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蠱毒の後宮妃  作者: 及川 桜
第四章 皇子の女官

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新たな宮と不本意な誤解

改めて周囲を見渡すと、楊胤の背後に見慣れぬ宦官が控えているのに気づく。


 白髪の混じる髪を黒帽で覆い、灰色のほうをまとっている。目は細く、穏やかな笑みを浮かべながら、両手を袖の中に収めていた。


内侍長は来ていないらしい。


一応の礼儀として軽く頭を下げてみる。


すると見慣れない宦官は、深々と揖礼ゆうれいをささげた。


その姿を見て、初対面の挨拶に軽く頭を下げるだけでは失礼だったかもしれないと仙霞は思い至る。


「この者は敬宋けいそうだ。後宮にいる間、俺の側仕えをしてもらう」


「さようでございますか」


 ここでようやく仙霞も拱手の礼をした。


礼を軽んじているわけではない。ただ単に他人に興味がないため気が回らないのだ。


よく誤解されるが、悪意など微塵もない。


「用意は終わったか? もう出発してよいか?」


「はい、いつでも行けます」


 仙霞は荷を担ぎ、さっさと歩き出した。慌てたのは楊胤の方だった。


「……別れの挨拶をしなくていいのか⁉」


立ち止まって振り返ると、采女たちは楊胤を見て小さな歓声を上げ、浮き立っていた。


「……特に、いらないかと」


 仙霞の返答に、楊胤は采女たちの反応を見て、何かを悟ったようだ。


それ以上は何も言わず、ただ不憫そうな眼差しを向けてくる。


 別に寂しくも悲しくもない。むしろ、そういう目で見られる方が胸に堪える。


 かくして、実にあっさりと華蠱宮を後にした。


事案が解決すればまた戻れるのだ。大げさにするほどのことではない。


「重そうな荷だな。本当は輿こしを寄こしてやりたかったが、道が狭くて無理だった」


「お気になさらず。輿に乗る方が窮屈です」


 言ってから、少し言葉がきつかったかもしれないと仙霞は思う。


どうにも言葉選びを誤りがちなのだ。流してもらおうと、話題を切り替えた。


「これは巻物が詰まっているから重いのです。衣装は少ないのですが」


「それは重そうだな。持ってやろうか?」


 仙霞はじろりと楊胤をねめつける。


「皇子に持っていただくわけにはいきません。そんなことになったら敬宋さんが持つことになるでしょう。老体を労わってあげてください」


「大丈夫だ。敬宋はそんなに気の利く奴じゃない」


 すると敬宋は袖に両手を収めたまま、「ふぉっふぉっ」と不思議な笑い声をもらした。


 否定をしないあたり、本当に荷を持つ気など毛頭ないらしい。


なかなか風変りな宦官のようだ。


「大丈夫です。皇子様に持たせるわけにはいきませんので」


仙霞は足早に歩き出した。


すると楊胤は、悠然とした歩調でその隣に並ぶ。


「お前には今後、東宮の女官として扮装してもらう。よって、住むのは私の宮だ」


「先日伺った話では、後宮の棟を間借りするのでは?」


「うむ。本来なら妃である以上、後宮に住むのが筋だと思ったのだが……華蠱宮出身の者を受け入れてくれる妃は一人もいなかった」


 ──それはそうか、と仙霞は思う。


華蠱宮で勤めを果たした者は実家に戻り、そこで働いていたことは生涯秘密にしておく。それほど忌み嫌われる存在なのだ。


「では、東宮でも私が華蠱宮にいたことは隠すのですか?」


「もちろん一部は知っている。だが、知らぬ者も多い。ゆえに──くれぐれも変な行動はするなよ」


 変な行動とはなんだろう。虫取りくらいならいいだろうか。


しばらく歩くと、後宮の門に辿り着いた。


承天門しょうてんもんと呼ばれる政庁を越えて入ることのできる、立派な大門である。


 屋根は反りのある切妻式きりつましきで、瓦が荘厳さを際立たせている。


両脇には石柱や狛犬が据えられ、厳かな神聖さを醸していた。


 厚く大きな木製の両開き扉には獣面の引き手が取り付けられ、守衛が数人がかりで押し開ける。


 門の外には儀仗を手にした衛兵がずらりと並び、こうべを垂れていた。


 皇子と連れ立つ仙霞は、誰にも咎められることなく、あっさりと後宮の大門をくぐることができた。


(帝が崩御するまで後宮からは出られないと覚悟していたのに……不思議なものね)


 東宮は、次代の皇帝が住まう場所。つまり皇子たちのための宮殿である。


広大な敷地には豪華絢爛な建物が並び、中央の主殿を中心に官舎や衛兵の建物まで整然と配置されていた。


 さらに広大な庭園が広がり、仙霞は壮麗な宮殿群を横目にしながら奥へと進む。


 楊胤が入っていったのは、その中でも比較的小ぶりで落ち着いた趣のある宮殿門だった。


 高い塀に囲まれた敷地に足を踏み入れると、見事な庭園が広がる。


屋根は大きく反り返った重檐屋ちょうえんおくで、外観は赤と金を基調に梁や柱にまで精緻な彫刻が施されている。


(……さすが皇子)


 楊胤は皇位継承権の低い皇子であり、敷地も他の宮殿に比べれば控えめらしい。


けれど仙霞にとっては十分すぎるほど美麗で壮大に映った。


正殿に入ると、年嵩としかさの女官が弾むような足取りで駆け寄ってきた。


「まあまあ、この子が──楊胤様が特別にお世話しているという女官でございますか。やっぱり……わたくしの女の勘は当たりましたわ!」


 手を叩いて喜ぶ女官に、仙霞は小首をかしげる。……何を言っているのか、さっぱり分からない。


 楊胤は口の端を引きつらせ、苦笑を浮かべた。


「事情があって、しばらく預かるだけだ。変な勘違いをするな」


「まあまあ、照れちゃって。ではこの子の寝所は、楊胤様のお隣にいたしましょうか?」


 その言葉に仙霞は慌てて口を挟む。


皇子の隣の部屋などにされては、夜中に虫を探す音ひとつ立てるのも気を使ってしまう。


「わ、私の寝所でしたら、宮殿の端の物置小屋で十分です!」


「あらあら、殊勝な子ね。楊胤様が目にかけるだけのことはあるわ」


 ここでようやく仙霞は気づいた。


女官は盛大に勘違いしている。──どうやら、自分が楊胤の女だと思い込んでいるらしい。


 楊胤はこめかみに指を当て、うんざりしたように言った。


「離れに別棟があっただろ。そこを使わせろ」


かくして仙霞の住まいは、正殿とは別の棟に決まった。


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