第196話:その後の支援達
癒やすだけでは、足りなかった
ラウスディア・ネメルハイトが攻撃魔法を身につけたのは、戦うことが好きだったからではない。
むしろ逆だった。
若い頃の彼は、神殿でも模範的な神官だった。
傷を閉じ、血を止め、祈りを捧げる。
前へ出るのは戦士の役目であり、自分はその後ろで命を繋ぐ。
それが神官の在り方だと疑ったことはなかった。
変わったのは、ある護衛任務でのことだった。
隊商護衛。
相手は盗賊混じりの魔獣崩れ。
難度としては高くない。
編成にも不足はないはずだった。
それでも崩れる時は崩れる。
襲撃は正面ではなく、横腹から来た。
荷車が一台倒され、護衛線が裂け、前衛の一人が飛ばされた。
ラウスディアはすぐに治癒へ入った。
判断は間違っていない。
傷を塞ぎ、出血を止め、次の者へ回る。
だが、その“次”が来る前に、敵が一体抜けた。
血の匂いに引かれた魔獣崩れが、倒れた商人へ向かっていた。
護衛は崩れている。
前衛は距離がある。
魔術師は詠唱を乱されている。
ラウスディアの手には、治癒術しかなかった。
その時、彼は初めて思った。
――間に合っているのに、守れない。
治せる。
繋げられる。
けれど、目の前の一歩を止める力がない。
ラウスディアは反射的に祈祷杖を振るった。
当然、まともな攻撃になるはずもない。
だが偶然にも相手の鼻面を打ち、ほんの一瞬だけ動きをずらした。
その一拍で、商人は引きずられるように後ろへ逃れた。
助かったのは、本当にその一瞬だけのおかげだった。
戦闘後、ラウスディアは長いこと黙って座っていた。
治癒が足りなかったわけではない。
祈りが足りなかったわけでもない。
足りなかったのは、治癒以外の手段だった。
もしあの時、押し返す力があれば。
もしあの時、敵の軌道を逸らす一撃があれば。
もしあの時、一瞬だけでも前線へ干渉できていれば。
助かる命がある。
そこからラウスディアは、密かに攻性術式を学び始めた。
神官らしくないと陰口を叩かれた。
癒やす者が破壊を学ぶのかと眉をひそめる者もいた。
それでもやめなかった。
それは戦士になりたいからではない。
神官のまま、前線で共に立つためだった。
やがて彼は、光属性魔力を収束させた矢型術式へ辿り着く。
回復術式との相性が良く、詠唱を短く圧縮しやすく、なおかつ一点を押し返すのに向いている一撃。
最初の実戦は失敗した。
次は浅かった。
三度目でようやく魔物の肩を撃ち抜き、護衛の子供を助けた。
それから何度もその術は命を拾った。
後衛へ飛び込んだ狼型魔獣の軌道を逸らした時。
倒れた前衛へとどめが落ちる寸前、光の矢で腕を弾いた時。
崩れた通路で、退路を塞ごうとした魔物の額を撃ち抜いた時。
そのたびにラウスディアは思い知った。
癒やすだけでは、守れない時がある。
ゼルヴォードのように前へ出て斬り伏せる強さではない。
それは自分の役割ではない。
だが、職種が違っても、辿り着く答えは似るのだ。
前線に共に立つなら、
治すだけでは足りない。
必要なら、押し返せなければならない。
そうしてラウスディア・ネメルハイトは、
ただ傷を塞ぐ神官ではなく、
命を繋ぐために敵を退ける神官になった。
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理論の先にいた人
ミレイシア・フォルケリムは、昔から周囲と噛み合わなかった。
回復役とはこうあるべきだ。
治癒術師は後ろにいるべきだ。
前線のことは前衛に任せればいい。
そう言われるたびに、彼女は心の中で首を傾げていた。
では、もし前衛が倒れたら。
もし自分一人だけが立っていたら。
もし敵がこちらに来たら。
その時に何もできないままで、どうして“役目を果たした”ことになるのか。
学院でも、神殿でも、彼女の考えは浮いていた。
処置の順序を口にすれば理屈っぽいと言われ、前線想定を話せば異端だと笑われる。
だがミレイシアは、どうしてもそこを捨てられなかった。
回復だけの後衛なら誰でもできる。
少なくとも、自分が目指したいのはそこではない。
そんな彼女にとって、ラウスディアは近くにいるのに遠い存在だった。
実力は本物。
現場経験も豊富。
だが多くを語らない。
しかも神官でありながら、どこか前衛の思考を持っているように見えた。
気になっていた。
だが答えを聞く機会はなかった。
そして、あの救助任務だった。
岩場へ辿り着いた時には、もう戦場は限界だった。
血が散り、死体が転がり、重傷者が息を繋いでいるだけの場所。
ゼルヴォードが凶獣を押さえていなければ、あと数秒で全員死んでいたかもしれない。
その最中、ゼルヴォードへ致命の一撃が入る。
間に合わない。
そう思った次の瞬間、ラウスディアの声が飛んだ。
「伏せろ、ゼルヴォード!」
そして、光の矢が凶獣を吹き飛ばした。
ミレイシアは一瞬、自分の目を疑った。
神官が。
治癒役が。
あれほど鋭く、あれほど実戦的な攻撃魔法を撃つ。
驚いて当然だった。
だが、それ以上に胸の奥で何かが噛み合った。
ああ、そうか、と。
この人も同じところを見ていたのだと。
戦闘の真っ只中で、ラウスディアは短く言った。
「回復だけなら誰でもできる」
あの一言で十分だった。
それはミレイシアがずっと言葉にしきれなかった答えだった。
前線で共に戦うなら、
治癒術師もまた、前線の崩れを理解しなければならない。
必要なら、敵を押し返す術も持たなければならない。
理論は間違っていなかった。
異端でも何でもなかった。
ただ、周囲がまだそこまで辿り着いていなかっただけだ。
岩陰で重傷者へ処置を回しながら、ミレイシアは理解していた。
この人の下でなら、自分の考えを“理論”で終わらせずに済む。
前線で通用する治癒術師になれる。
回復だけの後衛ではなく、命を繋ぐために前へ関われる術師になれる。
だから救助任務の後、彼女はラウスディアのもとへ行った。
「弟子にしてください」
ラウスディアは露骨に嫌そうな顔をした。
「面倒だ」
「承知しています」
「お前、そういうところだけ妙に素直だな」
「必要なことは分かりますから」
しばらく睨み合ったあと、ラウスディアは重い溜息をついた。
「……途中で音を上げても知らんぞ」
ミレイシアはそこで、ようやく少しだけ笑った。
「上げません」
その時から彼女は、
異端と呼ばれた理論を捨てるのではなく、
前線で証明するために磨く道を選んだ。
もっとも、後にミレイシアが辿り着いた場所は、ラウスディアと同じではなかった。
ラウスディアが、光属性の攻撃魔法で敵を押し返し、治癒役でありながら局面そのものをねじ伏せる神官だったのに対し、
ミレイシアが選んだのは、風属性の攻撃魔法だった。
鋭く、速く、軽く、連続して差し込める魔法。
敵の軌道を逸らし、詠唱を乱し、得物をぶらし、味方へ届くはずだった一撃をわずかに外させるための攻撃。
傷を塞ぎながら風刃を走らせる。
出血を止めながら牽制を差し込む。
倒れかけた味方を支えながら、次に来る敵の踏み込みを崩す。
一撃で押し返すのではなく、
細かな攻撃魔法を絶えず織り込みながら、前線が崩れる少し手前を何度も引き戻す。
それが、彼女の辿り着いた戦い方だった。
師の背を見て道を知った。
だが歩いた先で見つけた答えは、師の写しではない。
ラウスディアが“押し返す光”なら、
ミレイシアは“崩れを許さない風”だった。
同じく攻撃魔法を手にしながら、
それでも彼女は、師とは違う形で前線に立つ治癒術師になっていく。




