第200話:街外れのモルヴァン商会
その日のうちに、ゼルヴォードとノクシエルは町のあちこちを歩き回ることになった。
冒険者ギルドを出たあと、オルグから受け取った情報をもとに、ノクシエルが噂を拾った酒場、裏通り、露店の並ぶ細道、荷運びたちが集まる休憩所まで順に当たっていく。
だが、結果から言えば――決め手になる証言は、ひとつもなかった。
「聞いたことはあるな」
「どこかの鍛冶屋が裏で上物を回してるって話だろ」
「いや、もっと別の町の話じゃなかったか?」
「誰が言ってたかまでは覚えてねえな」
返ってくるのは、そんな言葉ばかりだった。
曖昧で、輪郭がなく、誰の口から出たのかもはっきりしない。
噂話の延長線にある内容なのだから、当然といえば当然だった。
ノクシエルも、三つ目の酒場を出る頃には、さすがに顔をしかめていた。
「……出るわけないとは思ってたけどな」
「何がだ」
「確かな証言だよ。最初から、そんなものあるはずないだろ。噂ってのは、誰かが言ってたを繋いで形になるもんだ」
昼を少し回った通りを歩きながら、ノクシエルは吐き捨てるように言った。
「酒場で一人が言う。別のやつが面白がって盛る。三軒も回れば、最初の話なんかもう残ってない。そんなもんだ」
「だろうな」
ゼルヴォードは淡々と返した。
「じゃあ、無駄足かよ」
「そうでもない」
「は?」
ゼルヴォードは足を止めず、通りの先を見たまま言う。
「同じ方向の話が、何度か混ざった」
ノクシエルは一拍置いて、思い返す。
たしかに、完全にばらばらでもなかった。
曖昧な与太話ばかりの中に、いくつか似た言い回しが混じっていた。
表に出ない品。
仕入れ筋を明かさない店。
最近、急に手を広げた商会。
街外れの古具店。
「……モルヴァン商会か」
「ああ」
ノクシエルは小さく舌打ちした。
あの名前だけは、何人かの口から似たように出てきた。
露骨に怪しいというより、“あそこなら何か知ってそうだ”という言い方で、だ。
それが余計に嫌だった。
直接ではない。
だが、噂の流れの途中に、あの商会がいる気配はある。
「最初からそこ狙いで流してるとは限らん」
ノクシエルは慎重に言う。
「ただ、あそこを経由して話が太ってる感じはする」
「充分だ」
ゼルヴォードの返答は短い。
「充分、ね……」
ノクシエルは息を吐いた。
充分、という言葉の重みが、自分とこの男では違いすぎる。
その時だった。
「ゼルヴォードさん」
後ろから聞こえた声に、ノクシエルは振り返る。
そこにいたのはカリーナだった。
派手に駆けつけてきたわけではない。買い物のついでのような顔で、いつもの落ち着いた足取りで通りへ現れただけだ。腕には小さな包みまで抱えている。
「……なんでいるんだよ」
思わずノクシエルが言うと、カリーナは少しだけ首を傾げた。
「買い出しの帰りです」
「いや、そういうことじゃなくて」
「ついでに、少し気になったので見て回っていました」
その言い方で、ノクシエルは察した。
この人はこの人で、別方向から状況を見ていたのだ。
カリーナはゼルヴォードへ向き直る。
「モルヴァン商会ですが、やはり最近急に規模を広げています」
「何かわかったか」
「仕入れ量と雇い人です」
研究の報告でもするような、冷静な口調だった。
「中古武具と旅用品を扱う店としては、ここ数か月で品の出入りが不自然に増えています。それに、近隣の人足や運び手の話では、夜の搬入も増えているそうです」
ノクシエルは眉を上げる。
「そんなの、よく拾えたな」
「特別なことではありません」
カリーナは淡々と続けた。
「急に拡大している組織は、物の流れに歪みが出ます。研究でも同じです。外側だけ整えても、内部の管理が追いつかなくなるので」
なるほど、とノクシエルは少しだけ思った。
この人は裏通りを嗅ぎ回るタイプではない。だが、歪みを読むのは得意なのだろう。
「雇い人も増えているそうです」
カリーナの目がわずかに細まる。
「ただ、店員というより、見張りや力仕事向きの人間が多いようですね」
「用心棒か」
「おそらく」
そこでカリーナは、一拍置いてから続けた。
「急に手を広げた組織は、長く根を張った相手より隠し方が粗い代わりに、手も早いです」
ノクシエルは嫌な顔をした。
「……安心材料じゃないな」
「もちろんです」
カリーナは即答した。
「見つけやすいというだけで、噛みつかれやすくもあります」
ゼルヴォードは短く鼻を鳴らした。
「雑に膨らんだ組織らしいな」
「はい。ですので――」
カリーナはそこで言葉を選ぶように少し間を置いた。
「深入りするなら、早めに引く線を決めておいたほうがいいかと」
ノクシエルは思わずゼルヴォードを見る。
この忠告は、かなりまともだ。
というより、今までで一番現実的だった。
だがゼルヴォードは、あまり深刻そうな顔もせずに答えた。
「わかってる」
ノクシエルは半目になった。
「その“わかってる”が信用ならないんだよな」
「同感です」
カリーナが即座に乗ってきて、ノクシエルは一瞬だけ目を瞬かせた。
カリーナ自身も、少しだけ困ったように息をつく。
「ですので、せめて無茶だけはしないでください」
「善処する」
「しない時の返事ですね、それは」
淡々と切り返され、ゼルヴォードは答えなかった。
カリーナはそれ以上追わず、ノクシエルへ視線を移した。
「ノクシエルさんも」
「……なんだよ」
「危ないと感じたら、それはたぶん危ないです。自分の感覚を軽く見ないでください」
それだけ言うと、カリーナはいつものように一礼した。
「では、私は戻ります。フィルミナさんが帰る前に、夕食の準備もありますので」
本当に、それだけだった。
何か派手なことをするわけでもなく、情報をひとつ運び、必要な忠告だけを残して去っていく。
通りの向こうへ歩いていく背中を見送りながら、ノクシエルはぽつりと呟いた。
「……あの人、やっぱり普通じゃないよな」
「そうか?」
「お前が言うな」
ゼルヴォードは気にした様子もなく歩き出した。
ノクシエルも、小さく息を吐いて後を追う。
モルヴァン商会があるのは、町の外れに近い区画だった。
中心部の賑わいから少し離れ、倉庫や小さな作業場、流れの商人向けの安宿が増えるあたり。人通りが消えるわけではないが、足を止める者の顔つきは明らかに変わる。
やがて見えてきた店構えに、ノクシエルは無意識に歩幅を緩めた。
「……あれか」
モルヴァン商会。
表に掲げられた看板はそれなりに立派だ。
中古武具、旅用品、雑貨、買い取り。そう書かれた札も下がっている。店先には使い込まれた盾、手入れ道具、ランタン、旅用の袋、安物の短剣、装飾品まがいの小物まで、雑多に並べられていた。
見た目だけなら、少し手広い古具店だ。
だが。
「……多いな」
「何がだ」
「人だよ」
ノクシエルは低く言った。
店先にいる人間の数が、まず多い。
客のふりをしているが、視線の置き方が違う。品を見ているようでいて、周囲を見ている。荷物持ちにしては肩が張りすぎている。店員にしては手が荒れすぎ、腰回りが重すぎる。
さらに、裏手へ回る細い路地にも二人。
表から見えるだけでそれだ。中にはもっといるだろう。
「ただの中古武具屋じゃない」
「ああ」
ゼルヴォードは一目見ただけで答えた。
「手を広げたばかりの連中らしい雑さだ」
ノクシエルはそちらを見た。
「私には“危ない”としか思えないんだけどな」
「危ないのはその通りだ」
ゼルヴォードは平然としている。
「だが、隠す気が甘い」
ノクシエルは黙った。
たしかにそうだ。
見張りを増やしすぎている。荒くれを混ぜすぎている。雑貨屋を装っているのに、店の空気がどう見ても堅気ではない。
急拡大中。
カリーナの言葉が頭をよぎる。
外側だけ整えて、中身の管理が追いついていない。
「どうする」
ノクシエルは喉を湿らせるように言った。
「いきなり踏み込むのか」
「まだだ」
ゼルヴォードは店先を眺めたまま答えた。
「まずは見る」
二人は少し離れた荷車置き場の陰から、商会の出入りを観察することにした。
しばらくして見えてきたのは、表向きの客だけではなかった。
荷を持たずに出入りする男。
店先ではなく脇道から入っていく痩せた影。
逆に裏口側から出てきて、すぐ別の路地へ消える者。
それに時折、あからさまに武具を抱えたまま短時間で出てくる人間までいる。
「雑貨屋にしちゃ、妙に回転が早いな」
ノクシエルが小声で言う。
「ああ」
「しかも、あの剣……研ぎ直しでもない。持ち込んで出してるんじゃなくて、受け取ってる動きだ」
「見えてるじゃないか」
「見えるよ、このくらいは」
言いながらも、ノクシエルの喉は少しずつ締まっていた。
嫌な予感が強まっていく。
噂の延長を追っていたはずなのに、もうここは違う。実体のある危険の匂いがする。
その時だった。
「――おい」
低い声が、すぐ近くから落ちた。
ノクシエルは反射的に身をひねる。
路地の反対側、壁にもたれていた大男が、いつの間にかこちらを見ていた。
ひとりではない。
その奥にも二人。さらに少し離れてもう一人。
まずい。
見られていた。
ノクシエルの背中に冷たいものが走る。
「何してやがる」
大男が一歩前に出る。
「さっきから、店の前をちょろちょろとな」
声は荒いが、半分は探りだ。
ただの因縁なら、もっと早く絡んでくる。こいつらは、こちらが何を見ていたのか測っている。
ゼルヴォードは大して動じた様子もなく答えた。
「買うかどうか見ていた」
「へえ」
男は鼻で笑う。
「中古武具に興味あるようには見えねえな」
「店の面構えには興味が出た」
「……何?」
「雑貨屋にしちゃ、見張りが多い」
ノクシエルは心の中で頭を抱えた。
言うな。
そこは今、言うな。
案の定、男の目つきが変わる。
壁際の二人も、じわりと立ち位置を変えた。
逃げ道を測っている。
「兄ちゃん」
大男の声が少しだけ低くなる。
「余計なことは見ないほうが長生きできるぞ」
ノクシエルは喉を飲み込んだ。
来た。
忠告の形をした脅しだ。
「噂話で済んでるうちは、誰も困らねえ」
男はさらに一歩踏み出す。
「だが、鼻を突っ込みすぎると話は変わる。特に、どこの誰とも知れねえ連中がな」
ノクシエルは無意識に腰のヴェルノアへ手をやった。
嫌な汗がにじむ。
数も位置も悪い。ここで囲まれたら、自分ひとりでは抜けられない。
これ以上踏み込んだら、本当に殺されるかもしれない。
そう思ったのは、はじめてではない。
だが今は、その感覚が嫌に具体的だった。
「……ゼルヴォード」
小さく呼ぶと、当人は呆れたように息を吐いた。
「アホどももいるもんだ」
ノクシエルは一瞬、自分の耳を疑った。
「は?」
「噂を煙幕にして商売してるくせに、追われたらすぐ脅すのか」
ゼルヴォードは大男たちを一瞥する。
「雑すぎるだろう」
大男のこめかみに血管が浮いた。
「てめえ……」
ノクシエルの背筋は逆に冷え切った。
駄目だ。
これは完全にまずい方向へ進んでいる。
自分が思っていた“危ない”を、この男は正面から踏みにじっていく。
いや、違う。踏みにじっているというより、危険を危険として数えてすらいない。
「ゼルヴォード、引け」
ノクシエルは低く言った。
「ここでやるのはまずい」
「何がだ」
「数だよ、数。裏にもいる。こっちが見えてるだけでこれだぞ」
「だから何だ」
「だから――!」
その言葉を最後まで言えなかった。
大男の後ろにいた短剣持ちのひとりが、明らかに腰を浮かせたのだ。
抜く気配。飛び込む気配。脅しだけで終わらせる気がない。
ノクシエルの指が鞘を強く握る。
まずい。
本当に、まずい。
「……行くぞ」
ゼルヴォードが不意に言った。
ノクシエルは目を見開く。
「え」
「ここでやるには目立ちすぎる」
「だったら最初から――」
「だから、行くぞ」
言うが早いか、ゼルヴォードは踵を返した。
あまりにも自然な退き方だったので、大男たちも一瞬だけ対応が遅れる。
ノクシエルは慌てて後に続いた。
だが、数歩離れたところで背後から足音が増える。
「……ついてきてる」
「だろうな」
「だろうな、じゃない!」
路地をひとつ曲がる。
さらにひとつ。人通りが少なくなる。倉庫壁が長く続き、視線を切りやすい代わりに、囲まれれば逃げ場も少ない場所だ。
ノクシエルはとうとう歯噛みした。
「誘ってるのかよ」
「少しな」
「少しで済むか!」
「表で暴れられるよりはましだ」
その言い分自体は正しい。
正しいが、だからといって安心などできるものか。
ノクシエルの胸は早鐘のように鳴っていた。
足音が近づく。
ひとつではない。ふたつみっつどころでもない。路地を渡る気配、屋根の縁に重みが走る音、背後を塞ぐような立ち位置。
完全に追われている。
「ゼルヴォード」
ノクシエルは声を落とした。
「これ、洒落にならないぞ」
「そうだな」
「わかってるのか?」
「わかってる」
「信用ならないんだよその返事!」
怒鳴りたいのをこらえた声は、ほとんど悲鳴に近かった。
だがゼルヴォードは相変わらず落ち着いていた。
その落ち着きが、今はむしろ怖い。
やがて行き止まりではないが、左右への抜け道が狭くなる倉庫裏の一角へ出た。
そこでゼルヴォードが足を止める。
ノクシエルの心臓が嫌な音を立てた。
「……止まるのか」
「ああ」
「最悪だ……」
背後から、足音がひとつ、またひとつと近づいてくる。
路地の入口を塞ぐ影。脇道に立つ影。屋根の上へ回る影。
数は、思ったより多かった。
ノクシエルは乾いた喉で息を吸う。
モルヴァン商会。
急拡大中の街外れの商会。
その裏で武具を横流しし、荒くれを囲っている連中。
ただの噂を追っていたはずが、気づけば本当に殺しの射程へ踏み込んでいた。
カリーナの言葉が蘇る。
危ないと感じたら、それはたぶん危ないです。
遅い。
もう、とっくに危ない。
一方でゼルヴォードは、ゆっくりと周囲を見回していた。
まるで、ようやく手間のかかる話が終わったと言わんばかりに。
その目に焦りはない。
あるのは、ほんの少しの面倒くささと、呆れだけだった。
「……なるほどな」
小さく呟く。
「手を広げたばかりの連中にしては、集まりだけはいい」
ノクシエルは信じられないものを見るように、その横顔を見た。
自分には“死ぬかもしれない状況”にしか見えないものを、
この男はまだ、どこか品定めするように見ている。
路地の入口から、低い笑い声が響いた。
「ようやく止まったかよ」
さきほどの大男だった。
その後ろに、さらに何人もの荒くれが続いている。
短剣使い。
棍棒持ち。
片刃剣。
鎖。
荷運び崩れのような大柄な男。
元冒険者だと一目でわかる立ち方の者までいる。
ノクシエルの喉がひりついた。
これは、自分ひとりなら絶対に踏み込まない数だ。
「鼻を突っ込むなって言ったよなあ?」
大男が歯を見せる。
「言葉が通じねえなら、わからせるしかねえ」
ノクシエルはヴェルノアの柄を強く握った。
静かな短剣だ。
それでも、今だけは妙に頼もしく感じる。
ただ、その程度では埋まらない数の差がある。
まずい。
本当にまずい。
なのに隣の男は、今ようやく少しだけ肩を回しただけだった。
「ノクシエル」
「……なんだよ」
「下がってろ」
それは命令というより、確認みたいな声音だった。
ノクシエルは歯を食いしばる。
「言われなくても、そのつもりだ……!」
そう返したものの、心のどこかではわかっていた。
ここから先は、もう自分が噂を追っていた範囲の話じゃない。
そしてたぶん――
モルヴァン商会の連中も、ようやく今から、自分たちが誰に噛みついたのかを知ることになる。




