皇子、包子で落ちる
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楊胤に言われた通り湯殿を済ませ、床には褥を敷いておいた。
もう眠気が押し寄せていたが、横になればそのまま眠ってしまいそうなので、正座をして待つことにする。
(梅昭媛の墓に行った夜は、疲れすぎて横になるつもりが眠ってしまったのよね)
一日中気を張っていたせいで、体が鉛のように重かったのだ。
起きたら楊胤が目の前にいて、『なぜ呑気に寝ている』という顔をしていた。
墓を暴こうと言ったのは仙霞なのに、皇子に起こしてもらうのはさすがに非礼極まりなかったと反省していた。仙霞だって反省くらいするのだ。
そのとき、扉を叩く音が響いた。楊胤だろう。
立ち上がった瞬間、足先にぞわりと毛虫が這ったような感覚が走る。
痺れただけだと思い、気にせず扉へ向かった。
「今夜は起きていたようだな」
楊胤は大きな布包みを手にしていた。
「はい。夕餉も済ませて、湯殿にも入りました」
「そうか。では失礼するぞ」
彼は室内に入り、いつものように文机のそばへ腰を下ろす。そして布包みをどさりと置いた。
「準備に手間取ったが、色々と持ってきたぞ」
開こうとしたところで、仙霞が声を上げた。
「待ってください。楊胤様は……夕餉を召し上がりましたか?」
「食べていないが」
「そうかと思いまして。厨房を借りて包子を作っておきました。良ければどうぞ」
皿に山盛りの包子を載せて差し出すと、楊胤は狐につままれたような顔をして仙霞と包子を交互に見やった。
「……仙霞が作ったのか?」
「はい」
またしても驚きに言葉を失う楊胤。
動かないので、仙霞は小首を傾げる。
「もしかして、毒でも入っているのかと警戒なさっているのですか? 大丈夫ですよ、蠱毒なんて仕込んでいませんから」
仙霞は一つ手に取り、ぱくりと頬張った。
中には豚ひき肉と刻んだ野菜。湯気は消えていたが、ほんのり温もりが残っている。
皮はしっとり柔らかでほのかに甘く、噛むほどに肉の旨味がじんわり広がる。
我ながら、なかなかの出来だと仙霞は満足する。
「いや、そうじゃない。……どうしたんだ急に。お前はそんなに気が利くような奴ではないだろう」
「私だって人の心はあります。楊胤様が私のために奔走してくださっているのですから、これくらいはしたいと思うじゃないですか」
楊胤は目をしばたたかせ、それからおもむろに包子へ手を伸ばした。
軽く匂いを嗅ぎ、豪快にかぶりつく。
すると、楊胤の眉がほんのわずか上がり、頬が緩んだ。
「……美味いな」
目を細め、口元にはうっすらと笑みのようなものを浮かべていた。
無意識に頷くような仕草をしながら咀嚼している。
その自然な反応に、仙霞の胸もふわりと温かくなる。
そして楊胤は一心不乱に食べ進め、仙霞が用意した茶を差し出すと、またもや驚いた顔で受け取った。
一々反応が大げさすぎる。
よほど仙霞のことを、常識のない風変わりな女だと認識していたのだろう。……まあ、それは事実なのだが。
(私だって、料理くらい作れる)
妃とはいえ、身の回りのことは自分でこなさねばならなかったし、蠱婆の世話もあった。家事は一通りできるのだ。
楊胤はなぜか耳を赤らめ、無言で包子を食べ続けていた。
大量に作ったはずなのに、あっという間に皿が空になる。
よほど腹を空かせていたのだろう。
「……ありがとう」
空の皿を見つめながら、楊胤がぽつりと呟いた。
「いいえ。こちらこそ、いつもありがとうございます」
仙霞が殊勝に頭を下げると、楊胤の顔は一気に真っ赤に染まった。
「調子が狂うではないか! なんなのだ!」
なんなのだと言われても。照れているのか怒っているのか、仙霞にはさっぱり分からない。
「さっさと呪い返しを始めるぞ!」
赤くなった顔を隠すように声を荒げ、布包みを乱暴にほどく。
やはり照れ隠しというものなのだろうか。
しかし、照れる要素がどこにあったのか。仙霞は不思議でたまらない。
「麝香に、敗鼓皮、蓮の葉。菖蒲に大蒜もあるぞ」
楊胤は大蒜を持ち上げ、笑みを漏らした。
気持ちはすっかり切り替わったようで、どこか心を躍らせているように見える。
学んだことを試してみたくてたまらないのだろう。
「麝香は媚薬の効果があるといわれていますが……大丈夫ですか?」
楊胤は「え?」と素っ頓狂な顔をし、たちまち赤面して大きく手を振った。
「ち、違う! そういう目的で持ってきたわけではない! 呪い返しに有効だと古文書に記されていたのだ!」
「分かっております。ただ……私は耐性がありますが、楊胤様は大丈夫かと心配で」
「……どうだろうな。やってみないことには分からん」
「ではもしもの時は、頬をひっぱたくか、股間に蹴りを入れても怒らないでくださいね」
仙霞は念のため釘を刺した。




