第194話:旅立ちと再会、そして《ルクスエルディア》
生き延びたことと、元に戻れることは違う。
あの壊滅戦から戻った四人は、そのことを嫌というほど思い知った。
セリファルネ・ヴェルクレシア。
ヴァルゼリク・トルネイア。
リェスティナ・オルフェシア。
ディアルメス・クレヴァリオン。
治療院の白い天井の下で目を覚ました時、四人とも最初に自分の手足を確かめた。
あるはずがないと思っていたものが、まだある。
動くはずがないと思っていた指が、震えながらも動く。
周囲は奇跡だと言った。
治癒術師たちは、こんな回復はありえないと首を振った。
看護師は、本来なら四人とも助からなかったと小さく言った。
だが、生き残った四人にとって本当に重かったのは、その先だった。
元のままではいられない。
それだけは、誰に言われるまでもなく分かっていた。
最初に道を変えたのは、セリファルネだった。
父ドラクェルは当然のように騎士団へ戻れと言った。
娘が剣を持つことには反対しない。むしろ歓迎すらしていた。
だが冒険者になることだけは認めなかった。
騎士は守るためにある。
冒険者は流れ者だ。
国に仕えぬ強さに、何の意味がある。
父の言葉はもっともだった。
セリファルネにも、それが分からないわけではなかった。
それでも彼女は首を振った。
「あの時、私は守られて生き残っただけです」
応接室の空気は重かった。
父は黙って聞いていた。
「騎士団の鍛え方が悪いなんて言いません。父上の剣が間違っているとも思いません。でも……足りなかった」
そこで一度、言葉が詰まる。
あの岩場の景色が胸を掠めたのだろう。
「私は、守られるために強くなりたいんじゃありません。守るために前へ立って、それでも生き残れる強さが欲しいんです」
ドラクェルは長く黙った末、低く言った。
「それが騎士団では得られないと?」
「今の私には、届きません」
父の目は厳しかった。
だが娘の目も逸れなかった。
その日を境に、セリファルネ・ヴェルクレシアは騎士団長の娘である前に、一人の冒険者になった。
ヴァルゼリクも、結局は同じ場所に立っていた。
彼は元々、槍を扱う器用な中衛だった。
悪く言えば半端、良く言えば何でもこなせる。
それは中堅までなら長所になった。だが、あの戦場では通じなかった。
器用なだけでは誰も守れない。
その答えに辿り着いてからのヴァルゼリクは早かった。
以前使っていた軽快な槍を捨て、より重い戦槍へ持ち替えた。
刺すためだけの槍ではない。
払う、止める、押し返す、脚を砕く。
隊を壊さないための槍へ、自分ごと変えていった。
リェスティナは、静かに変わった。
彼女は四人の中でもっとも自分がどう助かったかを見ていない。
気がついた時には、すでにベッドの上だった。
だからこそ、余計に強く焼きついた。
何もできないまま救われた。
その事実を、彼女は誰にもこぼさなかった。
ただ弓を取った。
以前のリェスティナは、当てることに長けた射手だった。
矢筋は美しく、命中も正確だった。
だがそれだけでは足りないと知ってから、彼女の弓は変わった。
敵を倒すためではなく、味方を死なせないために撃つ。
敵の目を切る一矢。
前衛が踏み込める一瞬を生む一矢。
後衛へ向いた殺意を逸らす一矢。
撤退の道を開く一矢。
彼女は“射抜く弓”から“戦場を縫う弓”へ変わっていった。
ディアルメスだけは、少し遅れて動き出した。
彼は生還した後も長く悩んでいた。
己の火力が足りなかったのか。
術の威力が低かったのか。
詠唱が遅かったのか。
だが実戦に戻るうち、ようやく分かった。
足りなかったのは火力ではない。
崩れた戦場を立て直すための知識と術が、決定的に足りなかったのだ。
そうして四人は、しばらく共に冒険者として動いた。
あの壊滅戦を生き残った者同士だけに、最初から奇妙に噛み合う部分があった。
セリファルネが前に立つ。
ヴァルゼリクが隊列を支える。
リェスティナが射線で守る。
ディアルメスが後方から術式を重ねる。
低位や中位の依頼なら、もう遅れはしなかった。
クリムゾン級の高難度でも、逃げずにやりきれることが増えていった。
だが、そこで終わりではなかった。
ある冬の依頼で、四人は雪山の大型魔獣とぶつかった。
勝てはした。
だが、あまりにも危うかった。
セリファルネの剣は敵の骨を断ち切れず、受けの多さで腕を壊しかけた。
ヴァルゼリクの槍は押し返すには足りても、止め切るにはあと一歩届かなかった。
リェスティナは矢で戦況をずらしたが、吹雪の中で射線の確保に限界があった。
ディアルメスは術で援護したものの、崩れた陣形を立て直すほどの引き出しがなかった。
誰も死ななかった。
だが、全員が同じことを思った。
このまま一緒にいても、レッド級には届かない。
雪の夜、安宿の一室で、最初にそれを口にしたのはセリファルネだった。
「一度、散りましょう」
火皿の炎が小さく揺れた。
ヴァルゼリクは何も言わなかった。
だが否定もしない。
リェスティナは膝の上で指を組んだまま、静かに目を伏せている。
ディアルメスは最初から、その答えに辿り着いていた顔をしていた。
「喧嘩別れじゃないわ」とセリファルネは続けた。
「むしろ逆。ここで一緒にいる方が、中途半端なまま終わる」
ヴァルゼリクが低く問う。
「戻る気はあるのか」
「あるわ」
セリファルネは即答した。
「もっと強くなって、また会う。その時に、今より先へ行くの」
リェスティナが小さく息を吐く。
「師を探すのね」
「ええ。独学じゃ限界がある」
ディアルメスはそこで初めて口を開いた。
「俺も出る。欲しいのは大魔術じゃない。崩壊を止める術だ。そういう人間を探す」
ヴァルゼリクは鼻を鳴らした。
「なら俺もだ。隊を繋ぐ槍を教えられる人間なんて、そうそういないだろうが」
「でも、いるから探すんでしょう」
セリファルネがそう返すと、ヴァルゼリクは僅かに口元を歪めた。
その夜、四人は別れた。
もっと強くなるために。
セリファルネが辿り着いたのは、辺境の砦都市だった。
そこで出会ったのは、女剣士アルシェリア・ノルヴァダ。
かつて貴族護衛騎士として名を馳せ、その後は辺境で対大型戦を繰り返してきた女だった。
彼女の剣は美しくなかった。
騎士団の演武で映えるような剣でもない。
だが、崩れなかった。
大型の突進を受け流し、踏み込みを潰し、前に立ち続ける。
守るための剣とは本来こういうものだと、セリファルネは一目で理解した。
弟子入りを願った時、アルシェリアはしばらく彼女を見てから言った。
「騎士の型を残したまま、生き残る剣を覚えたい顔ね」
セリファルネは深く頭を下げた。
そこで彼女は、剣より先に立ち方を叩き込まれた。
次に受け。
次に崩し。
最後にようやく攻め。
与えられた剣は、師が使っていた名剣を元に調整された実戦剣だった。
騎士剣より厚く、受けに耐え、殻にも骨にも負けない。
さらに鎧も、旧来の騎士装備を基に継ぎ目を徹底補強した《ヴェルクシア・プレート》へ作り直された。
セリファルネはそこで、“綺麗な剣士”から“崩れない前衛”へ変わっていった。
ヴァルゼリクは流浪の果てに、元レッド級の槍士ガルディノス・フェルゼアへ辿り着いた。
無愛想な老人だった。
だが槍だけは本物だった。
「あの壊滅戦みたいな場面で、最後に立っていたい」
ヴァルゼリクがそう言うと、老人は鼻で笑った。
「立つだけなら雑魚でもできる。問題は、立ったまま何を守れるかだ」
そこから先は地獄だった。
走らされ、殴られ、転ばされ、負傷したまま立たされ、槍を折られても棒で構えさせられた。
教わったのは、見栄えのいい槍ではない。
壊れた隊列をつなぐ槍。
大型の脚を止める槍。
仲間を逃がす最後尾の槍。
最後に託されたのは、老人が長く使っていた異形槍。
突くだけではなく、払って、支えて、砕くための槍だった。
ヴァルゼリクはそこで、器用な槍使いから“全滅を防ぐ槍”へ変わった。
リェスティナが師事したのは、森に隠れ住む魔導弓の使い手、シェルミナ・エルファディアだった。
その女射手は、獲物を射抜く前に風を読んでいた。
敵を見る前に地形を見ていた。
矢を放つ前に、戦場の終わり方を見ていた。
「ただ当てるだけの弓なら、上手い人間はいくらでもいる」
そう言われて、リェスティナは黙って頭を下げた。
彼女が学んだのは、射撃そのものより、戦場の観測だった。
気配の読む角度。
敵の進路を切る射線。
夜、霧、雨、森、高所、崩落地。
どんな場所でも味方へ最適な一矢を通すための技術。
その果てに与えられたのが、魔導弓と、射撃補助具、軽防護外套だった。
それらは派手ではない。
だが、一流の射手が見れば、ただの弓手ではないと分かる装備だった。
リェスティナはそこで、“当てる射手”から“味方を死なせない射手”へ変わった。
ディアルメスは最も長く消息を絶った。
各地を巡り、追い返され、それでも諦めず、最後に辿り着いたのは偏屈な高位魔術師エルグランティス・ノルゼヴァルのもとだった。
老人は、ディアルメスの話を最後まで聞くと、杖を床へ突いた。
「火力が欲しいわけではない、か」
「はい」
「勝ちたいのでもない」
「壊れた戦場を、壊れたまま終わらせたくありません」
エルグランティスはそこで初めて笑った。
「気に入らんが、筋は通っている。来い」
ディアルメスが叩き込まれたのは、派手な大魔術ではなかった。
拘束。
遅延。
退路形成。
魔力撹乱。
視界阻害。
対大型制御術。
敵を倒すためではなく、味方を落とさないための魔術ばかりだった。
師の工房で仕上げられた多層術式刻印杖、複数制御具《ノルゼリア環》、外套《イス=ファル》。
それらを手にした時、ディアルメスはようやく自分の進むべき方向が定まったと知った。
それから約五年。
最初に再会したのは、セリファルネ、ヴァルゼリク、リェスティナの三人だった。
偶然ではあるが、ただの偶然ではなかった。
上位依頼の集まる交易都市ルヴァンシェル。
レッド級手前の冒険者たちが自然と集まり始める場所で、三人は数日の違いで顔を合わせた。
最初にセリファルネが気づいた。
酒場の奥、壁際の席で無言で杯を置いた槍使いの姿を見て、すぐに分かった。
「……ヴァルゼリク?」
男は顔を上げた。
以前より鋭く、少しやつれて見えた。
だが間違いなく本人だった。
「久しぶりだな」
それだけだった。
五年ぶりの再会にしては、あまりにも短い言葉だった。
だがその距離感が、妙にらしかった。
翌日にはリェスティナも現れた。
軽外套の下に覗く弓と腕帯が、もはや昔の彼女とは別物だと告げていた。
三人はそのまま依頼を一つ受けた。
大型飛竜の追跡討伐。
簡単な依頼ではない。
だが試すにはちょうどよかった。
そして三人は知る。
変わったのは自分だけではない。
この五年は無駄ではなかった。
セリファルネが前を支える。
ヴァルゼリクが綻びを埋める。
リェスティナが一矢で戦況をずらす。
かつて未熟だった連携が、今は形を持っていた。
しばらくして三人は組んだ。
正式な名はまだない。
だが、周囲はすでに一目置き始めていた。
ただし、完成にはまだ一人足りなかった。
その再会は、危機のただ中で訪れた。
三人で受けた高難度依頼。
山岳深部における変異種の群れ討伐。
本来なら対応可能な規模だった。
だが実際には、地形の崩落と上位個体の出現が重なり、戦況は一気に崩れた。
セリファルネが前を持ち、ヴァルゼリクが中衛で支える。
リェスティナが射線で開く。
それでも足りない。
あと一手。
崩壊を止める最後の一手がない。
その時だった。
山肌に複層の術光が走る。
敵群の足元に拘束陣。
視界を乱す散光。
崩れかけた退路へ強制補強の魔術壁。
さらに、大型個体の脚元へ刺さるように落ちる遅延術式。
空気が変わった。
ヴァルゼリクが、乱戦の中で目だけを横へ向ける。
「遅い」
そこにいたのは、黒に近い外套を纏った男だった。
長杖を構え、指と腕には複数の制御具。
顔つきは昔より研ぎ澄まされ、それでいて以前の面影もある。
ディアルメス・クレヴァリオン。
「助けに来た相手への第一声がそれか」
言いながらも、彼の術式は止まらない。
大型個体の突進軸がずれ、セリファルネの前に空白が生まれる。
そこへリェスティナの矢が通り、さらにヴァルゼリクの槍が脚を抉る。
噛み合った。
その瞬間、三人は理解した。
これで揃ったのだと。
あの日、岩場で壊滅寸前だった自分たち。
そこから散り、鍛え直し、今またここで揃った四人。
セリファルネが踏み込む。
《アルゼヴェイン》が変異種の骨を断つ。
《ヴェルクシア・プレート》が反撃を受け止める。
ヴァルゼリクの《トルヴァジル》が敵の脚を止め、押し返し、隊列を繋ぐ。
リェスティナの《フィルネリア》が最も死角に近い一矢を通し、味方の命を一呼吸だけ延ばす。
ディアルメスの《クレヴァノクス》が、崩れかけた戦場そのものを押し戻す。
その戦いが終わった時、四人はようやく同じ場所に立った。
誰か一人が最強なのではない。
だが四人が揃えば、そう簡単には壊れない。
正式にパーティー名を決めたのは、その少し後のことだった。
名は――
《ルクスエルディア》
言い出したのが誰だったのか、後になっても曖昧だった。
ただ四人とも、その名以外はしっくり来なかった。
《ルクスエルディア》は強かった。
派手さだけなら、もっと上はいる。
一撃の火力だけなら、さらに凄まじい者もいる。
だが彼らには、他にない強みがあった。
崩れない。
どれだけ不測の事態が起きても、壊れない。
大型戦でも、乱戦でも、撤退戦でも、最悪の一歩手前で踏みとどまる。
それは、あの日一度壊れかけた者たちだからこそ持てた強さだった。
やがて彼らは、揃ってレッド級に至る。
前線を崩さぬ剣、セリファルネ。
全滅を防ぐ槍、ヴァルゼリク。
味方を死なせぬ弓、リェスティナ。
戦場を壊さぬ術師、ディアルメス。
人は言った。
《ルクスエルディア》は、強いというより、壊れないのだと。
その評は、たぶん正しかった。
だが四人だけは知っていた。
始まりは、もっとずっと前だった。
黒い凶獣。
血の臭い。
壊滅寸前の岩場。
そして、その全てを一人で押し返した冒険者の背中。
探そうとしたことはあった。
噂を拾おうとしたことも、一度や二度ではない。
だが結局、誰一人として再会はできなかった。
ただ一度だけ、ラウスディア・ネメルハイトから聞いたことがある。
「あいつか?今は鍛冶屋をやっているらしい」
セリファルネは、その時少しだけ笑った。
「似合うような、似合わないような話ですね」
ラウスディアは肩をすくめる。
「昔から、何をしていてもあいつはあいつだ」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
きっと今も、どこかで誰かの命を繋いでいる。
そう思えば、不思議とそれでよかった。
《ルクスエルディア》がレッド級まで上り詰めた理由を問われれば、答えは幾つもあるだろう。
才能。努力。師との出会い。実戦経験。専用装備。再会の運。
どれも間違っていない。
けれど四人の中で、その答えはもっと単純だった。
一度、死にかけた。
だから、二度と同じ壊れ方はしないと決めた。
その誓いを守り続けた先に、今の自分たちがあるのだと。
だから《ルクスエルディア》は、今も決して軽々しく命を賭けない。
仲間を置いていかない。
崩れかけた時ほど足を止めない。
あの日、自分たちは確かに救われた。
だから今度は、自分たちが誰かを救う側に立つ。
それが、レッド級パーティー《ルクスエルディア》の、誰にも語らぬ根だった。




