表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
209/221

第203話:流れを見張る者

 モルヴァン商会の件は、町の中でしばらく尾を引いた。


 街外れで手広くやっていた商会が、実は裏で出所不明の武具を扱っていた。

 押収された品は多く、再刻印の痕があるもの、持ち主の印を削られたもの、登録札の紐付けが残っていたものまであったらしい。


 噂好きの町人は、その話を面白おかしく膨らませた。


「裏倉庫がまるごと吹き飛んだらしい」

「いや、半分だけだ」

「用心棒を十人以上まとめて潰したやつがいるとか」

「警備兵が踏み込んだ時には、もう立ってるやつがほとんどいなかったってよ」


 そんな話が酒場でも市場でも流れた。


 だが結局のところ、誰が最初に手をつけたのか、そのあたりは曖昧なままだった。


 ギルドの手柄だという者もいれば、警備兵の摘発だと語る者もいる。

 もっと胡散臭い筋では、“流れない武具を打つ謎の鍛冶屋が裏で怒った”などという噂まで出たが、それもまた、しばらくすれば別の話に飲まれていった。


 ゼルヴォードは、その手の話を工房で耳にしても、特に何も言わなかった。


「また変な話になってますね」


 カリーナが帳面を閉じながらそう言っても、


「放っておけ」


 で終わる。


 フィルミナに至っては、


「ゼルさん、どこかでまた何かしました?」


 と無邪気に聞いてきたが、


「何もしてない」


 と返されて首を傾げていた。


 そんな騒ぎから少し経った頃、ノクシエルは冒険者ギルドの裏手にある保管庫の前に立っていた。


「……本当に来ちまった」


 ぼそりと漏らす。


 正面から工房へ行った時より、こっちのほうが緊張するかもしれない。

 盗みに入るわけでもないのに、どうにも落ち着かない。


 それでも来たのは、自分で決めたからだ。


 義賊はやめる。

 盗んで動かすやり方もやめる。

 なら、その先を試すしかない。


 カリーナの提案を受けて、ノクシエルはひとまず“外部協力”という形で、押収品や回収武具の仕分けを手伝うことになっていた。


 正式な職員ではない。

 ギルド所属でもない。

 だが、今回の件の整理は人手が足りず、何よりノクシエル自身が現場を見ている。


 その条件を、オルグが渋い顔で飲んだらしい。


「入れ」


 中から聞こえた声に、ノクシエルは扉を押し開けた。


 保管庫の中は、思っていた以上に雑然としていた。


 剣、槍、盾、胸当て、腕甲、外套、杖、短剣、札付きの袋、押収記録の束。

 棚に収まっているものもあれば、仮置きの木箱に積まれているものもある。今回のモルヴァン商会から出た品だけでなく、別件の押収や回収品も混ざっているらしい。


「顔が嫌そうだな」


 壁際に立っていたオルグが言った。


 相変わらず大柄な狼獣人だ。

 この手の場所にいると、なおさら現場監督じみて見える。


「嫌じゃない」


「嘘つけ」


「半分くらいは嫌だ」


「正直で結構だ」


 オルグは鼻を鳴らす。


「だが、お前にゃ見てもらいたいもんがある」


 そう言って顎をしゃくる。

 示された先には、モルヴァン商会から押さえられた武具の一角がまとめられていた。


「再刻印、削り痕、紋の上塗り、札外し。雑なのもあれば、妙に慣れてるのもある」

 オルグは腕を組む。

「こっちで順に見てるが、件数が多い。お前が気づいた“違和感”ってやつを、もう一回拾え」


 ノクシエルはゆっくりと頷いた。


「……わかった」


 最初に手に取ったのは、片刃剣だった。


 一見すると普通の中古だ。

 だが、鍔の付け根の磨耗と柄の巻き替えが噛み合っていない。使い込んだ剣にしては、そこだけ不自然に新しい。しかも柄の内側に、無理やり削った跡がある。


「これ、持ち主印を隠してる」


 ノクシエルが言うと、近くで記録をつけていた職員が顔を上げる。


「本当か?」


「たぶんじゃなくて、ほぼ確実。削り方が急いでるし、上から巻き直して誤魔化してる」


 職員が慌てて記録を書き換える。

 ノクシエルは次の盾へ手を伸ばした。


 今度は縁の装飾が変だ。

 元の意匠を無理に削ったせいで、左右の均衡が崩れている。普通の修理ではこうはならない。


「これも」


「またか」


「雑だな……いや、急いで数を回したのか」


 言いながら、自分で少しだけ驚いた。


 見える。

 前より、ずっとはっきり見える。


 盗みに入る時の勘とは違う。

 どこが変か、どこを隠したか、どこで流れが歪んだか――現物を前にすると、妙に目につくのだ。


 昼過ぎには、ノクシエルの周りに仕分け済みの山がいくつもできていた。


「偽装痕あり」

「登録札と現物の時期が合ってない」

「これ、別件の押収品と混ぜるな。同じ処理筋かもしれない」

「その杖、刻印だけじゃなくて持ち手も替えられてる」


 気づけば、周囲の職員たちまでノクシエルの言葉を待つようになっていた。


 本人は不機嫌そうな顔を崩さない。

 だが手は止まらない。


「……なんだこりゃ」


 夕方近く、ノクシエルは一冊の台帳を手にして眉をひそめた。


 押収された帳簿の控えと、回収武具の簡易記録を照らし合わせていた時だ。


「どうした」


 オルグが近づく。


「これ」

 ノクシエルはページを指で叩いた。

「同じ品が、別の筋で二回流れてる形跡がある。たぶん一度押さえられかけたやつを、別の名目で洗ってもう一回売ってる」


 オルグの目が細くなる。


「確かか」


「この記録の雑さで断定まではしない。でも、少なくとも“偶然”ではない」

 ノクシエルは紙を睨んだまま続ける。

「こういうやり口、ひとつ見つかると他もたぶん繋がる。モルヴァン商会だけじゃなくて、その前の流し元も掘れるかもしれない」


 少しの沈黙。


 オルグは低く息を吐いた。


「……向いてやがるな、お前」


「嬉しくない」


「だろうな」


 だが、その声には明らかに評価が混じっていた。


 ノクシエルは紙から目を離さずに言う。


「これ、盗みに入ってる時には見えなかった」


「ほう」


「現物と記録が並ぶと、逆にわかる。どこで嘘をついてるか」


 その言葉に、オルグは小さく頷いた。


「盗人の目だな」


「殴るぞ」


「褒めてる」


「最悪な褒め方だな……!」


 言い返しながらも、否定しきれないのが癪だった。


 夕方、工房へ戻ったゼルヴォードのところへ、カリーナが茶を出しながら言った。


「ノクシエルさん、今日はギルドで随分働いたそうです」


「ほう」


「押収品の仕分けで、かなり役に立ったとか」


 ゼルヴォードは湯気の立つ茶器を受け取り、特に驚いた様子もなく頷く。


「そうか」


「驚かないんですね」


「向いてるだろうとは思ってた」


 カリーナは少しだけ目を細めた。


「言い方がずいぶん雑ですね」


「事実だ」


 短く言う。


「隠されたものや歪んだ流れを嗅ぎ取る目はある。盗みに使うより、ああいう場所に置いたほうがましだ」


「珍しく、ちゃんと評価していますね」


「珍しくはない」


「他人に伝わりにくいだけです」


 ゼルヴォードはそれには返さなかった。


 数日が経つ。


 ノクシエルは一度だけでは終わらず、外部協力という形で保管庫へ通うようになった。


 最初は押収品の仕分けだけだった。

 だがそのうち、回収武具や遺失品の確認にも呼ばれるようになる。


「これ、届け出の説明と傷の位置が合ってない」

「そっちの外套は盗品じゃない。ただの偽申告だ」

「この短剣は売り飛ばされたやつじゃなくて、持ち主が雑に手放しただけだろ」

「帳簿の字が違う。途中で別の手が入ってる」


 職員たちは最初こそ眉をひそめたが、結果が出るにつれて文句を言わなくなった。

 むしろ、困った時に呼ばれるようになっていく。


 ノクシエル自身も、少しずつわかってきた。


 これは、悪くない。


 地味だし、埃っぽいし、記録は面倒だし、ギルドの空気にはいまだに完全には馴染まない。

 だが、ここでは少なくとも、盗んで逃げるより多くのものを戻せる。


 必要な品が必要な場所へ返る。

 流れの途中で歪められたものが、歪められたまま終わらない。


 それが、思っていたより性に合った。


 ある日の帰り、ノクシエルは工房の前を通りかかって、少しだけ足を止めた。


 中からは槌の音が聞こえる。

 規則正しい、重い音だ。


 入るほどでもない。

 用があるわけでもない。

 ただ、少しだけ考えてから、結局そのまま通り過ぎる。


 腰にはヴェルノアがある。


 静かな短剣だ。

 抜かなければ、ただそこにあるだけみたいな顔をしている。だが本当に危うい場面では、確かに自分を死なせない。


 ノクシエルはまだ、それを完全に自分のものとは思えていない。

 それでも、もう返しには行かなかった。


 必要だから持っていけ。


 あの言葉を、思い出す。


 必要な品が、必要な相手へ。


 皮肉みたいだ、とノクシエルは思う。

 最初はそれを、盗みでやろうとしていたのだから。


 季節がひとつ巡り、もうひとつ巡る。


 ノクシエル・ヴァーディスは、その後、ギルドの外部協力から半ば常駐の補助へ、そして正式雇用へと立場を変えていった。


 押収品。

 回収品。

 遺失武具。

 出所不明の装備。

 再刻印や偽装の痕跡。

 歪められた流れの痕。


 それらを見抜く目は、年を追うごとに研ぎ澄まされていく。


 やがて彼女は、押収品と回収武具を管理する部署において、なくてはならない存在になった。

 口は悪く、愛想も薄く、規則を振りかざす上役とは相変わらず相性が悪かったが、それでも現物を見る目だけは誰も否定できなかった。


 そして数年後。


 ノクシエル・ヴァーディスは、冒険者ギルドの押収品管理主任にまで上り詰めることになる。


 義賊として夜を走っていた少女が、

 今度は流れを見張る側に立ったのだ。


 必要な品が、途中で奪われないように。

 歪められた流れが、そのまま闇に沈まないように。


 その目は、かつてよりずっと遠くを見ていた。


 もっとも――その頃になっても、ゼルヴォードに会えば口の利き方は大して変わらなかったし、

 ゼルヴォードのほうも「そうか」で済ませる程度だったのだが。


 それでも、ノクシエルにとってあの工房の夜は、今も間違いなく人生の分岐点だった。


 盗みに入ったはずの夜。

 朝食を食わされ、叩き直され、短剣を持たされ、見誤っていた流れを知った夜。


 あそこから、自分の向きは変わった。


 町の夕暮れの中、ノクシエルは保管庫の鍵束を腰へ下げ、記録束を抱えて歩いていく。


 その横顔はもう、夜の影を追う義賊のものではない。


 流れを見張る者の顔だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ