第205話:起きてはならないもの
ラズネリア・メテオ・ノクサリスと学園で出会ってから、数日が過ぎた。
あの小さな賢者のことは、妙に記憶に残っていた。
フェルミナを見た時の静かな反応もそうだが、ゼルヴォードへ向けられた視線もまた、ただの観察では終わっていなかった。
もっとも、だからといって自分から関わりに行く気はない。
何かあるなら向こうから来る。そう思っていた。
そして、その予感は外れなかった。
「……本当に来たか」
工房の前に立つ小柄な影を見下ろし、ゼルヴォードは低く呟いた。
淡い藤色の髪。幼い見た目。だが、その目だけは少しも年相応ではない。
ラズネリアはいつも通りの淡白な顔でゼルヴォードを見上げた。
「来てはならなんだかの?」
「そうは言ってない。だが、あんたみたいなのが一人で来るとは思わなかっただけだ」
「一人の方が面倒が少ない」
それはたしかにそうだ。
アステリアでも連れて来られれば、それだけで話が広がる。
「何の用だ?」
「少し付き合え」
相変わらず説明が足りない。
ゼルヴォードは眉を寄せた。
「断ったら?」
「構わぬ」
ラズネリアはあっさりと言う。
「その場合は、王都に妙な鍛冶屋がおるという噂も、その程度だったというだけじゃ」
ゼルヴォードはしばらく無言で見下ろし、それから小さく鼻を鳴らした。
「煽るのがうまいな」
「必要なことを言うておるだけじゃ」
「で、どこへだ?」
「街外れの古い遺構じゃ。見せたいものがある」
「見せたいもの?」
「うむ。おぬしにとっても、無関係ではないかもしれん」
その言い方が妙に引っかかった。
曖昧だが、まるで確信がないわけでもない声音だった。
「最初から全部言え」
「全部は、見てからの方が早い」
そう返されると、ますます面倒臭い。
だが、ここで追い返しても、この女はまた日を改めて現れる気がした。
ゼルヴォードは短く息を吐く。
「半日で戻れるんだろうな?」
「そのつもりじゃ」
「そのつもり、が一番信用ならん」
ぼやきながらも、ゼルヴォードは戸を閉めた。
王都グランベルグの外れ。
旧街道から外れた先に、半ば打ち捨てられたような石造りの遺構があった。
小さな礼拝堂にも見えるが、近づけばただの廃墟ではないと分かる。壁や床には術式の痕跡が深く染み込み、ただ古いだけではない、重く癖のある空気が残っていた。
「ここか」
「うむ」
「随分と人目につかない場所を選ぶもんだな」
「人目についてよいものでもないのでな」
ラズネリアはそのまま奥へ進む。
ゼルヴォードも続いた。
地下へ下りる石段は風化していたが、途中から急に保存状態が良くなった。誰かが手を入れたというより、長く封じられていたせいで傷みが遅かったのだろう。
やがて二人は、広めの地下空間へ辿り着いた。
訓練場のようにも見える。
だが、武人のための場所というより、何かを試し、観測し、制御するための部屋に近い。床には幾重もの刻線が走り、その中央に黒ずんだ金属の台座が置かれていた。
ゼルヴォードは一歩踏み込んだところで、空気の質を読むように目を細めた。
「……止めるための部屋か」
「ほう」
ラズネリアが少しだけ振り返る。
「分かるかの?」
「見ればな。閉じる形の術式が多い。中の何かを守るってより、出さないための作りだ」
「悪くない」
ラズネリアは満足ともつかぬ調子で言った。
「その先に、見せたいものがある」
そう言って、地下空間の奥へ視線を向ける。
そこには、擦り切れた紋様の刻まれた石扉があった。扉そのものは大きくないが、まとわりつく気配が妙だ。ただの封印扉ではない。
ゼルヴォードは扉を一瞥してから、台座の近くへ視線を落とした。
何かある。
朽ちた金属の残骸のようにも見えるが、ただの廃材ではない。人型の名残があった。
「……古い兵装か?」
「停止しておる。少なくとも、わしが最後に見た時はの」
「最後っていつだ」
「かなり前じゃ」
「参考にならんな」
ラズネリアは気にした様子もない。
「少し見てみるがよい。おぬしなら分かるかもしれぬ」
ゼルヴォードは無言で近づいた。
完全に信用しているわけではない。だが、こういう古い構造物に対して、職人としての興味が先に立つのは否定できなかった。
台座の上に残された兵装は、半ば朽ち、外殻の一部も崩れている。
だが、形の癖には見覚えがあった。
肩の張り方。関節の厚み。片腕に寄せられた武装設計。
ゼルヴォードの目が細くなる。
「……オルグレイヴか」
だがすぐに、わずかに首を振った。
「いや、違うな。もっと古い。オルグレイヴ系の前身か、近縁か……そんなところだ」
ラズネリアが横目で見る。
「それを知っておるとはな」
「昔、遺跡で似たようなのと何度かやり合った」
ゼルヴォードは兵装の残骸を見たまま答えた。
「見た目より速い。外殻を割っても止まらん。術式核を潰さなきゃ、いつまでも動く。面倒な代物だ」
「うむ」
ラズネリアが小さく頷く。
「やはり、おぬしを連れてきて正解じゃったかもしれんの」
その時だった。
床の刻線が、かすかに明滅した。
ゼルヴォードの眉が動く。
「……おい」
次の瞬間、台座の上の残骸がびくりと震えた。
低い唸り。
空気が軋む。
ラズネリアの目がわずかに見開かれる。
「なに?」
朽ちていたはずの兵装が、ゆっくりと身を起こした。
崩れた外殻の隙間から鈍い光が漏れ、死んでいたはずの刻線が赤黒く脈打ち始める。
ゼルヴォードは舌打ちした。
「停止してるんじゃなかったのか?」
「そのはずじゃった」
「そのはず、で済ませるなよ!」
言い終わるより早く、兵装が動いた。
速い!
外殻の古さを感じさせない踏み込みで、ゼルヴォードへ一直線に迫る。
狙いが正確すぎる。
ただ起動したのではない。明確にこちらを敵と見ている。
ゼルヴォードは半歩だけ身をずらしてかわし、その軌道を見て顔をしかめた。
「ちっ……やっぱりこの類か」
兵装はそのまま地を削るように旋回し、2撃目へ繋げてくる。
朽ちているのに動きが鈍らない。術式で無理やり補っている典型だ。
素手で付き合う相手じゃない。
ゼルヴォードは左手の指輪へ触れた。
淡い光が走り、その掌に重い武装が現れる。
古びた大盾。
何重にも補修された外殻を持ち、先端は鋭く尖り、縁の一部には刃として研がれた痕跡が残る。盾でありながら、ただ受けるためだけの武装ではない。
それを見た瞬間だった。
ラズネリアの目が、初めて明確に見開かれた。
「……それを、どこで手に入れた?」
声の質が変わる。
これまでの淡白さが、はっきりと崩れていた。
だが、ゼルヴォードに答える暇はない。
兵装は明らかに先ほどより食いつきが鋭くなり、その大盾へ引き寄せられるように踏み込んできた。
ゼルヴォードは2撃目を盾の縁で受け流し、そのまま横へ弾く。
ただ受けるのではなく、角度で殺し、荷重を逃がす。元からの動きではない。長く実戦をくぐった者の処理だ。
兵装が反転し、歪な刃を振り下ろす。
ゼルヴォードは正面から受けた。
衝撃。
だが、それだけでは終わらない。古い術式が噛みつくように大盾へ食い込み、内側から構造を乱そうとしてくる。
「面倒な方が出たな……!」
受けっぱなしは悪手。
ゼルヴォードは即座に踏み込み直す。
守るためではない。壊すための足運びだった。
相手の肘関節へ、盾の先端を打ち込む。
鈍い音。
外殻がきしむ。だが浅い。
兵装は止まらない。
片腕だけで不自然な角度から斬り返し、続けざまに脚部で踏み込んでくる。
ゼルヴォードの目が鋭くなった。
昔、遺跡で戦った類と同じだ。
可動部の負荷を無視し、術式で動かす。だからこそ、壊すなら関節だけでは足りない。核へ繋がる刻線ごと断つ必要がある。
相手の動きの癖を読む。
外殻の下を流れる魔力の偏りを見る。
どこに負荷が逃げ、どこを傷めれば中枢へ届くか。ゼルヴォードの中では、すでに分解図が組み上がり始めていた。
「右肩は飾り、左脚で回してる……胸部中枢か」
兵装が距離を取る。
刃の先に魔力が集まり、術式刃が形成された。
遠距離が来る。
ゼルヴォードは大盾を強く握り込んだ。
魂鋼を流す。
1段階目。
補修に用いた魔石が淡く灯る。
2段階目。
継ぎ足した金属が魔力を受けて鳴り、外殻の継ぎ目が青白く光る。
――そこまでは、いつも通りだった。
だが今回は違う。
その先で、流れが止まらない。
「……っ?」
盾の奥底で、眠っていた何かが目を覚ます。
長い間沈黙していた構造が、目の前の兵装に呼応するように脈打ち始めた。
魂鋼、3段階目。
今まで一度も届かなかった深さまで、魔力が滑り込んでいく。
無理やり押し込んだ感覚ではない。大盾そのものが、今だけはそれを受け入れていた。
大盾が低く唸る。
補修跡の奥、見えないはずの層から紋様が浮かび上がる。
先端の刃がわずかに伸び、側面の外殻がせり出し、防壁の形を成していく。
ラズネリアが息を呑んだ。
「……まさか?」
兵装が魔力刃を放つ。
ゼルヴォードは躱さない。
大盾を正面に押し出す。
展開した外殻と半透明の防壁が重なり、飛来した術式刃を真正面から受け止めた。轟音が地下を揺らす。だが砕けない。
受けた、その瞬間にゼルヴォードはもう前へ出ていた。
防いで終わりではない。
受けた衝撃ごと押し返す。壁のように迫り、先端の刃を相手の懐へ突き立てる。
1撃。
右肘が砕ける。
2撃。
左脚の接続が割れる。
3撃目。
胸部へ。
兵装が残る術式を噴かせた。
だが遅い。
「そこだっ!」
低く沈んだ声とともに、大盾の尖端が胸部中枢の刻線を穿つ。
外殻を割り、核へ繋がる術式ごと断ち切った。
直後、兵装の全身を走っていた光がぶつりと消えた。
黒い巨体が、一拍遅れて崩れ落ちる。
石床へ沈む重い音だけが、戦いの終わりを告げた。
ゼルヴォードは浅く息を吐き、大盾を下ろした。
今の三段階目は明らかに異常だった。自分でも整理がついていない。
「……何だ、今のは」
その呟きに、ラズネリアはすぐ答えなかった。
崩れた兵装ではなく、ゼルヴォードの手の中の大盾を見ている。
その目に浮かんでいるのは、驚きと、確信だった。
「ありえぬ……」
小さく、信じがたいものを見るように呟く。
「失われたはずじゃった」
ゼルヴォードが眉を寄せる。
「知ってるのか、これを」
ラズネリアはすぐには答えず、ただ大盾の外殻に残る光の筋を見つめた。
「知っておるとも」
声は静かだったが、そこにはわずかな震えがあった。
「まさか、おぬしが持っていたとはの……」
ゼルヴォードは大盾を見下ろす。
自分にとっては、レッド級の頃に拾い、長い時間をかけて少しずつ修繕してきた古い武装だ。由来も正式な名も知らない。ただの古い魔剣扱いの盾として使ってきたに過ぎない。
「何なんだ、こいつは」
ラズネリアはゆっくりと顔を上げた。
「それには名がある」
そこで一拍置く。
「世では魔剣と呼ぶ者もおろう。じゃが違う。それは剣ではない。護るための武装じゃ」
そして、はっきりと言った。
「ノクサリス・エイギス」
ゼルヴォードは黙って聞く。
「昔、わしが魔力位相調律実験の研究をしておった頃、自ら組み上げた防護武装じゃ」
ラズネリアの声は淡々としていた。
だが、その淡々さの奥にある重みは隠しきれていない。
「暴走から術者を護るためのものだった。じゃが、完成する前に実験は破綻した」
小さな賢者は、ほんのわずかに目を伏せる。
「接続先を見誤り、術式は暴走し、わしも深手を負った。その時、こやつは位相の歪みに呑まれて消えた」
そしてもう一度、大盾へ視線を戻した。
「未完成のまま失われたのじゃ」
地下に残る静けさの中で、その言葉はひどく重かった。
「ゆえに、わしも本来の姿は見ておらぬ」
「設計だけがあり、到達だけがなかったのでな」
ラズネリアは、先ほど一瞬だけ展開した外殻の形を思い返すように目を細める。
「……なるほどの」
静かな納得が、その声には滲んでいた。
「おぬしの魔力の流し方で、器の奥に眠っていた形が呼び起こされたのじゃな」
ゼルヴォードは無言のまま、大盾へ目を落とす。
「あれが、この武装の到達点だったのだろう」
ラズネリアはそこで、ほんのわずかに苦く笑った。
「皮肉なものじゃ」
「作ったわしより先に、おぬしがその先を引きずり出すとはの」
ゼルヴォードは肩越しにラズネリアを見る。
「で、その未完成のまま終わったって話と、ここに連れてきた理由は繋がるのか」
「うむ」
ラズネリアは地下空間の奥――あの石扉へ目を向けた。
「本命はこの先じゃ」
空気がわずかに変わる。
「最初は、おぬしの目を借りるつもりで連れてきた。じゃが、話が変わった」
その声には、最初の学園で見せた軽さはなかった。
「ノクサリス・エイギスが残っておったのなら、あれもまた、ただの残骸では済まぬかもしれん」
ゼルヴォードの目が細くなる。
「あれ?」
「未完成のまま置き去りになった、もう一つの器よ」
ラズネリアは静かに言った。
「ゼルヴォード。おぬしに見てもらいたいものがある」
そして一拍置いて、低く続ける。
「今度こそ、本当に無関係ではない」




