148 幸せは、幸せのままで(2) 胸騒ぎ
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貴之は感動のあまり、みふゆを抱き上げたまま病室に入ろうとしたが、胡蝶に窘められ、みふゆをしぶしぶ車椅子に座らせた。
ベッドに戻ったみふゆの側で、笑みを絶やさない貴之がなんとも愛しい。
愛されている実感がわきあがる。
今までも『好かれている』とは感じていたが、『愛されている』と感じたのは今日が初めてだ。
貴之のまっすぐな愛情が嬉しい。優しくみつめてくれる瞳がここにある。
いつか養子縁組を解消されるのではないかと怖さがあった。いまは貴之の愛情を心から知って、そんな気持ちは消えてしまった。
嬉しさと照れくささのなかで、みふゆはふと京司朗を思い出した。
━━━━そういえば若頭はどうしてるんだろう?いつだったか、若頭もこんな風に優しい瞳でみつめてくれたことがあった。あれは、あれは・・いつだったろう・・
思い出そうとして、みふゆの思考はパチンと途切れた。頭のなかの回線をペンチで切ったような感じだった。
「みふゆ?どうした?疲れたのか?」
貴之が心配そうにしている。
みふゆは慌てて考えるのを止めた。
「あの、森永先生と話したあとにソフトクリームを食べに行ったんです。三階の喫茶室で」
「うまかったか?」
「はい。今日抹茶を食べたので明日はチョコを食べたいんです。あの、だから、明日リハビリが終わってからお父さんも一緒に・・」
みふゆが恥ずかしげに視線を落とし、貴之に言った。
「ああ。明日も明後日もリハビリが終わったら一緒に食いに行こう」
貴之の笑顔にみふゆは安心して「はい」と頷いた。
貴之は幸せだった。
思っていたよりずっと早く『お父さん』と呼んでくれた。
実の父親だと伝えられない胸を掻くような苦しさは、今日、『お父さん』と呼ばれたことでふっ飛んでしまった。
幸せが、幸せのままで在ってほしいと、貴之は心から願った。
夕食を共にして、一息ついたあと、夜間の付き添いに楓が訪れ貴之が帰る時間となった。正直なところ帰りたくない。まだみふゆと過ごしていたい。しかし、自分がいつまでもいると、せっかく出来上がったみふゆの睡眠ペースを乱すことになる。
「明日、また来るからな」
と、貴之はみふゆの頭を撫でた。
みふゆは微笑みながら「はい」と答えた。
しかしやっぱり名残惜しい。
「・・俺も今夜は泊まるかなあ」
「あら、三上が屋敷のことで相談があるって言ってたわよ?」
みふゆから頼まれた荷物を出しながら楓が言った。
「そうか。後回しにするわけにもいかねえしな。しょうがねえ帰るか・・」
心底残念そうな貴之を胡蝶がからかった。みふゆはクスクスと笑った。
みふゆはベッドに背もたれて、ガラス窓の向こうを見た。雲がかかって、星は見えないけど、地上の町の灯りがきらきら輝いている。
━━━━きれい。100万ドルの夜景とは言えないけど、すごくきれい・・
ガラス窓に室内が写りこみ、三人の姿も写っている。
貴之と胡蝶と楓。
三人とも背が高くスマートだ。当然だが、貴之が一番背が高い。京司朗や堀内には及ばないが、180cmはゆうにありそうだ。
堀内花壇の本店で、初めて会ったときは威圧感のある男性だと思った。
話してみるとお花やお茶の免状を持っている、多彩な才能を持つ男性だと知った。話術にも長けていて、背中の小さな憑きものをおとしてるうちに打ち解けるようになった。
二、三度スーツ姿を見たが、やはり着物が似合う。
惣領貴之が自分の養父になったと思うと、自慢でもあるし、貴之の溢れんばかりの愛情が気恥ずかしくもある。
貴之の姪である胡蝶と楓にも、娘のように、妹のように、家族としてかわいがってもらっている。
若頭との間にあった誤解も完全に解け、お屋敷の人達にもとてもよくしてもらっている。胡蝶の夫・松田俊也も気遣ってくれている。
━━━━こんなに幸せを感じられるなんて、生きてきてよかったんだ。
惣領みふゆとしての新しい人生が始まっているのだ。
みふゆが窓から視線を移すほんの一瞬だった。
心臓がドクリと音をたてた。
誰かがいた。
ガラス窓に写る貴之の後ろに。
人の形だった。
みふゆは室内の貴之を見た。
胡蝶と話をしている。
貴之の後ろには誰もいない。
気配も感じない。
何かが憑いてるならわかるはずなのに、貴之からは何も感じない。
みふゆは再度ガラス窓に写る貴之を見た。
━━━━何もいない。見間違えた?でも・・
「みふゆちゃん?どうしたの?」
みふゆの様子に気づいたのは楓だった。




