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42 華やかな迷路へ (4)

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名作「まほろば藤」

稀代の天才着物作家、藤原匠真(ふじわらたくま)がつくった一点物の振袖。

美しい幻想世界を閉じ込めた名品。

展示のみの非売品。


「藤原さんの次男さんが作った着物よ。着物としての評価も最高だけど、特にこの絵、"着物に描かれた絵画"としても評価が高いの」


楓さんの説明に、藤原さんは正座し小物を揃えていた手を止めて、次男の匠真さんの話をしてくれた。


「元々は油絵画家でございましたが、突然何も描けなくなりまして・・、筆を折ろうとしておりました。ある方から着物に描いたらどうかと言われたのがきっかけになって、着物作りに携わるようになったのでございます。おかげさまでいまも描き続けることが出来ております。着物に携わるきっかけをくださった方には本当にいまも心から感謝しております」


藤原さんは、『まほろば藤』をみつめながらにこやかに話すが、画家が筆を折ろうとするなんて、次男さんの絶望はどれだけ深かったか。そして、親として、藤原さんもどれだけ苦しかったかわからない。


いつの間にかわたしの真横に来ていた組長先生も言う。


「人間の繋がりってのは不思議なもんだ・・。苦しんで苦しんでもがいて何もかもどうでもよくなった時に、救いの手がひょいと差しのべられたりするんだ。だが、本人が救いの手に気づかなきゃどうにもなんねえ。気づける人間で在ることが大切なのかもしれねえな。な?嬢ちゃん」


組長先生はわたしの頭にぽんと手を置く。わたしに言っているのかと思わせる仕草だった。


「俺は間近で観るのはこれで二度めだが、どうも前回観たときと感じが違うんだ。前回はやたらと近づきがたい神域の美しさを感じたが、今回は柔らかで優しい、天女が現れそうな美しさを感じる」


「それも『まほろば藤』の特徴のようでございます。なにやら皆様同じように観る度に違うおっしゃって、まほろば藤は連作なのかとおっしゃる方もおられます」


「自分が変わったから違うように感じるのよ。自身の変化には自分では気づけないのよね。何か起きないと」


楓さんが苦笑いして言った。


「そうだな。たまにはいいこと言うじゃねえか楓」


「あら、あたしはいつだっていいことしか言わないわよ」


組長先生が大笑いし、わたしの方を向きなおした。


「嬢ちゃんも今日感じた『まほろば藤』を覚えておくんだぞ。次にこの着物に出逢う時、どんな風に自分が変わったのかを知ることが出来るはずだ」


まるで小さな子供に言い聞かせるみたいに、組長先生はわたしの頭を撫でながら言った。


わたしは「はい」と答え、そんな名品をじっくり間近で観れたことを思うと、感動で胸が熱くなった。


同時に、心に影がよぎった。


『次はもうないだろ?』と、違う自分が囁いていた。


ただ、この素晴らしさは忘れまい。


お父さんの見た世界は本当はこんな風だったんだろうと。

ベッドで夢の中の世界を話していた時の、あの幸せそうな笑みがやっと理解できた気がする。



わたしが物思いに耽っていると、組長先生が、

「嬢ちゃん、そろそろ着てみせてくれや」と言った。

藤原さんは躊躇なく「ではお嬢様、」と『まほろば藤』を手にする。

わたしは慌てて、

「着れませんっっそんなすごい着物っっ無理無理無理無理無理っっっっ」

両手をブンブンと振り、強い遠慮の意向を思いっ切り示した。

天才が作ったそんな名作と呼ばれる着物を着るなんてまじめに無理!非売品だよ?!

試着させてもらってた着物だって心臓バクバクだっていうのに。

スーパーの3900円のTシャツを買うかどうかを悩む人間にこれ以上無茶はさせないでほしい。


「おいおい嬢ちゃん、何もそんなに」

言いかけてる言葉にかぶせるようにわたしは、

「無理ですぅぅぅぅぅぅっっ」

と、最後は泣き落としで決着をつけた。



結局、お昼もごちそうになり、午後は色無地と訪問着を試着し選び、終わったのは午後二時を過ぎていた。


わたしは振袖を二枚、訪問着を二枚、色無地を一枚選ばせてもらい、その日はおいとました。

松田さんのお茶会はあさって。当日の天気も見て、どれにすればいいか決めるとなったのだ。この場合のどれかというのはもちろん二枚の振袖のどちらかだ。


組長先生と楓さんは、どうせなら夕飯も食べて泊まっていけばいいのにと言ったが、遠慮した。


楽しかったけど、その分疲れたのだった。家に帰りたかった。


だから、明日は家でゆっくりしよう。朝からダラダラして過ごそう。


古くて小さい家だけど、やっぱり自分の家が一番落ち着く。

自分の唯一の居場所。素でいられる場所。


帰りに本橋さんが、朝に収穫したブルーベリーと、3時に出す予定だったとお菓子を手渡してくれた。


お屋敷の門まで、組長先生と楓さんが見送りについて来てくれた。


いつも庭や通りを掃除してくれている若い男性が、自転車を道路まで出してくれた。

わたしが「いつもありがとうございます」と言うと、「お気をつけて」と言ってくれた。


わたしは自転車のかごに、着替えの入ったバッグを置いて、その上にブルーベリーとお菓子をのせ、

「今日はありがとうございました。あさってまた来ます」と二人に向かって挨拶をした。

組長先生は自転車のハンドルを掴んでいるわたしのすぐ側まで来て

「気ぃつけて帰るんだぜ?なんかあったらすぐ電話しろよ、嬢ちゃん。嬢ちゃんはもっともっと甘えていいんだぞ」と、また、わたしの頭を撫でた。


「・・はい!ありがとうございます」


わたしは二人にお礼のお辞儀をし、自転車に乗って家路についた。



『もっともっと甘えていいんだぞ』



組長先生の優しさが、



わたしは嬉しくも辛かった。






「会長、少しよろしいでしょうか?」


着物の居並ぶ静かな和室で、呉服屋藤原の当主・藤原央己(ふじはらおうみ)は神妙な面持ちで会長の惣領貴之(そうりょうたかゆき)に声をかけた。


「なんだ?何か問題でもあったのか?」


「『まほろば藤』のことでございますが」


「まほろば藤?」


「会長、この『まほろば藤』、あのお嬢様にお譲りしたく思いますので、どうかお力添えいただけませんか」


藤原央己は両手をつき、懇願するかのように頭を低く下げていた。








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