蟲毒の心臓
「お前も手伝え。さっさと終わらせるぞ」
仙霞も迷いなく鍬を振り下ろす。
豪快そのものだ。躊躇する気配など一抹もなかった。
あっという間に、木棺が姿を現した。
桧造りの箱は思いのほか小さく、子どもや赤子を納めるためのものだろう。
両手で持ち上げられるほどの大きさで、土の中から引き上げ、地面に置く。
「それでは、開けますよ。心の準備はよろしいですか?」
「ああ……頼む」
鼓動が脈打つ。なんて不道徳なことをしているのか──罪悪感に胸が締めつけられる。
それでも、ただ後ろめたいだけではなかった。
ついに蠱毒か病死か、真相が明らかになる。高鳴る胸は期待にも似ていた。
蓋の留め具は簡素な造りで、すぐに外れた。
現れたのは、黒く焼け焦げた塊。
虫に食い荒らされたように無数の穴が空いている。
話に聞いた通りの異様な姿だった。
「……これは何の臓器だ」
「心臓でしょうね」
楊胤は思わず距離を取ったが、仙霞は顔を近づけ、食い入るように見つめる。
「心臓だけが焼け残ったというのか」
「そのようです」
「そんな不可解なことが……」
「はい。ですから、これは蠱毒による呪殺です」
あっさり断定され、楊胤は深く嘆息をついた。
呪いや怨霊など信じない楊胤でさえ、これは認めざるを得なかった。
突然現れた猫鬼、心臓だけが焼け残っているという事実──目の前の現実が、否定の余地を残さず突きつけられたのだ。
根拠のない否定はもう通用しない。
「俺は、とんでもなく厄介なことに巻き込まれてしまったようだ」
楊胤は前髪をかき上げ、低く呟く。
すると、無数の穴の開いた心臓に向けて見入っていた仙霞が振り返った。
「厄介なんて可愛い話ではありませんよ。これは命懸けの戦いになります。正直、これを見るまでは舐めていました──とんでもない呪術量です」
仙霞の瞳孔が揺れ、よく見ると体が小刻みに震えているのが分かった。
「お前でも恐怖で震えるのか?」
楊胤は、まるで信じられないものを見つめるように呟いた。
突然現れた猫鬼や、見るに堪えない心臓の光景よりも、その震えが何より衝撃的だった。
「死ぬかもしれません、私」
「なっ──!」
冗談を言う性格ではないだけに、その言葉の重みが胸にのしかかる。
どうしてか、指先が震えていた。
これから訪れる未知の出来事への恐怖か。それとも、目の前の女を失うかもしれない怖れからか。
『なゃあ』
猫鬼が仙霞に身を寄せ、まるで励ますように鳴いた。
仙霞は猫鬼を抱き上げ、ふらつきながらも立ち上がる。
「閉めてください。……この呪力は、私には強すぎます」
暗がりで気づかなかったが、その顔は蒼白に染まり、額からは汗が滲み出ていた。
今にも倒れそうなほどに憔悴している。
「分かった。あとは俺に任せろ。お前は休んでいろ」
楊胤は急いで棺の蓋を閉じ、掘り返したことが悟られぬよう丁寧に土を戻す。
記憶力の良さを生かし、花も元の位置に違わず置き直した。
周囲を一巡して抜かりがないか確認すると、仙霞のもとへ戻る。
「大丈夫か」
「……猫鬼を抱いているので、なんとか。禍々しい力が体に入り込まないよう、防いでくれているようです」
「そうなのか。俺はなんともないが」
「楊胤様は霊的に鈍感体質だからでしょう」
それは褒め言葉なのか、それとも貶し言葉なのか。
だが、平気でいられるのは確かに有り難い。
楊胤は仙霞の鍬を持ち、足早に歩き出す。
夜陰に紛れているうちに戻らなければならない。
猫鬼を抱いた仙霞と並び、急ぎ墓地を後にする。
下弦の月が弓なりの光を落としていた。
その白さは、まるで屍が這い伸ばす冷たい爪のように見える。
静けさの底に潜む不穏な予感が、じわじわと胸の奥を這い上がってきていた。




