夜半の訪問者
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夜が闇に沈むころ、楊胤はこれといった用事もないまま、仙霞の棟を訪ねていた。
扉を叩くと、寝着に着替えた仙霞が顔をのぞかせる。
薄衣に髪を下ろした姿は、息をのむほど妖艶だった。
無垢な清廉さの奥に、ふと香り立つような色気を秘めている。
宝玉のように澄んだ瞳の奥に理知の光が宿るところもまた魅力的だ。
まだ幼さの残る面立ちながら、妙に大人びた雰囲気を漂わせている。
その不思議な二面性が、かえって深みのある色香を生み出していた。
東宮の女官たちも、仙霞だから勘違いをしている。仙霞は誰もが認めるほど美しいから。恋知らずの皇子と呼ばれていた楊胤の心を掴んだと。
勘違いのような勘違いではないような。
当の仙霞は、自分の容姿がどれほど際立っているのか自覚がない。
飾り気のない美しさだからこそ、余計に目を奪われる。
仙霞は、特に用事もなく来た楊胤に疑うことなく中に入れた。
部屋を見渡し、特に異変はないようなので安心する。
「腹が減ったな」
「まだ召し上がっていないのですか?」
「軽くは食べたのだが」
「では、また包子を作っておきますね」
その言葉に、思わず頬が緩みそうになる。
慌てて欠伸をするふりをして、手で顔を隠した。
「眠いのですか?」
「梅昭媛の件だけでなく、公務もあるからな」
「なるほど。それは大変ですね」
嘘ではない。普段の仕事が減ったわけではないのだから、確かに忙しい。
「では、早く用件を済ませましょう。何しに来たのですか?」
(……言い方が妙に癪に障るのだよな)
まるで迷惑だと突き放すような響き。
楊胤は眉をひそめ、不快感を隠さず返す。
「昨日の今日だ。心配して訪れるのは当然だろう。……人として」
本当はただ心配で仕方なかっただけなのに、それを悟られぬよう『人として』を付け足す。
仙霞は顎に手を添えて、こくりと頷いた。
「人というのは、そういうものなのですね」
まるで自分は人ではないとでも言いたげな口ぶりだ。彼女はときどき、こうして言葉の選び方がおかしい。
しかも本人は、何がおかしいのかまるで自覚していないのだから厄介だ。
「お前だって人だろう」
呆れ気味に言うと、仙霞はぱちりと大きな瞳を見開いた。
「……私を人として扱ってくださるのですか?」
「は? 何を言っている。当たり前だろう」
仙霞は顎に手を添え、なにやら考え込む。
自分は人ではないとでも言いたいのか。
「初めて人間扱いされました」
「……そうなのか? なぜだ」
「蠱師見習いだからでしょうか。それに予知や不思議な力もありましたし。ああ、それと、性格もおかしいとよく言われます」
「それに関しては否定できないが……仙霞は仙霞だ。人間だろうとなかろうと、それは変わらない」
再び目を見開く仙霞。……可愛いな。
「前から薄々思っていましたが、楊胤様は清らかな心根をお持ちなのですね。不遇の皇子で、人一倍苦労しているはずなのに。……ああ、そうか。女を知らぬのですね」
「まてまてまて! 清らかな心根までは良かったが、その後の落とし方はなんだ。けなしているのか⁉」
「とんでもない。事実を申したまでです」




