第203話:流れを見張る者
モルヴァン商会の件は、町の中でしばらく尾を引いた。
街外れで手広くやっていた商会が、実は裏で出所不明の武具を扱っていた。
押収された品は多く、再刻印の痕があるもの、持ち主の印を削られたもの、登録札の紐付けが残っていたものまであったらしい。
噂好きの町人は、その話を面白おかしく膨らませた。
「裏倉庫がまるごと吹き飛んだらしい」
「いや、半分だけだ」
「用心棒を十人以上まとめて潰したやつがいるとか」
「警備兵が踏み込んだ時には、もう立ってるやつがほとんどいなかったってよ」
そんな話が酒場でも市場でも流れた。
だが結局のところ、誰が最初に手をつけたのか、そのあたりは曖昧なままだった。
ギルドの手柄だという者もいれば、警備兵の摘発だと語る者もいる。
もっと胡散臭い筋では、“流れない武具を打つ謎の鍛冶屋が裏で怒った”などという噂まで出たが、それもまた、しばらくすれば別の話に飲まれていった。
ゼルヴォードは、その手の話を工房で耳にしても、特に何も言わなかった。
「また変な話になってますね」
カリーナが帳面を閉じながらそう言っても、
「放っておけ」
で終わる。
フィルミナに至っては、
「ゼルさん、どこかでまた何かしました?」
と無邪気に聞いてきたが、
「何もしてない」
と返されて首を傾げていた。
そんな騒ぎから少し経った頃、ノクシエルは冒険者ギルドの裏手にある保管庫の前に立っていた。
「……本当に来ちまった」
ぼそりと漏らす。
正面から工房へ行った時より、こっちのほうが緊張するかもしれない。
盗みに入るわけでもないのに、どうにも落ち着かない。
それでも来たのは、自分で決めたからだ。
義賊はやめる。
盗んで動かすやり方もやめる。
なら、その先を試すしかない。
カリーナの提案を受けて、ノクシエルはひとまず“外部協力”という形で、押収品や回収武具の仕分けを手伝うことになっていた。
正式な職員ではない。
ギルド所属でもない。
だが、今回の件の整理は人手が足りず、何よりノクシエル自身が現場を見ている。
その条件を、オルグが渋い顔で飲んだらしい。
「入れ」
中から聞こえた声に、ノクシエルは扉を押し開けた。
保管庫の中は、思っていた以上に雑然としていた。
剣、槍、盾、胸当て、腕甲、外套、杖、短剣、札付きの袋、押収記録の束。
棚に収まっているものもあれば、仮置きの木箱に積まれているものもある。今回のモルヴァン商会から出た品だけでなく、別件の押収や回収品も混ざっているらしい。
「顔が嫌そうだな」
壁際に立っていたオルグが言った。
相変わらず大柄な狼獣人だ。
この手の場所にいると、なおさら現場監督じみて見える。
「嫌じゃない」
「嘘つけ」
「半分くらいは嫌だ」
「正直で結構だ」
オルグは鼻を鳴らす。
「だが、お前にゃ見てもらいたいもんがある」
そう言って顎をしゃくる。
示された先には、モルヴァン商会から押さえられた武具の一角がまとめられていた。
「再刻印、削り痕、紋の上塗り、札外し。雑なのもあれば、妙に慣れてるのもある」
オルグは腕を組む。
「こっちで順に見てるが、件数が多い。お前が気づいた“違和感”ってやつを、もう一回拾え」
ノクシエルはゆっくりと頷いた。
「……わかった」
最初に手に取ったのは、片刃剣だった。
一見すると普通の中古だ。
だが、鍔の付け根の磨耗と柄の巻き替えが噛み合っていない。使い込んだ剣にしては、そこだけ不自然に新しい。しかも柄の内側に、無理やり削った跡がある。
「これ、持ち主印を隠してる」
ノクシエルが言うと、近くで記録をつけていた職員が顔を上げる。
「本当か?」
「たぶんじゃなくて、ほぼ確実。削り方が急いでるし、上から巻き直して誤魔化してる」
職員が慌てて記録を書き換える。
ノクシエルは次の盾へ手を伸ばした。
今度は縁の装飾が変だ。
元の意匠を無理に削ったせいで、左右の均衡が崩れている。普通の修理ではこうはならない。
「これも」
「またか」
「雑だな……いや、急いで数を回したのか」
言いながら、自分で少しだけ驚いた。
見える。
前より、ずっとはっきり見える。
盗みに入る時の勘とは違う。
どこが変か、どこを隠したか、どこで流れが歪んだか――現物を前にすると、妙に目につくのだ。
昼過ぎには、ノクシエルの周りに仕分け済みの山がいくつもできていた。
「偽装痕あり」
「登録札と現物の時期が合ってない」
「これ、別件の押収品と混ぜるな。同じ処理筋かもしれない」
「その杖、刻印だけじゃなくて持ち手も替えられてる」
気づけば、周囲の職員たちまでノクシエルの言葉を待つようになっていた。
本人は不機嫌そうな顔を崩さない。
だが手は止まらない。
「……なんだこりゃ」
夕方近く、ノクシエルは一冊の台帳を手にして眉をひそめた。
押収された帳簿の控えと、回収武具の簡易記録を照らし合わせていた時だ。
「どうした」
オルグが近づく。
「これ」
ノクシエルはページを指で叩いた。
「同じ品が、別の筋で二回流れてる形跡がある。たぶん一度押さえられかけたやつを、別の名目で洗ってもう一回売ってる」
オルグの目が細くなる。
「確かか」
「この記録の雑さで断定まではしない。でも、少なくとも“偶然”ではない」
ノクシエルは紙を睨んだまま続ける。
「こういうやり口、ひとつ見つかると他もたぶん繋がる。モルヴァン商会だけじゃなくて、その前の流し元も掘れるかもしれない」
少しの沈黙。
オルグは低く息を吐いた。
「……向いてやがるな、お前」
「嬉しくない」
「だろうな」
だが、その声には明らかに評価が混じっていた。
ノクシエルは紙から目を離さずに言う。
「これ、盗みに入ってる時には見えなかった」
「ほう」
「現物と記録が並ぶと、逆にわかる。どこで嘘をついてるか」
その言葉に、オルグは小さく頷いた。
「盗人の目だな」
「殴るぞ」
「褒めてる」
「最悪な褒め方だな……!」
言い返しながらも、否定しきれないのが癪だった。
夕方、工房へ戻ったゼルヴォードのところへ、カリーナが茶を出しながら言った。
「ノクシエルさん、今日はギルドで随分働いたそうです」
「ほう」
「押収品の仕分けで、かなり役に立ったとか」
ゼルヴォードは湯気の立つ茶器を受け取り、特に驚いた様子もなく頷く。
「そうか」
「驚かないんですね」
「向いてるだろうとは思ってた」
カリーナは少しだけ目を細めた。
「言い方がずいぶん雑ですね」
「事実だ」
短く言う。
「隠されたものや歪んだ流れを嗅ぎ取る目はある。盗みに使うより、ああいう場所に置いたほうがましだ」
「珍しく、ちゃんと評価していますね」
「珍しくはない」
「他人に伝わりにくいだけです」
ゼルヴォードはそれには返さなかった。
数日が経つ。
ノクシエルは一度だけでは終わらず、外部協力という形で保管庫へ通うようになった。
最初は押収品の仕分けだけだった。
だがそのうち、回収武具や遺失品の確認にも呼ばれるようになる。
「これ、届け出の説明と傷の位置が合ってない」
「そっちの外套は盗品じゃない。ただの偽申告だ」
「この短剣は売り飛ばされたやつじゃなくて、持ち主が雑に手放しただけだろ」
「帳簿の字が違う。途中で別の手が入ってる」
職員たちは最初こそ眉をひそめたが、結果が出るにつれて文句を言わなくなった。
むしろ、困った時に呼ばれるようになっていく。
ノクシエル自身も、少しずつわかってきた。
これは、悪くない。
地味だし、埃っぽいし、記録は面倒だし、ギルドの空気にはいまだに完全には馴染まない。
だが、ここでは少なくとも、盗んで逃げるより多くのものを戻せる。
必要な品が必要な場所へ返る。
流れの途中で歪められたものが、歪められたまま終わらない。
それが、思っていたより性に合った。
ある日の帰り、ノクシエルは工房の前を通りかかって、少しだけ足を止めた。
中からは槌の音が聞こえる。
規則正しい、重い音だ。
入るほどでもない。
用があるわけでもない。
ただ、少しだけ考えてから、結局そのまま通り過ぎる。
腰にはヴェルノアがある。
静かな短剣だ。
抜かなければ、ただそこにあるだけみたいな顔をしている。だが本当に危うい場面では、確かに自分を死なせない。
ノクシエルはまだ、それを完全に自分のものとは思えていない。
それでも、もう返しには行かなかった。
必要だから持っていけ。
あの言葉を、思い出す。
必要な品が、必要な相手へ。
皮肉みたいだ、とノクシエルは思う。
最初はそれを、盗みでやろうとしていたのだから。
季節がひとつ巡り、もうひとつ巡る。
ノクシエル・ヴァーディスは、その後、ギルドの外部協力から半ば常駐の補助へ、そして正式雇用へと立場を変えていった。
押収品。
回収品。
遺失武具。
出所不明の装備。
再刻印や偽装の痕跡。
歪められた流れの痕。
それらを見抜く目は、年を追うごとに研ぎ澄まされていく。
やがて彼女は、押収品と回収武具を管理する部署において、なくてはならない存在になった。
口は悪く、愛想も薄く、規則を振りかざす上役とは相変わらず相性が悪かったが、それでも現物を見る目だけは誰も否定できなかった。
そして数年後。
ノクシエル・ヴァーディスは、冒険者ギルドの押収品管理主任にまで上り詰めることになる。
義賊として夜を走っていた少女が、
今度は流れを見張る側に立ったのだ。
必要な品が、途中で奪われないように。
歪められた流れが、そのまま闇に沈まないように。
その目は、かつてよりずっと遠くを見ていた。
もっとも――その頃になっても、ゼルヴォードに会えば口の利き方は大して変わらなかったし、
ゼルヴォードのほうも「そうか」で済ませる程度だったのだが。
それでも、ノクシエルにとってあの工房の夜は、今も間違いなく人生の分岐点だった。
盗みに入ったはずの夜。
朝食を食わされ、叩き直され、短剣を持たされ、見誤っていた流れを知った夜。
あそこから、自分の向きは変わった。
町の夕暮れの中、ノクシエルは保管庫の鍵束を腰へ下げ、記録束を抱えて歩いていく。
その横顔はもう、夜の影を追う義賊のものではない。
流れを見張る者の顔だった。




