影を喰う猫
楊胤の体つきは、文官というより武官に近い。
長衣の上からでも分かる引き締まった筋肉は、剣術の修練を日々欠かさぬ証だった。
(文武両道の才能の持ち主なのに、宮廷ではないがしろにされているなんて……)
なんてもったいない、と感じた瞬間──仙霞の脳裏に、かつて見た予知の映像がよぎる。
(今は埋もれているけれど、いつか……)
そこまで考え、頭を振った。
あまりに重大すぎる未来だ。忘れてしまう方が賢明だ。
楊胤は次々と蠱毒を斬り払い、霧散させていく。
最後の一匹を仕留めようと、一足跳びに部屋の端へ向かったその瞬間。
気配を潜めていた蠱毒が、不意に仙霞へと襲いかかった。
あまりに突然で対処できない。
動けば術は解け、蠱毒は再び姿を消してしまう。
逡巡の刹那、黒い影が仙霞の体に張り付いた。
「ひゃっ!」
思わず悲鳴が漏れる。
その声に気づいた楊胤が、振り向いた。
「仙霞!」
楊胤が叫ぶ。
蠱毒は仙霞の体を這い上がり、恐怖に身の毛が逆立つ。
気味の悪さではなく、本能が告げる死の恐怖。禍々しい気の塊が迫ってくる。
『なゃあ!』
蠱毒より大きな黒い影が横切った。
何が起きたのか分からず体を見れば、蠱毒は消えていた。
「仙霞、大丈夫か⁉」
駆け寄った楊胤が、仙霞の肩を抱く。
「……猫鬼?」
呼ばれた猫鬼は、可愛らしい顔で振り返った。
口には、まだ魚のようにうごめく蠱毒を咥えている。
そして、その愛らしい顔のまま、蠱毒を嚙み砕き始めた。
見るもむごたらしい光景だが、猫鬼は食べ終えると満足げに一声鳴く。
「助けてくれたのね」
仙霞は動いて術を解いた。
すでに蠱毒の気配が消えているのを感じ取っていたからだ。
抱き上げた猫鬼の顎を撫でると、心地よさそうに喉を鳴らす。
「蠱婆が遣わせた猫鬼は、想像以上に優秀だったのだな」
楊胤の言葉に、仙霞も頷く。
まさか猫鬼が、これほど俊敏に動けるとは思いもしなかった。
愛らしさと恐ろしさをあわせ持つ守り神なのだと、改めて思い知らされる。
「これで罪人は、四夫人の中にいると確定しましたね」
「……おそろしいことをするものだ」
一度闇に堕ちた者は、悪事にためらいを持たなくなる。
仙霞に蠱毒を放つほどなら、その心はすでに人の道から外れている。
「仙霞が蠱師見習いだと気付いたのは、揺淑妃だけだったな」
「いえ。気付いていても、あえて口にしなかった可能性もあります」
「だが、そんな理屈を言い出せば絞り込めないだろう」
「……実は、もう見当はついているのです」
「なに⁉ 誰だ」
思わず声を荒げた楊胤に、仙霞は静かに首を振った。
確定的な要素がない以上、軽々しく名を告げるわけにはいかない。
「根拠の薄い推測で罪人扱いはできません。ですが、必ず時が来たらお伝えします。そのためにも、楊胤様にお願いがあるのです」
「……お願い?」
訝しげな眼差しを向ける楊胤。
仙霞は鋭い視線でまっすぐ見返した。
決定打はまだだが、大方の目星はついている。あとは正しさを精査するだけだ。
「四夫人の方々の──出身地を調べていただきたいのです」




