第1話:敗北寸前の冒険者たち
ずっと鍛冶屋の話も考えていましたが、こんな鍛冶屋がいてもいいかなと思い書いてみようと思いました。
西方の辺境。
大陸を横断する交易路から外れた、鬱蒼とした森の中。
人の気配は薄く、静寂に包まれた空間には、風に揺れる枝葉のささやきと、小鳥のさえずりが響くだけだった。
獣道に沿って、ゆっくりと歩く一人の旅人がいた。
彼の腰には一本の剣。
背中には革製のマジックポーチ。
軽装ながらも、どこか実戦慣れした雰囲気を醸し出している。
風が吹き抜け、乾いた草と土の匂いが鼻をかすめる。
彼は特に急ぐ様子もなく、自然の空気を味わうかのように歩を進めていた。
──しかし、その静寂の中に、かすかに異質な音が混じった。
カキンッ!
金属がぶつかり合う音。
剣戟。
旅人──鍛冶屋の男は歩みを止め、眉をひそめた。
風の流れに耳を澄ます。
耳に届くのは、断続的な剣のぶつかる音、荒々しい叫び声、そして魔法の炸裂音。
(戦闘か……しかも、押されているのは一方だけだな)
攻撃と防御のリズムからして、守勢に回っているのは三人ほど。
相手はおそらく、大型の魔獣か、それに類する存在。
男は一度、空を仰いだ。
日が傾き始めた夕刻。
こんな時間に戦闘を続ければ、体力の消耗は激しく、夜を迎える前に命が尽きる可能性もある。
「……ま、後味の悪いことになるよりは、マシか」
男は小さくため息をつくと、森の奥へと足を向けた。
木々の隙間から覗き込むと、視界が開けた。
目の前には、荒れた地面と戦闘の痕跡。
そこにいたのは、三人の冒険者。
一人は大盾を構えた戦士。
青銅の盾はすでに傷だらけで、盾越しに伝わる衝撃で足が揺れている。
その後方では、長衣をまとった魔術師が呪文を詠唱中。
彼の額には汗が滲み、明らかに疲弊している。
さらに、もう一人。
短剣を構えた少女が、すばやく駆け回り、隙を狙っている。
だが、その刃が敵に届くことはない。
──彼らの敵は、一体の巨大な魔獣。
大型魔獣・鉄爪獣。
(……面倒なのに絡まれたな)
黒鉄の毛皮に覆われ、四肢に鋭利な鉤爪を持つ獣。
並の武器では傷すらつかず、突進の威力は鎧ごと人体を粉砕するほど。
戦士の盾は、その破壊的な攻撃を辛うじて防いでいたが、耐久は限界が近い。
すでに腕が痙攣し、足元もふらついている。
(この盾じゃ、あと数発も耐えられないな)
「──フレア・バースト!」
魔術師の声と共に、巨大な火炎が鉄爪獣を包み込む。
しかし──
鉄爪獣はまるで何事もなかったかのように、その炎をかいくぐった。
その鋭い瞳には、一片の怯えもない。
(やっぱりな)
この魔獣は、炎耐性を持つ。
事前に情報を集めていれば、炎以外の魔法を選んだはず。
つまり、彼らは準備不足。
その隙をついて、短剣使いが獣の脚を狙う。
素早い軌道で切り込むが──
カキンッ!
刃が弾かれた。
(……通らない? いや、違う)
旅人は短剣に目を向ける。
刃は無数の小さな欠けができており、明らかに手入れ不足だった。
(刃こぼれがひどいな。研ぎが甘い)
少女の技量ではなく、武器がダメだ。
この状態では、いくら巧みな動きをしても有効打は与えられない。
そして──
鉄爪獣が低く唸り、突如、狙いを魔術師に切り替えた。
「……っ!!」
魔術師の顔が恐怖に歪む。
詠唱に集中しすぎて、身を守る手段を用意していない。
戦士は疲弊しきって動けず、短剣使いは位置的に間に合わない。
(さて……)
男は剣の柄に手を添えた。
──銀閃が走る。
ザシュッ!!
突如、銀色の閃光が空を裂いた。
鉄爪獣の動きが止まり、硬直する。
次の瞬間──
ドサリ。
血飛沫とともに、真っ二つに裂けた魔獣の亡骸が地に沈む。
魔術師は呆然としたまま、自分の身体を確認した。
戦士は目を見開き、短剣使いは固まっている。
あまりにも一瞬すぎて、誰も何が起きたのか理解できなかった。
戦士が、震える声で呟く。
「……たった、一撃で……?」
その視線の先には、剣を肩に担いだ旅人。
二十代後半の男。
無造作な黒髪と無精ひげの風貌。
──だが。
彼の持つ剣は、どこにでもあるロングソード。
「……あんた、何者?」
短剣使いの少女が、震えた声で問う。
旅人は、軽く剣を振って血を払い、鞘へ戻す。
「ただの鍛冶屋さ」
「……鍛冶屋?」
魔術師が困惑する。
戦士が剣を指差した。
「お、おい……それ、何の剣だ?」
「ああ? どこにでもあるロングソードだが?」
何気なく答える旅人に、三人は息を呑んだ。
──どこにでもある剣。ならば、なぜこんなことが可能なのか?