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第169話:白の入口

 “ここから先は、帰還の保証がない”


 誰もそう口に出さなかった。

 それでも、空気が言っていた。

 雪が、風が、山そのものが、そう語っていた。


 霊峰アルゼンの深部。

 その入口に立った朝、空は灰色に低く、吹雪は小さく震え続けていた。


 仮設ベースキャンプから北、結晶地点へ向かうための最初の行動。

 ゼルヴォードは火の前で腰袋から二つの品を取り出す。


 一つは、小さな銀線細工と水晶の耳飾り――ルフリア。

 もう一つは、小型の木箱。手のひら大の密閉保存箱――熱の栗核が詰まっている。


 彼は、整列する仲間たちに淡々と告げた。


「……まずは、ルフリア。

 この先、視界は悪く、声は風で裂ける。

 魔力を一瞬流せ。通話可能距離は理想で二百メートル、だが状況次第で半減する。

 通信が切れたら……まず生存を疑え」


 沈黙の中、一人ずつに手渡されるルフリア。

 ノーラは黙って受け取り、耳に装着。

 セイヤは魔力構成を読み取りつつ、素早く動作確認。

 ミリナは「テステス、こちらミリナ、本日も快調!」と軽口を飛ばしてグレイヴに白目を向けられる。

 グレイヴは構造を見て一言、「これ、職人が気にする繊細さだな……」と呟きながら丁寧に装着。


 ゼルヴォードは続けて、腰袋から木箱を取り出す。

 一人一箱、音を立てずに差し出した。


「……熱の栗核。一人につき一ケース、二十四粒入り。

 一日一粒。……緊急時には重ねて使え。

 体温低下、凍傷、魔力凍結の初期症状にも効果はある。

 ただし、多用するな。内部から“焼ける”ぞ」


 ミリナが箱を開けて、片手に一粒を転がす。


「……え、なにこれ、手のひらでぽかぽかしてる……まだ食べてないのに!」

「本気で噛めば、三十秒で体温が三度上がる。夜に食べるな。寝汗で凍るぞ」

「なるほど!……気をつけます!」


 ノーラは箱を一瞥して腰袋へ。

 セイヤは一粒を丁寧に布で包み、魔力の残量計測まで行っていた。

 グレイヴは重みを感じ取りつつ、「非常時まで想定済みか……」と短く呟いた。


 ゼルヴォードは全員の反応を一瞥して、背を向けた。


「五日でたどり着く。……ここからが本番だ」


 一日目。

 冷気はまだ“通常の山”の範囲だった。

 が、既に空気は澱み、雪の粒子が光を乱していた。


 セイヤが立ち止まり、霊脈の地図を睨みながら言う。


「……霊力の流れが止まってる。地脈が“凍ってる”ような反応だ」


 ノーラは雪の粒を拾い、手袋の上で細かく割った。


「形が……不自然。風の動きに逆らってる」


 グレイヴが霊銀反応石を揺らすも、光は濁っていた。


「距離は近いはずだが……反応が潰れてる。

 “向こうから”何かで遮ってるような……」


 ミリナが視線を泳がせて、冗談めかして言った。


「ねえ、空気、なんか“誰かの目”がついてない? 気のせい?」


 誰もそれに返さなかった。


 三日目の夜。


 テントを張るほどの広さもない斜面。

 狭い雪壁を削って隠れるように夜営の準備を進めていた時――

 ノーラが、小さく呟いた。


「……ここ、来たことがある」


 ミリナが止まり、セイヤが目線だけを向ける。


「……前の遠征?」


「そう。……私が唯一、生きて戻った場所」


 ミリナが口を開きかけたが、やめた。

 代わりにゼルヴォードが低く問う。


「……どうやって死んだ?」


 ノーラは少しだけ、空を見た。

 そして、風を聞くように答えた。


「魔力を、吸われた。

 術は全部消える。

 近づいたら、見えない何かが“触れて”くる。

 その瞬間……みんな、声が出なくなった。

 ……“名前を呼ぶ声”が、どこからか聞こえた」


 全員が、ルフリアに無意識に手をやった。


 四日目。


 ルフリアに初めて、異音が混ざる。


 《ザ……リ……ッ……こちら……か……?》


 セイヤが即座に魔力遮断を試みるが、ノイズは止まらず、

 ミリナが肩をすくめたまま、呻くように言う。


「……変な声、入って……これ、私の声じゃない……誰……?」


 その時だった。

 雪が“沈んだ”。


 視界の奥、雪面を“染める”ような黒い靄。

 形を持たぬ影。

 その奥から、異形の獣が現れる。


 蠢く瘴気、歪んだ輪郭。

 かつてノーラが遭遇した、異界の系統――“半奈落獣(アビスレイス)


 ゼルヴォードは即座に動いた。

 剣が抜かれた瞬間――


 火が、閃いた。


 刃の表面に刻まれた魂鋼が起動し、空気を焦がしながら“霧を焼く”。


 ノーラが見ていた。

 前と同じ獣。

 でも、違う。

 今は、ここに火がある。仲間がいる。

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