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蠱毒の後宮妃  作者: 及川 桜
第五章 後宮の四夫人

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宇徳妃の宮

「さて、次は徳妃だ。正一品である太尉たいいの娘で、十八歳。最近入宮したばかりだ」


「私と同い年ですね。これまで徳妃はいなかったのですか?」


 その問いに、楊胤の目が一瞬、切なげに濁った。


「もちろん、いた。貴妃と淑妃は変わらずに座を守っているが……徳妃と賢妃は、世代交代が繰り返されてきた。帝は若い女性を好むからな」


「子を増やす使命のためでは?」


「いいや。あまり増えすぎれば、争いを呼ぶだけだ」


 その声音には、どこか苦い影が差していた。


梅昭媛も二十二歳だったと聞いている。


皇帝の子を宿したがゆえに呪殺されたのだとすれば──たしかに争いを増やすだけだ。


すでに成人した皇子が何人もいるのだから、これ以上子を増やす必要はないはずだ。


「お子様は?」


「まだいない。お手付きにもなっていないと聞く」


「どうしてでしょう?」


「……まあ、会えば分かるさ」


 楊胤は意味ありげにそう言って、会話を打ち切った。


 そうして一行は、宇徳妃の宮殿へと辿り着いた。


 庭園は色とりどりの花木に囲まれ、まるで小さな広場のように開けた造り。


妃によって宮殿の趣が異なるものだと、仙霞は妙に感心する。


 揺淑妃の宮に比べれば、規模はずっと小さい。


年配の侍女に導かれ庭を進んでいると、裳裾を華やかに揺らしながら、ひとりの少女が駆けてきた。


「お待ちください!」


と慌てて追いかける侍女たち。


 何事かと見守る仙霞の前に、その少女は立ち止まり、息を弾ませながらも無邪気な笑みを浮かべた。


「お待ちしておりました! 楊胤様」


 大輪の花が咲きほころぶような笑顔を、少女はまっすぐに楊胤へ向けた。


「お久しぶりです、宇徳妃」


 楊胤がそう呼ぶと、仙霞は思わず目を丸くする。


 宇徳妃は十八歳のはずだ。だが目の前の少女は十五、六にしか見えない。


体つきもまだ幼く、色香とは無縁の、ただ無邪気な印象しか与えない。


「今日はお天気もいいから、四阿あずまやでお茶にしましょう」


 宇徳妃は当然のように楊胤の腕へ絡みつき、軽やかに歩き出す。


 小さな子どもに懐かれているような感覚なのか、楊胤は照れるでも拒むでもなく、そのまま受け入れている。


 宇徳妃が楊胤を慕っていることは明らかだった。


 四十五歳の壮年の帝に嫁ぐより、眉目秀麗な若い皇子を想う方が自然だろう。


そう考えると、宇徳妃の境遇が不憫にも思える。


(……お手付きがない理由が分かったわ。さすがに、この子に手を出していたら引く)


 やがて二人は庭園の中の四阿──壁のない涼やかな休憩所に腰を下ろした。


 仙霞と敬宋、そして宇徳妃の侍女たちは脇に立ち、静かにその様子を見守る。


「私、今日をずっと楽しみにしていたのですよ。楊胤様が宮に来てくださるなんて夢のよう。いつでも来てくださっていいのですからね」


「そうはいきません。宇徳妃は父の大事な妃なのですから」


 楊胤の言葉に、宇徳妃は頬をぷうっと膨らませた。


怒る様子すら幼く、これでは皇帝どころか楊胤からも、女性として相手にされないのが目に見えている。


「私、お父様から無理やり後宮に入れられて恨んでいたのですけれど……徳妃という立場は気に入っておりますの。だって、楊胤様のお母様も徳妃だったのでしょう?」


「いえ、私の母は徳妃様の侍女頭です」


「似たようなものよ。運命的なものを感じませんか?」


「……そうでしょうか」


(知らなかった。楊胤様のお母様は、元徳妃の侍女頭だったのね)


 思わぬところで、楊胤の出自を知ってしまった。どこか訳ありの影がのぞく。


 女官といえど、高位の妃に仕える者は容姿端麗で、下級妃よりも上等な衣装をまとい、華やかさを備えている。


とはいえ、それはあくまで仕える妃の品位を高めるためであって、皇帝の目を引くためではない。


 だが、最も身近な侍女が皇帝の寵を得れば、妃にとっては屈辱でしかない。


関係が悪化するのも必然だ。


 楊胤の皇位継承権が低いのも納得できる。


侍女の子どもなど、後宮妃たちからすれば疎まれて当然。


 科挙に及第するほどの才がありながら、蠱毒の罪人探しを押しつけられた理由も、ようやく合点がいった。


宇徳妃との懇談も終わり、残るはかん賢妃のみとなった。


 仙霞はただ側で聞いていただけだが、高位の妃と立て続けに対面し、さすがの楊胤もどこか疲れをにじませている。


「宇徳妃はどうだった?」


「考えも行動も幼いですね。もし彼女が罪人だったとしても、侍女に唆されるなどしない限り、自ら蠱毒に手を出すとは思えません」


 年若い妃だからか、侍女には年配が多く、まるで子守りのように付き従っていた。


だが──幼いがゆえに、悪賢い大人に利用される危うさはある。


「俺もそう思う。あんな少女を四夫人に加えるとは……帝はなぜ断らなかったのか」


 吐き捨てるような声。


そこには父である帝への侮蔑がはっきりとにじんでいた。


 完全なる政略結婚であることは分かる。


だが歳若い妃の心情など、誰も顧みてはいないのだ。


 仙霞も一応は後宮妃。


帝に望まれれば、夜を共にせざるを得ない。


考えただけで、嫌悪感に肌が粟立つ。


それが嫌で華蠱宮に籠ったようなものだった。


──ふと、仙霞は自らが安紗国の公主となった経緯を思い出す。


麝香の濃い匂いが漂う中、交わる男女の裸体と、怪しげな儀式。


幼き日の仙霞の眼前で繰り広げられた、大人たちの醜悪な光景は、今なお鮮烈に記憶へ焼きついている。


 ──宇徳妃があれほど幼さを漂わせているのも、もしかすると。


 意識的か無意識かは分からないが、手を出されぬよう成長を止めているのかもしれない。


「こんなことを申したら首を刎ねられそうですが……帝はあれですね、なかなか……あれですね」


 さすがの仙霞も、言葉にするのを憚った。だが「あれ」で楊胤には通じたらしい。


「先ほども少し話したが、俺の母は前徳妃の侍女頭だった。母の名誉のために言っておくが、母が帝を誘惑したわけではない。望んでもいなかった。前徳妃と同じ時期に出産していることからも分かるように、おそらく帝は、徳妃の元へ通ったついでに母にも手をかけたのだろう。そして、前徳妃は女を産み、母は男を産んだ。その後、帝は前徳妃を降格させ、母を徳妃に据えるよう手配した。……だが、母は前徳妃に申し訳が立たぬと自害した」


 壮絶な生い立ちを告げられ、仙霞は息をのむ。言葉が出てこなかった。


「どうして、そのようなことを私に?」


「……もしかしたら、この情報も必要になるかもしれないだろう。帝は業が深いのだ」


 四夫人と向き合ううちに、自然と帝の素顔も垣間見えてきた。


 確かに、今聞かされた話は、帝の鬼畜さを最も端的に示す出来事だ。


 蠱毒は、恨みや呪いの感情が引き金となって生み出される。


 女たちの怒りや怨嗟が折り重なり、凝り固まり、いまや後宮にはそれが淀みのように充満しているのかもしれない。


すっかり気分が沈んでしまった。


四夫人の話題にはもううんざりするほど疲れ果てていたが、これで最後だ。


仙霞は残る気力を振り絞り、宮殿へと足を向ける。


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