196 ロンド~踊る命~ -13- デリヘル嬢アユミ①
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『そっちに行っちゃだめ』
みふゆは声をかけた。
『え?』と振り向いたのは、女の子だ。高校生くらいに見える。
『そっちに行っちゃだめ』
『どうして?カレーのにおいがするからカレー屋さんがあるんじゃない?あたしカレーが食べたいんだよ』
『そっちにあるのは川。カレー屋さんはないよ』
『えー?!こんなにカレーのにおいがするのに??』
『・・・・・』
みふゆはスンッと鼻でにおいをかいだが、カレーのにおいはしない。どうやら彼女はカレーに執着があるらしい。
死者の道は彼女を引っぱり込むためにカレーのにおいでおびき寄せているのだ。
『・・そっちは死んだ人が行く道だよ』
『うそぉーーーっ!!あたしってば死んじゃったの!?』
『まだだと思うけどそっちに行けば死ぬことになると思う』
『そっかあ、・・短い人生だったなぁ。でもいいや。生きててもあんまいいこと無かったし。あ、でもカレー食べそこなったな。ねえ、死んだらカレー屋に出入り自由の食べ放題じゃない?!』
『肉体がないから食べられないけど、誰かがあなたにカレーをお供えしてくれたら食べた感じになると思う。お供えしてくれる人いる?』
『うーん、いないな・・。ちくしょう!悔しいなあ。どうせならカレー食べてから刺してくれりゃよかったのに!』
本郷二条総合病院・外科入院病棟特別室3S。
午後十一時五十八分。病室内には白衣を着た医師と、ベッドのそばの椅子に座っている堀内健次がいる。
アユミは堀内の希望で、術後は外科の特別室に運ばれていた。
「本当にいいのか?」
外科医の北森が、ベッドに横たわるアユミを見ながら堀内健次に話しかけた。北森も、堀内健次の過去を知るひとりだ。堀内よりも二歳上で、高校の先輩でもある。
「仮に助かったとしてももしかしたらずっと意識のないままってのもあり得るんだぞ」
アユミに刺さったナイフは、臓器の一部を傷つけており、手術は時間がかかった。手術が終わってからも、アユミの意識は一度も戻っていない。
話しかけられても、堀内はアユミから目をそらさずに北森にこたえた。
「何度も同じ事を言わせるな。こいつの面倒は全部俺がみる」
「ずいぶんとまた入れこんだもんだ。ま、お前が彼女の正式な『夫』なら、彼女の家族が来ても断りやすくなる。一応病院の弁護士にも話は通したからな。なんかあったら相談しろよ」
「以前と同じか?」
「ああ、佐藤と西原と去年から江戸川もだ」
堀内は「そうか」と言うと黙ってしまった。
北森は「様子が変わったらナースコールを押してくれ」と言ってアユミの病室を出た。
堀内はアユミの手術中に、デリヘル店の店長から、アユミの家族について知らされた。
『警察から九州のアユミの家族に連絡がいけば、家族はアユミの稼いだ金をむしり取ろうとするだろう。おそらくアパートにある通帳や現金、室内の全てのものを金に換えるはずだ』
ろくでもない家族から逃げてきたアユミは、大学は卒業したいと、最終的にデリヘルで稼ぐようになったのだ。これを聞いて、堀内はアユミとの婚姻届けをすぐに出した。手続きは堀内花壇の専属弁護士と、離婚が成立している前妻のエリカにさせた。アユミには無断の届けとなったが、家族が来てからでは遅い。
堀内の胸のなかに晴れない靄がたちこめていた。
アユミを刺したのは林香苗ではないのか。
堀内花壇の従業員だった、あの━━━━




