第221話:先手の先
先に動いたのはラグネアだった。
ドラグラギアが頭上から振り下ろされる。
赤黒の刀身、その中心を走る蒼白が一瞬だけ強く光った。
ゼルヴォードは受けない。
ラグネアが踏み込んだ、その時にはもう正面にいなかった。
「……っ!」
右側。
視界の端で、白蒼晶アルグレイアの蒼が揺れる。
避けたというより、最初からそこを外していたような動きだった。
ラグネアは振り抜かない。
すぐに腰を返し、ドラグラギアを引き戻す。
そのまま横へ薙ぐ。
白蒼晶アルグレイアが受けた。
硬い音が旧格闘技場に響く。
そこから止まらない。
ラグネアはさらに踏み込み、下から斬り上げる。
ゼルヴォードが受ける。
返して、今度は肩口を断つ高さで叩き込む。
ゼルヴォードはそれも受けた。
一撃目は真正面。
二撃目は刃を滑らせて流し、三撃目は角度を変えて噛ませる。
ラグネアはそこで間を置かない。
ドラグラギアを返し、足を払う高さへ落とし、さらにそのまま頭上から叩き落とす。
全部が一つの流れだった。
大剣を振っているのに、振るたびに止まる感じがない。
観客席の上で、フェルミナが思わず身を乗り出す。
「すごい……」
「ええ」
カリーナも下の戦域から目を離さない。
戦域の中央では、ゼルヴォードがまだ崩れていなかった。
だが、余裕があるわけでもない。
ラグネアの連撃は重さよりも流れが厄介だった。
一手ごとに切れず、受けた瞬間に次が来る。受け方を間違えれば、そのまま押し込まれる。
ゼルヴォードは白蒼晶アルグレイアでそれを受け、流し、噛ませ、押し返す。
ラグネアはその感触を掴んでいた。
押せている。
崩せてはいないが、流されて終わりでもない。
だからさらに踏み込む。
「まだだ!」
ドラグラギアを頭上に引き、真正面から叩きつける。
ゼルヴォードが受ける。
その受けへ乗せるように、ラグネアは柄を返して下から跳ね上げた。
白蒼晶アルグレイアがまた受ける。
そこへさらに横一文字。
今度はゼルヴォードは受けきらなかった。
白い刃を噛ませたまま、ドラグラギアの軌道を外へ押しやる。
ラグネアの一撃がわずかに流れる。
その瞬間、ゼルヴォードの返しが来た。
喉元を狙った一線だった。
ラグネアは首をずらし、紙一重でそれを外す。
髪が数本、遅れて肩へ落ちた。
「今ので終わっててもおかしくなかったな」
「終わってないだろうが」
ラグネアは言い返し、そのまま距離を切る。
呼吸は荒い。
だが、まだ落ちていない。
腕の紋が熱を帯びる。
ドラグラギアの中心を走る蒼白が、呼応するように淡く明滅した。
観客席で、ラズネリアが小さく目を細める。
「……なるほどの」
その横で、カリーナが息を詰めた。
「剣の反応が、また変わりました」
「分かるの?」
「細かい攻防までは無理です。でも、ラグネアさんの方はもうかなり深く通しています。それでもゼルヴォードさんの流れが乱れていません」
フェルミナは観客席の縁を握ったまま、下の戦域を見つめていた。
ラグネアがどれだけ凄いかはもう分かる。
それなのにゼルヴォードが崩れないことの方が、今はもっとはっきり見えていた。
ラグネアはまた踏み込んだ。
今度は右から回り込む。
ゼルヴォードの利き側へ入る角度だ。
普通なら悪手だ。
だがラグネアは、その不利ごと押し潰せるだけの腕力と踏み込みを持っている。
ドラグラギアが下から跳ね上がる。
ゼルヴォードは白蒼晶アルグレイアを下に差し込み、そのまま受ける。
受けた瞬間、ラグネアはもう次へ繋いでいた。
上から断ち割る。
返して横に払う。
さらに踏み込み、今度は正面から叩きつける。
火花が散る。
旧格闘技場の床石が割れ、細かな砂が舞った。
ゼルヴォードはそこで初めて一瞬だけ押し込まれた。
靴底が石床を擦り、白蒼晶アルグレイアの蒼が深くなる。
観客席の上で、フェルミナが思わず声を漏らす。
「押した……?」
「ええ」
カリーナが低く答える。
「今のは、押しました」
だがその次で、ラグネアの表情が変わる。
押したはずなのに、もうそこが決める場所ではなくなっていた。
ゼルヴォードは受けたまま位置をずらしている。
真正面で押し合っていたはずなのに、次の瞬間には斜めへ抜ける形になっている。
ラグネアはすぐに追う。
ドラグラギアを引き戻し、体ごと捻って横へ薙ぐ。
ゼルヴォードはそこへ白蒼晶アルグレイアを噛ませた。
正面からだ。
金属音が鳴る。
今度は流さず、その場で受ける。
ラグネアはそのまま押し切ろうとした。
ここなら届く。
そう思った。
だが、届かない。
白蒼晶アルグレイアは押し返してはいない。
それなのに、押し込んだ先の角度がわずかに狂っている。
ラグネアの斬線が、最も深く入る場所を外されていた。
「……またか!」
叫ぶように言い、ラグネアは無理やり流れを変える。
本来なら大剣でそんな切り返しはしない。
だがラグネアの体は、それを無理としない。
踏み込みをねじ切り、腰を返し、頭上から真っ直ぐ叩き落とす。
今の自分が出せる、ほとんど限界の一撃だった。
観客席の上で、ラズネリアが静かに息を吐く。
「これほどか……」
視線は戦域から動かない。
ラグネアは全部出している。
なのに、ゼルヴォードはまだ立っている。
いや、立っているだけではない。
受けるたび、外すたび、戦いそのものの流れを握っている。
下ではゼルヴォードが白蒼晶アルグレイアを構え直していた。
今までと同じ構えだ。
派手なものではない。
それなのに、場の空気だけが変わる。
ラグネアの背筋に冷たいものが走った。
「……っ」
今までとは違う。
強い、ではない。
もっと別のものだ。
ここまではまだ見せられていたのだと、本能が告げる。
それでもラグネアは止まらない。
ここで止まれば、見たかったものに届かない。
ドラグラギアを握り込み、そのまま踏み込んだ。
真正面。
小細工は捨てる。
今の自分の全部を、その一撃へ乗せる。
ドラグラギアが振り下ろされる。
ゼルヴォードが動いた。
何をされたのか、ラグネアには分からなかった。
受けられた感触はあった。
だが、押し合った感触がない。
次の瞬間には、ドラグラギアが自分の外へ流されていた。
腕も、腰も、全部が一拍遅れて崩れる。
気づいた時には、白蒼晶アルグレイアが喉元へ静かに届いていた。
ラグネアは止まる。
ドラグラギアは間に合わない位置へ外されている。
返しもない。
一拍遅れて理解が来た。
今、死んでいた。
その瞬間、観客席からラズネリアの声が落ちた。
「そこまでじゃ」
同時に空間が震える。
ゼルヴォードとラグネアの間へ、見えない膜のようなものが一枚滑り込んだ。
白蒼晶アルグレイアの切っ先はそれ以上進まず、ドラグラギアの返しもまた届かない。
ラズネリアが観客席から立ち上がる。
「勝負あり、じゃの」
旧格闘技場に静けさが落ちた。
ラグネアは喉元にある白い刃を見つめたまま、ゆっくり息を吐く。
「……届かないわけだ」
悔しさはある。
だが、それ以上に納得があった。
見たかったものは、確かにそこにあった。
ゼルヴォードは白蒼晶アルグレイアを引く。
「これが今のお前と、俺の差だ」
「ああ」
ラグネアは目を逸らさなかった。
「よく分かった」
そこで終わるはずだった。
だが、ラズネリアの声が再び落ちる。
「いや、まだじゃの」
ゼルヴォードが嫌そうな顔をする。
「お前、また何か考えてるな」
「考えておるとも」
ラズネリアは戦域を見下ろしたまま、どこか楽しげに言った。
「剣を交えた差は見えた。じゃが、戦いはそれだけではあるまい」
「……何をする気だ」
「せっかく場を切っておる。なら、実地も見ておいた方が早い」
ラグネアが目を細める。
「実地?」
「うむ」
ラズネリアは、まるで茶の続きを勧めるみたいな口調で言った。
「昔、ちと面倒での。別の場へ放り込んでおいたものがある」
「その言い方、嫌な予感しかしません」
「安心せい。今回は出す場所を選んでおる」
カリーナが観客席の上で静かに眉を寄せた。
「その“面倒で放り込んだもの”って、まさか生き物ですか」
「うむ」
「安心要素が一つもありません」
「そんな大げさな」
「ラズネリアさんがそう言う時は、大体大げさじゃ済みません」
フェルミナの声も硬かった。
ゼルヴォードは低く息をつく。
「やめろ」
「嫌じゃ」
「即答か」
「面白いではないか。対人の立会いだけでは見えぬ差もある」
そこでラズネリアは、少しだけ楽しそうに目を細めた。
「それに、おぬしも知っておる相手じゃろう」
「……は?」
ゼルヴォードの眉がわずかに動く。
その反応だけで、ラグネアは少しだけ背筋が冷えた。
「おい、まさか」
「そのまさかじゃ」
ラズネリアが片手を上げる。
次の瞬間、戦域の中央から少し外れた空間が、紙のように薄く裂けた。
黒い裂け目だった。
そこから、先に熱が溢れる。
火ではない。
熱だ。
空気の密度そのものが変わるような、重く乾いた熱気が旧格闘技場の中へ流れ込む。
フェルミナが思わず一歩下がる。
「な、何……?」
「来ます」
カリーナの声も緊張で細くなった。
裂け目がさらに開く。
その奥から、先に見えたのは角だった。
黒鉄に赤が滲んだような色の、太く湾曲した角。
次いで覗くのは鱗。赤黒い甲殻のような鱗が何枚も重なり、その一枚一枚が刃みたいに硬そうに光っている。
最後に現れた頭部は、まさしく竜だった。
大きい。
旧格闘技場の戦域に収まってはいる。
だが、それは収まっているというだけで、小さいわけでは決してない。
四肢は太く、首は長く、尾は床を引きずるだけで石を砕きそうだった。
翼はあるが大きくは開かず、飛ぶためというより身体の釣り合いを取るために畳まれている。空を舞う竜ではなく、地を蹂躙するための竜に見えた。
竜は裂け目から完全に這い出ると、低く喉を鳴らした。
咆哮ではない。
まだ、威嚇にも満たない音だった。
それだけで観客席の空気が震える。
ラグネアはすぐにドラグラギアを構えた。
「……ドラゴンか」
「灼鱗竜じゃの」
ラズネリアがのんびりと言う。
「殺すほどでもなかったが、放すのも面倒での。昔、次元の隙間へ押し込めておいたやつじゃ」
「保管みたいに言うな」
「便利だったぞ?」
「便利で済ませるな」
ゼルヴォードはそう言ったが、その視線はもう竜から離れていなかった。
ラグネアはそれを見て気づく。
知っている目だ。
「……あんた、こいつを知ってるな」
「ああ」
「戦ったことがあるのか」
「ある」
ゼルヴォードの返事は短い。
「面倒な竜だ。やたらと体力がある」
「強い、じゃなくて?」
「面倒だ」
その言い方に、ラグネアは逆に厄介さを察した。
ゼルヴォードが「強い」ではなく「面倒」と言う相手。
それは単純な力より、倒し切るまでの手間が異常なのだろう。
灼鱗竜が頭を上げる。
黄色く濁った眼が、まずゼルヴォードを捉えた。
次にラグネアを見る。
鼻先から漏れる息は、炎ではなく灼けた金属みたいな熱を帯びていた。
ラズネリアが観客席から言う。
「では、続きといこうかの」
「続きって言うな」
「共闘もまた、差を見るにはちょうどよい」
フェルミナは観客席の縁を握ったままだった。
「ちょ、ちょっと待って、これって模擬戦じゃなくなってるよね?」
「最初から立会いじゃと言うておるじゃろう」
「そういう問題じゃないです!」
「安心せい。死ぬ前には止める」
「その安心が一番怖いんですけど……!」
カリーナはフェルミナの肩へ手を置きながら、下を見つめた。
「……でも、見た方がいいですね」
「カリーナさんまで」
「ええ。これは、たぶん」
戦域では、ラグネアがゼルヴォードの方へ目だけを向けた。
「どうする」
「まず足を止める」
「正面から行けばいいか」
「構わん。だが、首に気を取られるな」
「急所じゃないのか」
「急所ではある。だが、すぐには落ちん」
言いながら、ゼルヴォードは白蒼晶アルグレイアを構え直す。
「前肢と首の付け根を見る。そこを崩せば、次が通る」
「……分かった」
ラグネアが短く答えた、その瞬間だった。
灼鱗竜が吼えた。




