赤く染まる耳の理由
とんだ役目を背負わされたものだ。まさか命懸けになるとは。
(……死んだら、蠱婆のもとに化けて出てやる)
やけになった仙霞は、目の前のお粥を猛烈な勢いで平らげた。
(おかわりしに行こう)
腹が減ってはなんとやらである。どうせ死ぬのなら、美味しいものをたらふく食べてからがいい。
空になった器を盆ごと抱え、仙霞は意気揚々と厨房へおかわりをもらいに向かった。
夜の帳が下りたころ、楊胤が仙霞のもとを訪れた。
「何用ですか?」
「見舞いに来てやったというのに、その言い方はないだろう」
「もう治りました」
「それは何よりだ」
楊胤は仙霞の返答など待たず、勝手に部屋に入っていく。
いつものように文机の前に腰を下ろそうとしたが、ふと辺りを見回し、しばし警戒する。
そして何もないと確認してから腰を下ろした。
どうやら猫鬼の突然の出現を恐れているらしい。
「こんな時間に訪れれば、妙な噂に拍車がかかりますよ」
「むしろ妙な噂のおかげで、余計な詮索をされずに済んでいる。お前を横抱きにして戻ってきても、不自然には思われなかっただろう」
「ですが私は、『早くお身ごもりを』なんて言われましたよ」
その言葉に、楊胤は目を見開き、そして豪快に笑い出した。
「笑い事ではありません」
仙霞は唇を尖らせ、半目で睨みつける。
「いや、冗談を言いに来たわけではない」
私だって冗談を話しているつもりはない、と仙霞は思う。
「昨夜の、お前の言葉が気になってな」
「私の言葉とは?」
仙霞が首をわずかに傾げると、楊胤は「どうして分からない」とでも言いたげに眉を寄せた。
昨夜は色々と話していたのだから、分からないのは当然だろうと思う。……口に出したら余計怒られそうなので黙っておくが。
「死ぬかもしれない、と言っていただろう」
「ああ……そのことですか」
「それ以上に重い言葉はあるまい」
楊胤の口調には、責めにも似た厳しさが滲んでいた。よほど心配しているのだろう。
「大丈夫ですよ。狙われるとしたら、楊胤様ではなく私でしょうから」
「何が大丈夫だ。まったく大丈夫ではないだろう。だが、なぜそう思う?」
「もし四夫人の中に罪人がいるのなら――私は十中八九、その中の誰かに目を付けられていると思います。これほど強い術力の蠱師なら、私が蠱師見習いだと気づくでしょう。狙うなら私です。蠱毒の恐ろしさを一番知るのは、蠱師でしょうから」
「宮中に、怪しい気配でもあったのか?」
「いいえ、確証はありません。ただ、もし私が呪われれば、それが四夫人のうちに罪人がいるという証拠になります」
「嫌な判別法だな」
「ですが、その代わり、私は死ぬかもしれません」
楊胤は複雑な面持ちで、しばらく仙霞を見つめた。
「梅昭媛を殺した罪人は、お前よりも蠱術が強いのか?」
「はい。あれほど見事な呪殺は、そうそうできるものではありません。あの無数に穴の空いた心臓……まさに至高の一品です」
仙霞は黒く焼け焦げた心臓を思い出し、思わず愉悦の吐息を洩らした。
「なぜそんな蕩けそうな顔をする」
楊胤は引きつった声で問いかける。
「あれは芸術品でした。あまりの美しさ――いえ、気味の悪さに見入ってしまって。つい顔を近づけすぎたせいで、術力の残滓にやられてしまったのです。できれば触ってみたかった」
「反省しているのか、していないのか、どっちなんだ」
呆れ果てた楊胤の言葉を、仙霞は見事に無視して思案を続ける。
もし触れていたら病を得ていたかもしれない。
半日寝込んだ程度で済んだのはむしろ幸運だった。
だが、どうしても気になる。指先に煤は残るのか。その触感はどれほど不気味なのか――。
妄想に没頭していた仙霞は、楊胤の咳払いで現実に引き戻された。
「やられるのを手をこまねいて見ているわけにはいかぬ。こちらも対策を講じよう」
「どんな対策です?」
「分からん。昨日まで蠱毒など虚構だと思っていたのだからな。まずは知識を仕入れるしかない」
「……信じていなかったのですか?」
仙霞が驚きの眼差しを向けると、楊胤はわずかに気まずそうに視線を逸らした。
「半信半疑だったのだ。まるきり信じていなかったわけではない。仕方ないだろう、霊だの妖怪だの、この目で見たことがなかったのだから」
「猫鬼を見たではありませんか」
「あれは……人を欺く仕掛けでもあるのかと思っていたのだ」
良く言えば用心深い。悪く言えば頭でっかち。
仙霞は心の中でそう評した。
「とにかく、まずは情報収集だ。呪い返しの方法を調べねばならん」
「私、知っていますよ?」
「は? それなら、なぜ『死ぬかもしれない』などと言った」
「呪い返しができても、相手の蠱術が上なら跳ね返せませんから」
「……剣の腕前と同じか。だが、知らなければ対策の立てようもない。工夫の余地はある」
仙霞は思い出す。楊胤は科挙に及第した秀才であることを。
(頭の良い人って、まず勉強から入るのね)
真面目なことだと感心する。
「では早速、明日から内侍書庫に籠って調べるぞ」
楊胤の言葉に、仙霞は飛びつかんばかりに身を乗り出した。
「私も行っていいのですか⁉」
瞳をきらきら輝かせ、まるで押し倒さんばかりに迫る。
「お、おう……その方が効率も良いからな」
「ありがとうございます!」
仙霞は思わず楊胤に抱きついた。
「いいから、抱きつくな」
楊胤はぞんざいに仙霞の顔を押し退ける。
「すみません、つい……。あれ? 楊胤様、耳が赤いですよ?」
「お前が俺を強く圧迫したからだ」
ふいと顔をそむける楊胤。そこまで力を込めた覚えはないのだが、と仙霞は首をかしげる。
その様子を見ていた猫鬼が、いつの間にか現れ、『なゃあ』と笑うように鳴いた。




