蠱師見習い、禿げを案じる
しばらくすると、楊胤はすっかりいつもの様子に戻っていた。
仙霞は胸を撫で下ろし、安心して読書に集中する。
人体解剖図など心を鷲掴みにされる図録もあれば、歴史書や系図といった真面目な書物もあり、つい夢中になって読み進めた。
仙霞は一日中本を読んでいても飽きない。
どうやら楊胤も同じらしく、互いに黙々と書を繰り、知識を補っていった。
気づけば日が暮れ、書庫を閉める時間となっていた。
仙霞は名残惜しさを抱えながら、棚を後にする。
「明日も来ますか?」
仙霞は期待を込めて尋ねた。毎日でも通いたい。
「いや、公務があるからな」
その答えに、仙霞はしょんぼりする。
仙霞だけでも入れればいいのにと思うが、一介の女官に許されるはずもない。
「それより、色々と分かったことがある。術法を試してみたい」
楊胤の目は、少年のようにきらきらと輝いていた。
普段は仙霞を呆れた目で見るくせに、知れば試さずにいられない性分はどうやら同じらしい。
同じ穴の狢ではないかと思ったが……機嫌を損ねると厄介なので、口には出さずにおいた。
「試すのは否定しませんが……おそらく無駄だと思いますよ」
「なぜだ」
「楊胤様には呪力がありません」
「そんなの、やってみないと分からないだろう」
「分かります。これまでに、霊感のようなものを感じたことはありますか?」
仙霞の問いに、楊胤は口をつぐんだ。
答えを待つまでもない。霊的なものを信じない人間は、たいてい霊感を持たないものだ。
もし不可思議な体験をしていれば、頭ごなしに否定できなくなるからだ。
「……では、仙霞がやれ」
「はい?」
「呪いを防ぐ術はいくつかあることが分かった。放蠱は禁じられているが、身を守るための蟲術なら問題あるまい」
「それは構いませんけど……昨夜も言った通り、相手の蠱術が上なら、跳ね返すことはできませんよ」
「気休めでもいい。やれ」
珍しく命令口調だった。
仙霞はふと思いつき、確かめるように尋ねる。
「……楊胤様、そんなに蠱術が見たいのですか?」
まるで子どもだ、と呆れる。
ところが、楊胤は唖然とした顔で仙霞を見返してきた。
「お前は俺をなんだと思っている」
「皇子様だと思っていますけれど」
「そうじゃなくて……お前って奴は。人が心配してやっているというのに」
(心配だったのか!)
仙霞は目を見開いた。心配されていたなんて、夢にも思わなかった。
「楊胤様って、やっぱりいい性格をされていますね」
感動して言うと、楊胤は呆れたように肩を落とす。
「その言い方は、褒め言葉になっていないからな」
口ぶりはぶっきらぼうだが、どこか満更でもなさそうに見えた。
怒っていないと分かり、仙霞は胸をなで下ろす。
「必要なものを集めてくる。お前は飯を食べて、湯殿に入って、寝る準備をしておけ」
楊胤は仙霞を棟まで送り届けると、まるで過保護な母親のようなことを言い残し、足早に去っていった。
忙しい人だな、と仙霞は感心する。
(楊胤様は夕餉を召し上がらないのだろうか)
昼は一緒に饅頭を食べた。まだ空腹ではないのかもしれない。……いや、もしかして、夕餉を削ってまで仙霞のために動き回るつもりでは?
(ああ見えて世話好きな人なのよね)
腹黒そうに見えて、意外と優しい。
具合の悪い自分を横抱きにして運んでくれたこともあった。
下級妃にまで気を配っていたら、さぞかし疲れるだろう。
気苦労が絶えない人に違いない。
(禿げないといいけれど)
そんな失礼な心配が頭をかすめる。
さすがに口にすれば激怒されると分かっているので、胸の内にだけ仕舞っておいた。
(いいこと思いついた)
仙霞は意気揚々と厨房へ足を運ぶ。




