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129 天秤は傾く

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堀内花壇社長・堀内健次と妻のエリカは、8階建てマンションの最上階に住んでいる。間取りは4LDKだ。社会的立場の確保のためにだけ結婚している堀内健次とエリカには、夫婦の寝室などは当然無い。

実はエリカはすぐ隣に自分の4LDKの部屋を持っており、そちらに女性の恋人と暮らしている。


堀内健次は、花屋が休業であることをいいことに、自室のベッドでデリヘルの女と真っ最中だった。


スマートホンの電話の着信を知らせるバイブレータがベッドのサイドテーブルで鳴っている。

見知った番号だがそれどころではない。


女を後ろから突いてる堀内はちょうどいいところなのだ。電話に出る気はさらさらない。


ほったらかしにしていると、しばらくしてからまた鳴った。


体勢を変えて、二度めに突入。堀内はやはりスマホを手にする気配はない。なかったが━━━


ディスプレイに『青木』と表示されているのに気づいた。


「ちょっと待ってろ」


「あ・・ん・・ひどぉい、途中で・・」

女が恨みがましい涙目で堀内を睨んだ。

堀内は女から離れて、スマートホンに手を伸ばした。


「堀内だ」


よほどのことがなければ、青木みふゆは堀内に電話をしてこない。

何かあったのかと堀内は訝しんだ。


《やっと出やがったか。俺の電話と知って無視とはいい度胸じゃねぇか。堀内》


惣領貴之の声だった。


「・・・おい。いくら養子にしたとはいえ青木のスマホ使うなんざ感心しねぇな。切るぞ」

《バカ野郎。みふゆのことで電話したのに出なかったのはお前じゃねぇか》

「あ?・・なんかあったのか?」

《みふゆは明日の午後から入院だ。出勤できるようになるかはわからねぇ。それだけだ》

「待て!!どういうことだ!!」


堀内が珍しく焦った。


《高熱で記憶障害を起こしている。ここ数日の記憶がねえんだよ。体も・・いまは自由には動かせん。動かせるのは腕くらいだ。仕事に復帰できるかどうかもいまのところわからん》


「本郷二条に入院か・・」


《そうだ。胡蝶と大塚が担当医としてつく。見舞いは控えてくれ。いっぺんに大勢の人間や情報にさらすわけにはいかないんでな》


「・・・わかった」


《記憶の状態をはかるために来てもらうかもしれんが・・、それまでは来ないでくれ》


「・・ああ」


貴之の言葉にうなずくと、堀内はスマホを握りしめたまま、ベッドに座りこんだ。


「ねぇ、社長ぉ、続きはぁ?」


ベッドのなかで女が可愛らしくねだった。


「萎えちまった。すまねぇな」

と、タバコをくわえて火をつけた。


「・・・じゃあ、帰ろーっと」

女はベッドからもぞもぞと出るとバスルームに向かった。裸のままの女の尻の形の良さを目で追って、姿がバスルームに消えると、堀内はタバコの火を消し、自身もバスルームに入っていった。


絡み合う声と肌のぶつかり合う音が響く。


体に籠る熱は、他の女で紛らわすしか方法はない。




「社長、電話ちゃんと出ましたか?」

みふゆがベッドから貴之をみつめた。

「ああ。ったくしょうがねぇ野郎だぜ」

貴之がぶつくさ言っている。

「社長はわたしの電話には必ず出るんです」

「そうなのか?」

「わたしは仕事でしか電話をしないので社長は必ず出るんです」

「・・そうか」

貴之は軽く笑ったが、堀内の心の内を推し当てていた。

━━━━あいつはみふゆの声が聞きたいだけだ。惚れた女の声を耳元で感じたいだけだ


さっきまで胡蝶が座っていたベッド脇の椅子に座り、貴之はスマホをみふゆの枕元に置いた。

「ここでいいか?手はちゃんと届くか?」

「はい。届きます」

みふゆがニコリと笑う。儚い笑顔だと思った。

貴之は思わずみふゆの手を握りしめた。

「みふゆ、頼むから・・お前は俺をおいていくなよ」

つい言葉に出てしまい、みふゆがびっくりした顔をしている。貴之は一瞬後悔した。

「・・どこにもいきません・・・。わたし、組長先生のそばにいます」

みふゆは微笑んではっきりと言った。


━━━━突然死んだ自分の妻と子供を思い出したのかもしれない。悲しい思いをさせてしまった。申し訳ないことをしてしまった。・・だから、このひとのそばに居よう。ずっと、ずっと・・・。


みふゆは心から思った。


二人の様子を胡蝶が神妙な瞳でみていた。







翌日━━━━



京司朗は予定通り午前10時に退院した。退院後は惣領の屋敷ではなく、マンションに帰っていた。


ホールのドアを開けると、いつもと変わらぬ、静かな部屋が在った。


そうだ。いつもと同じ部屋だ。

ここに住んでいるのは自分ひとりだ。

それでいいはずだ。

いいはずなのに━━━━━


部屋は寂しさという静けさをまとって、京司朗の存在を無視している。


(せい)の孤独は、死ぬことよりも耐え難い。

だから人は死に逃げたがる。


辺りを見回すと、ひとつだけ、京司朗の想いに答えてくれるものをみつけた。


ひよこ模様のピンクのクッション。


みふゆがトレーナーを被せて抱っこしていたクッションだった。






みふゆは午後1時、本郷二条総合病院、9階特別室に入院となった。

幸いなことに、みふゆは昨日の寝たきりの状態から、自力で起き、立ち上がるまでになっていた。まだ歩けないため、車椅子の使用だが、貴之も胡蝶も安堵した。


病院につくと、みふゆの担当の医師と看護師二名が出迎えた。医師は総合診療科の女性医師・東、看護師長・村山と副看護師長の江藤だ。

「あとは私と大塚クリニックの大塚がつくわ」

胡蝶が紹介し、みふゆは「よろしくお願いします」とお辞儀をした。入院患者用の出入り口だったため、外来ほど人はいないが、すれ違う人々がチラリと見ていく。

医師の東は挨拶を交わしたあと、外来の仕事があるため戻り、江藤がみふゆの車椅子を押した。


特別室に行くには専用エレベーターを使う。

「専用エレベーター?」

「そうよ」

「マンションと同じですね」

みふゆがふいに言って、貴之と胡蝶が顔を見合わせた。

「京司朗のマンションか?」と、貴之が聞いた。

「若頭の?若頭のマンションも専用エレベーターなんですか?」

「ああ、いや・・」

貴之は言葉を濁した。

思い出したわけでは無さそうだ。

「どこかのマンションを見たのね」と胡蝶が会話に加わった。

「はい。よく覚えてませんけど、どこかのマンションも専用エレベーターでした。車ごと部屋に行けるんです。すごかったです」

みふゆは他人事のように話す。

京司朗のマンションで過ごしたのは、つい、昨日、一昨日のことだが、みふゆのなかでは『どこかの』違う世界になってしまっていた。




「わー、高い。町が全部見渡せる」

思いのほか、みふゆは自分の状況に気落ちしてはおらず、特別室の窓から見える風景に感動していた。

特別室というだけあって広いし豪華だ。ソファセットに大きなテレビ、ベッドにはアームつきの小型テレビがついている。ミニキッチンも備わっており、ホントに病室なのかと疑いたくなるくらいだ。


「ここは高台にあるからかなり広範囲に町が見えるわね。夜は星がきれいに見えるわよ」

胡蝶がみふゆの隣に立ち、一緒に外を眺めた。

「うちの支店はさすがに見えないけど駅が見えます」

みふゆは胡蝶を見上げて笑顔で言った。

「そうね。・・さあ、病院のパジャマに着替えるわよ。会長は出ていてくださいな」

「お、おう、そうだな」と貴之は病室の外に出ていった。

みふゆは、看護師の江藤の手を借りて車椅子上で着替えた。何種類か色があり、みふゆは薄い緑のパジャマを選んだ。






惣領の屋敷に京司朗が帰って来た。

みふゆが病院へ発ってから帰って来たのだ。

京司朗の怪我を悟られないためだった。


「京司朗さん、お帰りなさい。大丈夫ですか?」

黒岩を始め、約20人の男達が京司朗を出迎えた。

「大丈夫だ」

「大塚クリニックの光一先生がいらしてます。傷の具合を診たいと」

話す黒岩の後ろに、控えるように立っているのは海斗だ。

いつもなら挨拶なぞそっちのけで絡んでくる海斗が、背筋を伸ばし立っている。

京司朗が海斗を見ると、海斗は緊張した面持ちで、

「お帰りなさい」

と、礼儀正しく頭を下げた。服従する者の礼だった。

京司朗はどの部下にもそうするように、海斗にも「ああ」と答えた。


貴之から、黒岩の仕事を手伝わせているとは聞いていた。

果たしてどういう態度で惣領家のNo.2である自分に接してくるかと考えていたが、予想よりも真摯な態度に、海斗もまた本気なのだと、京司朗は思った。










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