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蠱毒の後宮妃  作者: 及川 桜
第七章 狙われた妃

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赤く染まる耳の理由

とんだ役目を背負わされたものだ。まさか命懸けになるとは。


(……死んだら、蠱婆のもとに化けて出てやる)


 やけになった仙霞は、目の前のお粥を猛烈な勢いで平らげた。


(おかわりしに行こう)


 腹が減ってはなんとやらである。どうせ死ぬのなら、美味しいものをたらふく食べてからがいい。


 空になった器を盆ごと抱え、仙霞は意気揚々と厨房へおかわりをもらいに向かった。



夜のとばりが下りたころ、楊胤が仙霞のもとを訪れた。


「何用ですか?」


「見舞いに来てやったというのに、その言い方はないだろう」


「もう治りました」


「それは何よりだ」


 楊胤は仙霞の返答など待たず、勝手に部屋に入っていく。


 いつものように文机の前に腰を下ろそうとしたが、ふと辺りを見回し、しばし警戒する。


そして何もないと確認してから腰を下ろした。


どうやら猫鬼の突然の出現を恐れているらしい。


「こんな時間に訪れれば、妙な噂に拍車がかかりますよ」


「むしろ妙な噂のおかげで、余計な詮索をされずに済んでいる。お前を横抱きにして戻ってきても、不自然には思われなかっただろう」


「ですが私は、『早くお身ごもりを』なんて言われましたよ」


 その言葉に、楊胤は目を見開き、そして豪快に笑い出した。


「笑い事ではありません」


 仙霞は唇を尖らせ、半目で睨みつける。


「いや、冗談を言いに来たわけではない」


 私だって冗談を話しているつもりはない、と仙霞は思う。


「昨夜の、お前の言葉が気になってな」


「私の言葉とは?」


 仙霞が首をわずかに傾げると、楊胤は「どうして分からない」とでも言いたげに眉を寄せた。


昨夜は色々と話していたのだから、分からないのは当然だろうと思う。……口に出したら余計怒られそうなので黙っておくが。


「死ぬかもしれない、と言っていただろう」


「ああ……そのことですか」


「それ以上に重い言葉はあるまい」


 楊胤の口調には、責めにも似た厳しさが滲んでいた。よほど心配しているのだろう。


「大丈夫ですよ。狙われるとしたら、楊胤様ではなく私でしょうから」


「何が大丈夫だ。まったく大丈夫ではないだろう。だが、なぜそう思う?」


「もし四夫人の中に罪人がいるのなら――私は十中八九、その中の誰かに目を付けられていると思います。これほど強い術力の蠱師なら、私が蠱師見習いだと気づくでしょう。狙うなら私です。蠱毒の恐ろしさを一番知るのは、蠱師でしょうから」


「宮中に、怪しい気配でもあったのか?」


「いいえ、確証はありません。ただ、もし私が呪われれば、それが四夫人のうちに罪人がいるという証拠になります」


「嫌な判別法だな」


「ですが、その代わり、私は死ぬかもしれません」


 楊胤は複雑な面持ちで、しばらく仙霞を見つめた。


「梅昭媛を殺した罪人は、お前よりも蠱術が強いのか?」


「はい。あれほど見事な呪殺は、そうそうできるものではありません。あの無数に穴の空いた心臓……まさに至高の一品です」


 仙霞は黒く焼け焦げた心臓を思い出し、思わず愉悦の吐息を洩らした。


「なぜそんな蕩けそうな顔をする」


 楊胤は引きつった声で問いかける。


「あれは芸術品でした。あまりの美しさ――いえ、気味の悪さに見入ってしまって。つい顔を近づけすぎたせいで、術力の残滓にやられてしまったのです。できれば触ってみたかった」


「反省しているのか、していないのか、どっちなんだ」


 呆れ果てた楊胤の言葉を、仙霞は見事に無視して思案を続ける。


 もし触れていたら病を得ていたかもしれない。


半日寝込んだ程度で済んだのはむしろ幸運だった。


だが、どうしても気になる。指先に煤は残るのか。その触感はどれほど不気味なのか――。


 妄想に没頭していた仙霞は、楊胤の咳払いで現実に引き戻された。


「やられるのを手をこまねいて見ているわけにはいかぬ。こちらも対策を講じよう」


「どんな対策です?」


「分からん。昨日まで蠱毒など虚構だと思っていたのだからな。まずは知識を仕入れるしかない」


「……信じていなかったのですか?」


 仙霞が驚きの眼差しを向けると、楊胤はわずかに気まずそうに視線を逸らした。


「半信半疑だったのだ。まるきり信じていなかったわけではない。仕方ないだろう、霊だの妖怪だの、この目で見たことがなかったのだから」


「猫鬼を見たではありませんか」


「あれは……人を欺く仕掛けでもあるのかと思っていたのだ」


 良く言えば用心深い。悪く言えば頭でっかち。


 仙霞は心の中でそう評した。


「とにかく、まずは情報収集だ。呪い返しの方法を調べねばならん」


「私、知っていますよ?」


「は? それなら、なぜ『死ぬかもしれない』などと言った」


「呪い返しができても、相手の蠱術が上なら跳ね返せませんから」


「……剣の腕前と同じか。だが、知らなければ対策の立てようもない。工夫の余地はある」


 仙霞は思い出す。楊胤は科挙に及第した秀才であることを。


(頭の良い人って、まず勉強から入るのね)


 真面目なことだと感心する。


「では早速、明日から内侍書庫に籠って調べるぞ」


 楊胤の言葉に、仙霞は飛びつかんばかりに身を乗り出した。


「私も行っていいのですか⁉」


 瞳をきらきら輝かせ、まるで押し倒さんばかりに迫る。


「お、おう……その方が効率も良いからな」


「ありがとうございます!」


 仙霞は思わず楊胤に抱きついた。


「いいから、抱きつくな」


 楊胤はぞんざいに仙霞の顔を押し退ける。


「すみません、つい……。あれ? 楊胤様、耳が赤いですよ?」


「お前が俺を強く圧迫したからだ」


 ふいと顔をそむける楊胤。そこまで力を込めた覚えはないのだが、と仙霞は首をかしげる。


 その様子を見ていた猫鬼が、いつの間にか現れ、『なゃあ』と笑うように鳴いた。



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