呪術の代償
「は? どういうことだ? だが、現に鬼になっているではないか」
楊胤は信じられないという表情で、仙霞を見つめた。
「それは、私や帝に蠱毒を放ったからです。ただし、その前の梅昭媛とみられる女性の呪殺に関与していたのは事実です」
「梅昭媛とみられる女性とは……どういう意味だ? まるで、あの死体が梅昭媛ではなかったような言い方だな」
そこまで言って、楊胤ははっと息をのんだ。
「まさか……」
仙霞は静かに頷く。
「そうです。蠱毒に侵された者は、気味悪がられて避けられます。梅昭媛に似た女官に蠱毒を放ち、彼女を梅昭媛だと見せかければ、確かめる者などいません。しかも、遺体が焼かれてしまえば、完全に隠し通すことができます」
「……お前は、いつからそれに気づいていた?」
「あの死体が梅昭媛のものかどうか分からない、というのは最初から仮説のひとつとしてありました。けれど確信したのは、楊胤様が調べてくださった出生地の情報です。喚賢妃と梅昭媛は、親戚関係にあったのです。喚賢妃の母の妹──それが、梅昭媛の母でした」
楊胤はこめかみに手を当て、茫然としたように言葉を吐いた。
「俺としたことが……その可能性は頭になかった。火葬した死体は、心臓しか残されていなかったな。たしかに、それが本当に梅昭媛のものかどうか、確かめるすべもない」
そう呟いたあと、楊胤は弾かれたように顔を上げた。
「しかし! 喚賢妃と梅昭媛が親戚だからといって、梅昭媛が生きている証拠にはならないだろう」
「それは、蠱毒の性質が関係しています。蠱毒は、自分より身分の低い者を呪殺する場合は影響が少ないのですが、同等かそれ以上の身分の者を呪えば、蠱師自身に強い反動が返ってきます。喚賢妃の方が身分は上でしたが、梅昭媛は帝の子を身籠っておりました。その場合、もっと大きな代償が喚賢妃に現れていてもおかしくありません」
「なるほど……。たしかに、皇帝に蠱毒を放っただけで鬼になるほどだ。だが、呪いにまで身分が影響するとは、やるせない話だな」
「それは当然のことです。蠱の発祥は皇族の呪術ですから。身分の低い者には容易に効き、身分の高い者には使わせないようにする。それが、自らの身を守るための仕組みなのです」
楊胤は呆れたようにため息をついた。
「……本当に、俺の先祖は争いの種ばかりを残したものだ」
仙霞は改めて、鬼と化した喚賢妃を見上げた。
「私の言っていたことは、間違ってはいませんよね? ──梅昭媛は、生きているのでしょう?」
すると、喚賢妃は唇の端を吊り上げ、不敵に笑った。
『ああ、その通りだ。あの子は生きている。昭媛付きの女官たちは皆、後宮を去ることになった。女官に変装し、その中に紛れて無事に外へ出ただろうよ』
「しかし、ひとつ分からぬことがあります。どうして梅昭媛は、そこまでして後宮を出たかったのですか? 帝の子を身籠り、大出世の目前だったというのに」
仙霞の問いに、喚賢妃は忌々しげに目を細めた。
『……帝は残酷な男だ。野心を持ち、帝の訪れを待ち望む妃などいくらでもいるというのに、あの男はそういう女には興味を示さない。嫌がる女を抱くのが趣味なのだ。私も、あの子も、お手付きになることなど望んではいなかった。むしろ、心の底から嫌悪していた。あの男は、そういう女を見抜く目に長けていたのだ』
喚賢妃の言葉に、楊胤は何か思うところがあるようで、視線を逸らしながら小さく呟いた。
「……まあ、それは否定できない。帝は昔から、そういうところがある」
きっと、自身の母のことを思い浮かべているのだろう。
自死を選ぶほどに追い詰められ、帝の妃となることを拒んだ楊胤の母。
帝の女性の趣味が、ようやく見えてきた気がした。
宇徳妃もまた帝を毛嫌いしているが、未だお手付きになっていない。
つまり、嫌がる女を抱くことそのものが目的ではないのだ。
聡明で、女性らしい体つき。野心のない清純な女を、黒く汚していく。
それが、帝という男の嗜好なのだろう。
仙霞は胸の奥に、ぞっとするような嫌悪を覚えた。
こんなこと、知りたくもなかった。
李貴妃や揺淑妃には確かに野心がある。
帝が後継を望むなら、彼女たちを寵愛し、その子を皇帝にすればよかったはずだ。
けれど、帝は望む者に与えることを嫌うのだろう。
むしろ、嫌がる者に無理強いすることに、快楽を覚えるのかもしれない。
『私はもう、後宮から出られない。娘を愛しているのに。あの下劣な男の子どもだと思うと、無性に娘が汚く見えるときがある。あの子には、私のようにはなってほしくなかった。……あの子だけでも救いたかったのだ』
楊胤が、かすかに息をのむ気配が伝わってきた。
(楊胤様にとっては、あまりにも残酷な吐露だろう。自分の母も、下劣な男の子を育てたくなかったから、己を残して自死したのではないかと、重ねてしまうに違いない)
罪深いのは、帝だ。
すべては自らが蒔いた災いであるというのに、
彼はしぶとく生き残り、その後始末を罪なき者たちに背負わせている。
仙霞だって、本来は関係のない身だ。
それでも、命を懸けて戦わねばならない。
──けれど、それこそがこの世の不条理。
逃れることなど、誰にもできはしないのだ。
「どんな理由があろうとも、蟲毒に手を出してはいけなかった。やけになってはいけなかったのです。明羅様のためにも」
仙霞は、喚賢妃の娘の名を静かに口にした。
すると、喚賢妃の瞳が血のように赤く染まる。
『私が素直に真実を語った意味が分かっていないようだな。お前たちはここで死ぬのだ。鬼と化したのは都合が良かった。私が皆を滅してやる。あんな男が統べる国など、滅びてしまえばいい。明羅は私が守るのだ!』




