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蠱毒の後宮妃  作者: 及川 桜
第八章 皇位継承権

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玉座に沈む月

「失礼いたします」


 深く揖礼をし、顔を伏せたまま静かに歩を進める。


許しが出るまでは顔を上げることは許されない。


床しか見えぬ状態で、麝香の濃い香りが鼻を満たす。


「顔を上げよ」


 帝の声に従い、ゆっくりと顔を上げる。思いのほか、その声には力があった。


 室内は絹の帳と金銀の装飾に彩られ、きらびやかに整えられている。


 床榻しょうとうに腰を掛ける帝の背後には分厚い敷布が置かれ、体を支えていた。


顔はまだ青白いものの、その眼光は鋭く、圧をもって楊胤を射抜く。


 帝の傍らには蠱婆が控えていた。


椅子に腰を下ろし、両手を合わせて目を閉じ、ぶつぶつと読経を続けている。


何を唱えているのかは分からないが、室内には不気味な響きが漂っていた。


「他の者は下がっておれ」


 帝の言葉で、部屋に残ったのは楊胤と帝、そして蠱婆のみとなった。


気まずい沈黙がゆっくりと流れる。


「梅昭媛を呪殺した罪人の件は、どうなっておる」


呼ばれたのは、蠱毒の罪人についてだったようだ。当然、そうだろうと思っていたので、淀みなく言葉が出る。


「大方、検討はついております。あとは証拠を集めるのみかと」


 少しばかり話を盛っておいた。


そう言っておかねば、楊胤の立場が危うくなる。


「必ず見つけよ。罪人にどれほど権力があろうとも、見逃してはならぬ。そして、余の病を治せ」


「かしこまりました」


 楊胤は深く拱手して頭を垂れる。


おそらく帝は、自分が四夫人の宮を訪れていたことを知っているのだろう。


そうであれば、罪人が四夫人の中にいることも察しているはずだ。


皇子とはいえ楊胤の力で四夫人を裁くことはできない。


だが、帝の後ろ盾が得られるというのは、事実上の大きな追い風に他ならない。


(必ず見つけねばならぬ)


 楊胤の背筋に冷たいものが走る。


梅昭媛の件のときとは訳が違う。あのときは、見つからなくともそれらしい報告でやり過ごせただろう。


しかし今は、帝の命がかかっているのだ。


間違いなど許されない。必ず見つけて処罰し、帝の蠱病も完解せねばならない。


「もしも此度の件を解決し、余の病も治せるなら、お前を皇太子に指名してもよい」


「は?」


 思わず間抜けな声が漏れた。青天の霹靂へきれきで、理解が追いつかない。


 帝の顔を見れば、不敵な笑みが浮かんでいる。


「皇太子でございますか。私は継承権も低く、母はただの女官でした。偉大な兄たちを差し置いて、私が皇太子とは不敬の極みでございます」


 楊胤は失礼にならぬよう言葉を選び慎重に答えた。


皇太子になりたいなど一度も思ったことはない。


野心とは無縁に生きてきた。もし本当に皇太子となれば、兄たちの嫉妬で命が危ういのも明らかだ。


「もちろん、余はお前の母のことをよく覚えておる。聡明な眼差し、高い矜持——良き女であった。もし今も生きていたならば、皇后にまで昇っていたかもしれぬ。それほどの器量の女だと余は見ていた。惜しいことをした」


 初めて帝の口から母のことを聞いた。


 楊胤は、そんな思いが帝にあったとは知らなかった。


言葉を失っていると、帝はさらに続けた。


「だから余は、お前を買っておる。虐げられながらも文武に秀で、その才を見せる。しかして野心を見せぬ。もしお前がその気になれば、愚鈍な兄たちなど一掃できように」


 帝は口元を斜めに上げ、狡猾さを隠そうともしていない。


――ああ、やはりこの人を好きにはなれない。いや、大嫌いだ。


 楊胤は心の中で吐き捨てる。


 帝は賢帝と呼ぶにふさわしい。


人の才を見抜く目を持ち、多くの妃に子をなした。


才ある女に子を宿させることは、皇帝としては正しい営みだろう。


 だが、人としてどうかは別の話だ。


 幾人もの妃に子を作り、歳を重ねればその訪れも途絶える。


やがて帝は若い妃のもとへ通い、また子を宿す。


後宮にいる女はすべて帝のもの――誰に手を伸ばそうと、責める理由はない。


 帝として当然の務め。帝が悪いわけではない。


 しかし、人には心がある。


 物のように扱われ、愛もなく夜伽を命じられる女たちの悲しみを、帝は想像したことがあるだろうか。


きっと女たちも理解したうえで後宮に入ったのだと、そう思っているに違いない。


 割り切って人形のように暮らせるのなら、愛憎など芽生えぬはず。


だが古来より、後宮で女たちの諍いが絶えぬ理由を、この男は分かっていない。


(母がどんな思いで自死を選んだのか……この男は一生、理解することはないのだろう)


 寒々しい気持ちで、楊胤は帝を見つめた。


「身に余る光栄なお言葉、ありがたく頂戴いたします。ですが――」


 断ろうとした矢先、帝が言葉を遮った。


「とりあえず、蠱毒の罪人を見つけることだけに集中せよ。分かったか」


 有無を言わせぬ鋭い眼差し。


「……承知いたしました。全身全霊で勤めさせていただきます」


「よろしい。話は以上だ。下がれ」


 楊胤は放心したまま部屋を下がった。


 あまりにも突拍子もない内容だった。――こんな話を、蠱婆の前でしてしまってよいのだろうか。


(だが、蠱婆がいなければ蠱毒は抑えられなかった)


 ここまで回復したのも蠱婆の力によるものだ。退出させられなかったのは当然か。


(俺が……皇太子?)


 それは、いずれ皇帝となることを意味する。


 玉座など望んだことはなかった。自分に資格があるとも考えたことがなかった。だが、楊胤の血は確かにその資格を有している。


(なぜ帝は、急にそんなことを……)


 頭の中は混乱していた。だからこそ冷静にならねばならない。


楊胤は必死に思考をまとめようとした。


(……それほど蠱毒は恐ろしいのだろう)


 無理もない。絶叫するほどの痛みと、死の恐怖にさらされたのだから。


 この件を解決しなければ自らの命が危うい――ならば、どんな手を使ってでも解決しようとするはずだ。


(落ち着け。帝は本気で俺を皇太子にしたいわけではない)


 病で気が弱っているだけだ。完解すれば、考えを改めるに違いない。


(……しかし)


 大内殿の回廊で、楊胤の足が止まった。


足早に帰ろうとしていたが、思わず口元を手で覆う。


顔は青ざめていた。周囲に人影はない。


(もし罪人が――貴妃か淑妃だったら?)


 帝がそう考えたからこそ、あの言葉を口にしたのではないか。


 その可能性は高い。なにせ、罪人は四夫人の中にいるのだから。


 だとすれば、四夫人の子でない自分に帝位を――と考えるのも、筋は通ってしまう。


(もし貴妃だった場合……三人の皇子は継承権から外れる。最悪の場合は死罪もあり得る。そうなれば――俺が第二位に繰り上がってしまう)


 本当に、自分が皇帝に担ぎ上げられる可能性があるのだ。


 ただの厄介ごとだと思っていた事件が、まさかここまで自分に関わるとは。


 楊胤は青ざめたまま宮へ戻り、そのまま真っすぐ仙霞の棟へと足を向けた。


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