝を抜かれた。


「それでは、罪人を知っているのか?」


「それは分からぬ。なにせ相手も蠱術を使っておる。占っても視ることはできぬ」


「やはり、今回の件は本当に蠱毒が関係しているのか?」


「ああ、そうだろうな。しかもなかなか強力な術師とみた。手強いぞ」


 楊胤は驚きのあまり言葉を失った。


この話を信じるべきかどうか、まだ決めかねている。


楊胤がここに訪れることも、梅昭媛の件も知っていたのは驚きだが、裏がある可能性も否定できなかった。


 一方、陀宝林はというと──話の流れについていけないのか、暇そうに座っているだけだった。


「それでは、私と共に罪人を見つける手助けをしてくれるか?」


 蠱婆の力が本物かどうかは分からない。


だが罪人探しの強力な助けになるのは間違いなかった。


それに──梅昭媛に蠱毒をかけたのが蠱婆自身という可能性も、まだ捨てきれない。


「断る理由はないさ。そのために後宮に蠱師はいるのだからな。ただ、罪人探しを手伝うのはわれではなく……仙霞じゃ」


「え、私?」


 暇そうにあくびをしていた陀宝林は、眠気も吹き飛んだように目を丸くした。


 楊胤は陀宝林の下の名前を知らなかったので、一瞬誰のことか分からなかったが、彼女の慌てぶりを見て理解する。


「そうさ。われは足が悪い。今さらここを出て後宮内を歩くのは骨が折れる。だから、手助けをするのは仙霞の役目じゃ」


 陀宝林は露骨に嫌そうな顔をし、首を横に振った。


「陀宝林は蠱術が使えるのか?」


 楊胤の問いに、蠱婆が答える。


「蠱術を使う必要はない。罪人を見つけ出せばよいのだからな。仙霞は蠱毒の知識も十分にあるし、頭も切れる。良い補佐となるじゃろう」


「待って、蠱婆。私が手伝いに行ったら、誰が蠱婆の面倒を見るの?」


「食事を置いておいてくれれば十分だ。あとは自分でできる。後宮内を歩く方が、よほど骨が折れるからな」


 やり取りを聞いて、楊胤はひとつ理解した。


 どうやら陀宝林は、蠱婆に対しても敬語を使わないらしい。


入室のときだけ敬語だったのは、一応の礼儀として形ばかりに使ったのだろう。


 礼儀を知っていながら使わない──やはり癖の強い人物だ。


まあ、それは出会った当初から感じていたことではあるが。正直、補佐にするのは気が進まなかった。


 かといって、この年寄りと共に罪人探しをすれば、ほとんど介護のような状態になるだろう。どちらがましかといえば、やはり陀宝林だ。


 とはいえ──もし蠱毒を放ったのが蠱婆本人なら、そばにいた方が黒幕を特定しやすいかもしれない。


「わざわざ後宮を歩き回らなくても、私が華蠱宮に通えばいいのではないか?」


 楊胤の言葉に、陀宝林の顔が分かりやすく輝いた。


「何度来られても、占いで罪人を視ることはできぬ。だが仙霞には予知の能力がある。後宮内で罪人と接点を持てば、何かを視ることができるかもしれぬ」


 陀宝林は「余計なことを……」と言いたげに、苦い顔で蠱婆を睨みつける。


「予知か、それはすごいな」


 楊胤が陀宝林を見やると、彼女は気まずそうに顔を背けた。


「とはいえ、蠱師見習いの者に大きな事案を任せるのは心許ない。ゆえに猫鬼びょうきを遣わそう」


 蠱婆が両手を叩くと、乾いた音が室に響いた。


蠱婆が両手を叩くと、乾いた音が室に響いた。


次の瞬間、何もなかった空間から、黒々としたもふもふの塊がふっと現れた。


『なゃあ』


 鳴き声は愛らしいのに、どこか野太さが混じっている。


 黒い毛並みのせいで輪郭がぼやけているが、どうやら猫らしい。


 ただし普通の猫にしてはずいぶん丸々としており、歩けば「もふ、もふ」と音を立てそうなほどの存在感だった。


「なんと面妖な……」


 楊胤は必死で平静を装ったが、頭の中は忙しい。


どんな仕掛けが隠されているのか考えを巡らす。


だが、室内には炉以外に何もない。隠れる場所などあるはずもなかった。


「あら、猫鬼。久しぶりね」


 陀宝林の声に応えるように、猫鬼は一声鳴き、体を彼女にすり寄せた。


陀宝林がひょいと抱き上げると、猫鬼は大人しく胸の中に収まる。


「これは……猫なのか?」


 楊胤の問いに、陀宝林は眉をひそめてすぐさま言い返す。


「どう見ても猫でしょう」


「だが、あまりにも太りすぎではないか」


「蠱婆の飼い猫ですから」


 黒猫は『お前、失礼な奴だな』と言わんばかりに、じろりと座ったままの目で楊胤を見返した。


 蠱婆にしてみれば陀宝林の発言の方がよほど無礼だ。


案の定、睨みを利かせていたが、当の本人はまったく気づかず猫を嬉々として撫で続けている。


「何かあれば、猫鬼が守ってくれるだろう」


「そんなに強いようには見えぬが」


 楊胤は訝しげに猫鬼を見つめた。


外見だけを見れば、どこにでもいる黒猫にしか思えない。


さらに、丸々と太っているせいか、本来の猫らしい俊敏さはまるで感じられなかった。


「これは猫蠱びょうことも呼ばれる使役じゃ。妖怪のようでもあり、鬼のようでもあり……すでに死んだ猫だ」


「それを聞いて、お前はおそろしくはないのか」


 猫鬼を抱きかかえる陀宝林に問いかける。


「どうしてですか? こんなに可愛いのに」


 きょとんとした面立ちで、逆に聞き返された。


出会ったとき、大きなガマガエルを抱えていた姿を思い出す。──こいつに一般的な感覚を求めるのは無駄らしい。


「……そうだな。とにかく調べなければならないことが山ほどある。一緒に行動できる者がいるのは有難い」


 蠱婆への疑いは晴れたわけではないが、蠱師見習いから情報を引き出せばいい。


むしろ陀宝林を使って、蠱婆のことを探らせる方が得策かもしれない。


 蠱婆は一筋縄ではいかなそうだ。


共に過ごせば、逆に取って食われる可能性すらある。近づきすぎるのは危険に思えた。


「だそうじゃ。仙霞、任せたぞ」


「……蠱婆がそう言うのなら。気は乗りませんが」


 陀宝林は、やはり余計な一言を忘れない。


 かくして楊胤は、蠱師見習いの陀宝林と共に罪人を探すこととなった。


 陀宝林は愛おしそうに猫鬼を抱きしめ、頬をすり寄せている。この任務の重大さなど、まるで理解していないようだ。


(大丈夫だろうか)


 補佐を得たにもかかわらず、不安ばかりが増していく楊胤であった。



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