141 毒をはらむ蝶
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堀内花壇本店は三日前から営業を再開していた。
支店スタッフの糸川梨理佳は本店に勤務させている。
糸川梨理佳はみふゆ本人から、『入院のため暫く仕事を休む』とメッセージをもらっていた為、堀内の見舞いに行く話には驚かなかった。かえって、『お見舞いに行くなら自分も行きたい』と店内でごねた。
あまりにごねるので、他言しないのを条件に、堀内はみふゆの病状について糸川梨理佳と、一番年長のスタッフで『七十先輩』と慕われている山形友江にも説明をした。特に糸川には、メッセージなどのやりとりができたとしても、洪水と支店の話は絶対にしないように言い含めた。
糸川梨理佳は、入院後にメッセージのやりとりがなかった為、詳しい状況は把握しておらず、堀内から病状を聞き、少なからずショックを受けていた。
おとなしくなった糸川梨理佳は、自分の分の見舞いも持っていって欲しいと言った。
病院を訪ねる当日、堀内は糸川梨理佳と山形友江から見舞いの品を預かった。
「おい、山形、デカすぎて迷惑なんじゃないのか?!」
大きな枕かクッションでも入ってるのか、山形友江の見舞い品が大きすぎる。
「そんな事ないさ。みーちゃんならきっと喜んでくれるよ。入院生活は退屈だからねぇ」
「突っ返されても知らねぇぞ」
堀内は車の後部席に、堀内自身が用意した見舞いの品と、二人からの見舞いの品を置いた。
堀内は店を出て、一度自宅マンションに戻り、デリヘルの女を呼び出した。女が着替えをとりに行きたいと言っていたので、ついでに送っていくつもりだ。
「社長、あたしどこに乗ればいい?トランク?」
デリヘルの女が後部席が見舞い品で埋まってるの見て言った。主に山形の見舞い品が後部席を占領していた。
「・・いや、前に乗れ」
さすがにトランクはない。よっぽどのことでなければ。
埋まった後部席を見ながら、助手席のドアを開け女を乗せた。
女を自宅アパートまで送り、堀内は病院へと赴いた。
堀内は本郷二条総合病院の駐車場に入り車を止めた。
フロントガラスの向こうに見える白い建物を、運転席からしばし眺めていた。
病院の特別室には、堀内も訪れたことがあった。堀内の父親にあたる、先代の松田家当主が入院した時だった。父親とは思っていない男と顔をあわせるつもりはなかったが、松田家の後継者である異母兄・松田俊也から頼まれてしまったのだ。松田俊也は盃をかわした兄貴分でもあった。兄貴分の頼みを断るわけにはいかなかった。
異母兄の松田俊也は、父親と堀内健次の確執を気にしていた。
『本来ならお前が松田家を継ぐはずだった』
一度だけ、松田俊也は堀内健次に対して言ったことがあった。異母兄・俊也は、本妻の立場を健次の母・妙子から無理矢理奪った自分の母親の罪を、いつもあがなおうとしていた。
━━━━余計なことまで思いだしちまったな
堀内は車からキーを抜くと、助手席にはさっきまでデリヘルの女が座っていたのだと改めて気づいた。自分で乗れと言ったのだが・・。
かえたばかりの新車の助手席には、一番にみふゆを乗せようと思っていたのだが、タイミングがあわず、とうとう空振りに終わってしまった。
━━━━俺の願いは小さなことすらいつも叶わねえんだな
堀内は運転席から降り、みふゆへの見舞いが入っている紙袋を手にして、入院患者用の出入り口に向かった。
出入り口の警備員が堀内を見て驚き、姿勢を正し、深々と頭を下げた。
堀内は警備員の顔に見覚えはなかった。年配の男だ。礼の仕方を見ると、過去の『堀内健次』を知っているのだ。名前を聞こうと足を止めかけたが、やめた。
過去は過去。
今の堀内健次はただの花屋の社長だ。
堀内は知らぬフリで警備員の前を通り過ぎた。
「堀内」
後方から声がした。女の声だ。知ってる声だった。
会いたくなかったこの声は━━━━━
堀内は溜め息をついた。
「久しぶりね。元気だった?」
━━━━━松田胡蝶
淡い黄色地の加賀友禅の着物に身を包み、楚楚とした微笑みの松田胡蝶は、松田家現当主・松田俊也の妻だ。これまでの松田家の女主人で最も美しいと云われている女。そして惣領貴之の姪でもある。明晰な頭脳を持ち、度胸があり、冷酷な判断を下せる胡蝶は、男だったら間違いなく惣領家を継いでいただろう女だ。
「・・・・」
堀内は憮然とした表情で、後ろにいる胡蝶と顔を合わせた。
気品のある佇まい、淑やかに笑みを浮かべる胡蝶は、はたから見たら本当に美しい女だ。名前の通り、美しく舞う蝶だ。だが、胡蝶の美しさは、毒をはらむ美しさであることを堀内はよく知っている。
「せっかく私から声をかけたのだから、挨拶くらいは返したらどうなの?」
「・・・相変わらずだな。高飛車な物言いは変わってねえ」
「当然でしょう?私は惣領家に生まれた女なのよ。それに、気位が高くないと松田家の女主人はつとまらないわ」
「俺は青木に会いに来たんだ。あんたと話にきたんじゃねえよ」
「随分な口の訊き方だこと。私はみふゆちゃんの主治医の一人なのよ」
「着物で医者の仕事ができんのか」
「今日はどうしても外せない用があったの。でも屋敷に帰ると遅くなってしまうから直接病院に来たのよ。だから私もいま着いたばかり。医師の仮面はこれからかぶるわ」
胡蝶はたおやかに笑う。
「みふゆちゃんなら中央庭園で庭を散策中ですって。さっき大塚から聞いたわ。お花を楽しんでいるそうよ。本当にお花好きのいい娘だわね。惣領会長も一緒だから行ってごらんなさいな」
「━━━━━」
堀内が無言で足を動かした。
「堀内」
胡蝶はさっきとはうって変わって、きつい口調で呼び止めた。
「なんだ。まだなんかあんのか」
「妙な連中の口車には乗らないほうがお前の為よ。惣領の当主になるのは京司朗なのだから。どんなことがあっても変わらないわよ」
胡蝶の涼やかな声が、まるでナイフの鋭い切っ先のように堀内に向けられた。
堀内は背中に、ピリついた不快な気配を覚えた。
「なんの話かわからねぇなぁ。俺は惣領の当主も松田の当主も興味はねえ。最初っからな」
「━━━そう、ならいいわ。惣領の血を引いているとはいえ、そうね、お前に次は無いのですものね。松田から警告を受け取ったのでしょう?」
胡蝶は殺意にも似た視線を美しさに変え、クスクスと笑った。
「お前の母親も意地をはらずに早くに惣領家に戻ればよかったものを。思い通りにならない現在を恨むなら母親を恨みなさい」
「あいにく俺は母親を恨んじゃいねえ」
「まあ、親孝行だこと。花屋も継いでもらって、妙子さんは幸せ者だわね」
胡蝶は笑いながら堀内健次を残して場を去った。
去っていく後ろ姿さえも美しいと堀内は思う。
美しさに惑わされて、わずかでもふれると、毒を孕んだ鱗粉で大火傷を負わされる。
男が苦しんでのたうち回るそんな様を、慈愛の笑みを浮かべながら眺めて破滅へと向かわせる。
胡蝶、
お前はそういう女だ。
今も、昔も。




