月下に眠る真実
(あいつといると、どうも調子が狂う)
漆黒の闇の中、楊胤は寝台からそろりと身を起こし、心内でひとりごちた。
あいつとは──蠱師見習いの仙霞のことだ。
なぜ自分は、死者の墓を暴くなどという不届きな真似をしようとしているのか。蠱毒かどうかを見極めたいとはいえ、やりすぎではないか。そう思わなくもない。
けれども、ここまで来て引き下がれるものか。乗りかかった船、突き詰めるしかあるまい。
東宮に戻り、夜更けに再び後宮の大門を抜けるのはさすがに怪しまれる。
そこで、使われていない棟を一夜の宿とした。
仙霞は華蠱宮出身であることを隠し、楊胤付きの女官という体でいる。
この棟で眠っているのは、仙霞と楊胤、そして敬宋だけ。
墓暴きに敬宋を巻き込むのは忍びなく、置いて行くつもりだった。
手燭に火を灯し、仙霞の寝室へ足を運ぶ。
(起きているはずだ)
いや、そもそも起きていろと命じたのだ。眠っているわけが──
扉を軽く叩く。返事はない。
もう一度、強めに叩いたが、音も気配も返ってこない。
苛立ちを覚え、勝手に扉を押し開ける。
寝台の側にいき、手燭で灯りをかざすと、仙霞の顔が浮かび上がった。
(熟睡している)
桃色の唇から、規則正しい寝息が零れていた。
呆れを通り越し、怒りさえこみ上げてくる。
(墓を暴けと言い出したのはお前だろう)
白い餅のような頬を摘んでやろうかと、指を近づけ──間際で止まった。
灯りに照らされた寝顔が、思いのほか綺麗に見えたのだ。
長い睫毛。ほんのり開いた桃色の唇。
寝顔は清楚で可憐な少女そのものだが、ときに垣間見せる妖艶な面差しは、十八とは思えぬほど艶めいている。
悪魔の囁きのように悪事へ誘う様を思い出し、鳥肌が立つほどの艶美に、楊胤は息を呑んだ。
年上であるはずの自分が、酸いも甘いも知る女に翻弄されているようで──思わず頬が熱くなる。
けれど同じ彼女には、思ったことをそのまま口にする短絡的さがあり、唇を尖らせて怒る様子など、幼子のようでもあるのだ。
知的好奇心が行き過ぎていて、気味の悪いことも平気でやってのける。こんな女、今まで見たことがない。
掴みどころのない魅力に、気づけば翻弄されていた。
人を簡単には信じない楊胤だったが、仙霞に嘘はないことは早々に分かっていた。
頭が切れるくせに処世術には欠け、苛立たせることも多いが──それでも信頼に足る人物だ。
頭の良さゆえ周囲から「変わり者」と見られる者は科挙の同士にも少なからずいた。
楊胤は天才肌ではなく努力型。
だからこそ、自分にないものを持つ仙霞に心惹かれるのかもしれない。
不慮の事故で押し倒してしまったあのとき。
心臓が不意に跳ね、時がひと呼吸だけ止まった。
鼓動が嘘のように騒ぎ、呼吸の仕方さえ忘れた。
なぜか、仙霞の力強い眼差しに吸い寄せられるようで──
(一体どうしたというのだ、俺は)
あの感覚を思い出し、頬に伸ばしかけた手を引っ込める。
触れたら、もう引き返せない気がしたからだ。
そのとき、気配に気づいたのか、仙霞の瞼がぴくりと動いた。長い睫毛が上を向き、目が合う。
本来なら、寝室に男が立っていれば悲鳴を上げる場面だろう。だが仙霞は大きなあくびをして、眠たげな瞳を向けてきた。
緊張感のかけらもない様子に、呆れるばかりだ。
こんな奇妙な女に惹かれるのは、未知の生物への好奇心のようなもの──そうに違いない。
もし女性として興味を持っているのだとしたら、自分の女の好みを疑うしかない。
「おい、仙霞。行くぞ」
「はい」
仙霞はすっと身を起こし、黒の長衣を頭から羽織った。
その姿はまるで魔術師のようだ。大きな瞳に、不敵な笑みを浮かべた唇が映え、妖しさがすっかり板についている。
「楽しみですねぇ」
「楽しみにしていたなら、寝るな」
楊胤も同じく黒の長衣を被り、夜の闇に身を溶かした。
手には農具用の鍬を握りしめる。
二人は後宮の奥、ひっそりとした墓地へと向かった。
本来なら妃の墓は皇帝の陵墓に近く葬られる。
だが梅昭媛は蠱毒による呪殺の疑いをかけられ、そこに眠ることは許されなかった。
実家すら受け取りを拒み、後宮の墓地に密やかに埋葬されている。
悪女であれば情も湧かなかったかもしれない。
だがそうではなかったからこそ、楊胤は不憫さを覚える。
下弦の月が冷たく照らし出す墓地は、ひどく静まり返っていた。
そこは不気味なほど静かで冷たい場所だった。




