103 兄?妹?(1)
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人にはいろんな事情がある。
社長も例外ではなかった。
しかし、スケベな女好きエロ社長という事実は決して変わらない。
「車から降りてこっちに向かってくる奴がいる」
若頭が窓の外を見て言った。
タオルでふいた黒い髪はセットが崩れて、前髪がパラパラと眼を隠すように下がっている。邪魔くさそうに髪をかきあげるしぐさは、外国のモデルか俳優みたい。
「失礼します!!」
入ってきたのは雨ガッパを着た男性だった。
男性は入ってくるなり店内をキョロキョロと見回し、
「あの!こちらに糸川梨理佳が勤めてませんでしょうか?!」
男性は雨ガッパを入り口で脱ぎ、丁寧な口調でりんちゃんの所在を確認した。
誰?りんちゃんの知り合い?
「・・すみませんがどちら様でしょうか?」
いくら丁寧でも誰だか知らない人間にスタッフの情報を与えるわけにはいかない。
「あ、僕は」
と言いかけたところで雷が鳴った。
三階から、
━━━ぃぎゃああああああぁぁぁぁっっ!!
とりんちゃんの雄叫びが聞こえた。
なんとりんちゃんは、『いやあああぁぁぁ』と『ぎゃああああああ』を同時に叫ぶという新たな叫び方を体得していた。
男性が「梨理佳!?」と叫んでカウンター内に入ろうとした。
わたしはビクリとした。
「待て」と男性の前に立ちはだかり止めたのは若頭だった。
190越えてそうな身長と、スーツを着ててもわかる厚い胸板、鍛えぬいた体躯。日本人らしからぬ、鼻筋の通った彫りの深い顔つき。何よりも鋭い眼光。
たいていは臆すると思う。この若頭を前にしたら。
しかし男性は平然と、
「どいてください!妹が怖がってるんだ!!」
と、若頭にくってかかった。
組長先生がちょっと驚いた顔をしている。
・・いま、妹って言った?
バタバタと足音がする。
「うわぁーーん!みーちゃん先輩ーー!!」
りんちゃんが駆け降りきた。
「梨理佳!!」
「お兄ちゃん!?」
本物?りんちゃんのお兄さん?
「梨理佳!大丈夫か!?」
男性は若頭を避け、カウンターの別位置から身を乗り出しいまにも飛び越えそうな姿勢だ。
若頭はりんちゃんの『お兄ちゃん』という声に、男性に手を出すのを止めた。
「お兄ちゃん!」
お兄ちゃんに駆け寄るりんちゃん。
感動の再会か。
「どうして来たの!?危ないでしょ!!」
違った。
感動の再会を果たすのかと思ったら、りんちゃんから出たのはお兄ちゃんを窘める言葉だった。
「え?あ、・・うん、ごめん・・。でももう車で家を出たあとだったし・・・」
りんちゃん、お兄ちゃんの思いがけない登場に雷の恐怖が吹っ飛んだか。
イケイケどんどんと、圧をかけるりんちゃんにお兄ちゃんは後ずさった。
「お兄ちゃんはもっと状況と自分の運転技術を考えないとだめだっていつも言ってるじゃない!」
今度はお兄ちゃんに説教を始めた。
事の成り行きを黙って見守るわたしと組長先生と若頭。
「・・う、うん、ごめん・・・でも運転技術は前より上がってるし・・・・」
最後のほうの発言がぽそぽそと頼りない。
頑張れお兄ちゃん。
「それが甘いんだってば!」
「そ、そうかな・・・・」
お兄ちゃんは首を傾げてしょんぼり項垂れた。
妹を心配してはるばる来たのにお兄ちゃんは立場がない。
りんちゃんは怒りながらお兄ちゃんに詰め寄った。
「ほんとにもう!自分のことをきちんと考えないとダメでしょ!・・」
「・・・うん、ごめん・・」
そう言った次の瞬間、
「・・・ホントに!ホントに・・おにいちゃああぁーん!怖かったよぉぉぉ」
りんちゃんはお兄ちゃんに抱きついた。お兄ちゃんはよしよしと頭を撫でる。
「おまえは雷大嫌いだからなぁ」
そうか、りんちゃんはツンデレお兄ちゃんっ子、という新しい発見をしたわたしは、やさしいお兄ちゃん、少しだけいいなって思った。微笑ましい。
きっとわたしは羨ましそうな顔をしてりんちゃん達を見ていたにちがいない。
だから組長先生は━━━━━
「りんちゃん、お兄ちゃん来てくれたし、車で帰れるなら帰っても大丈夫だよ。社長にはわたしから話しておくから」
こんな日は家族と一緒の方がいい。
「うちはどこなんだ?運転に自信がないら送って行くぞ」と組長先生が言うと、「運転はあたしがします!自信ならあります!」と涙声でりんちゃんが答えた。
そう、りんちゃんはこう見えて車の運転がとてもうまい。才能があると思う。
お兄ちゃんは「うちは南高山のレナードというマンションなんです」と教えてくれた。
「高台にあるマンションか。あの辺は地盤も硬いしいい土地だ。ここにいるより安全だ」
「でも・・」と、お兄ちゃんにしがみつきながらりんちゃんが躊躇した。
「雨が少し弱まっています。帰るなら今のうちでしょう」
若頭が後押しをした。
りんちゃんのおうちはマンションの確か八階だから、組長先生の言う通りここにいるより安全なはずだ。
不安に怯えながら時間を過ごすよりずっといい。家族といた方が心強い。
りんちゃんとお兄ちゃんは何度も頭を下げながら帰っていった。
わたしはりんちゃんを帰宅させたことを報告するため社長に再度電話をした。
社長は『組長が来てるなら一緒にお前も帰れ』と言ってくれた。
わたし達は組長先生が運転してきた青い車に乗り込んだ。きれいな青い色。左ハンドルだから外車なんだろうけど、外観も優美で素敵な青。
運転は若頭。わたしと組長先生は後部席に乗った。
いつも黒い車なので青いのは新鮮。
「きれいな青色ですね。この車」
わたしは組長先生に話しかけた。
「気に入ったか?」
と聞かれたので、わたしは「はい。それにドッシリしてる感じがあるのにすごく優美です」と答えた。
「ありがとう」
なぜか運転席の若頭からお礼を言われた。
「京司朗の愛車だ。イタリアのマセラティ レヴァンテ トロフェオという車だ」
う、若頭だったのか。
てっきり組長先生の車かと・・。
愛車というからには大事な車では?
勝手に乗られてしまって若頭は嫌じゃないのかな。嫌だと思っても組長先生には逆らえないという感じ?
あ、靴、泥なんかついてないだろうな。
車好きの人には神経質な人がいると聞く。わたしは靴の裏を見た。
車乗る時は靴を履き替えるとか。汚されるの嫌だとか。
「どうした?靴の裏なんか見て」
「あ、いえ、」
「俺は神経質じゃないから気にしなくていい」
間髪いれずに若頭が言った。モロバレであった。
「みふゆ」
「はい」
「お兄ちゃん欲しいか?」
急に聞かれてわたしは戸惑ったが、
「・・いたらどんな感じだろうって思うことはあります」と答えた。
「そうか。いたらうまくやっていけそうか?」
この流れって・・・もしかして組長先生、ほんとは息子さんがいるとか?
「・・・やっていきたいと思います。家族がたくさんいるの、憧れだったし・・」
「・・そうか、」
組長先生はわたしの隣で少しの間考えこんでいた。
やっぱり息子さんがいるのかもしれない。
わたしが養子縁組の申し入れを受けたときに『これで自分にも娘ができる』と言って喜んでくれたのを聞いて、ちょっと引っ掛かったことがあった。
でも組長先生の息子さんならきっとやっていける。
いい兄妹関係を築きあげてみせる。組長先生が喜んでくれるような。
組長先生はわたしの隣で、「よし、わかった」と言った。
「京司朗、お前との養子縁組、早めるぞ」
・・・、
え?・・
え?え?・・・
京司朗って・・・、
え?
若頭・・??
「く、組長先生・・、あの・・・」
「京司朗は九歳で両親が死んだ時、俺の息子になるはずだった。事情があって仙道家の養子になったが、実質俺の後継ぎとして育ててきた。だから成人したら改めて養子縁組をすることになっていたのさ」
「━━━━━━━」
ちょ・・、
ちょっと待って。
・・待って。
待ってください。
兄妹になる?
わたしと若頭が━━━━━?




