巫女が鬼に堕ちる時
浄化師は、老婆の居なくなった部屋に入る。
そこには、老婆の夫が寝ている。
夫の中の邪気を祓い、これ以上邪気が入っていかないようにしなければならない。
夫の背中に手を当てて、全力で霊気を入れ込む。
消えろ消えろ消えろ…邪気よ、消え失せろ……念じていた時、声が聞こえてきた。
「嫌だ嫌だ嫌だ!逃がしてくれ!生まれ変わりたくないっ!永遠にあの女から逃してくれ!!」
視えてきたのは、逃してくれと泣き叫ぶ男。夫の遠い遠い魂の記憶。
舞い散る桜 佇む女 微笑む男 姫 逃げる男 追う女 鬼
「欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい……アレは私のモノ」
鬼女がうっそりと嗤う。
遠い遠い昔、月の姫がこの地へ降り立った(直ぐ月に帰ったけどね)
女は、月の宮に仕える巫女だった。
初めて見る下界。優しく微笑む貴族の男に、一目で恋をした。
巫女は只々男が欲しくて、羽衣を脱ぎ捨て、男の前に降り立った。
で? だから???
目の前に絶世の美女が自分に微笑んだからと、凡人なら「目の保養〜」で終わる。
「美しい人、私と共に」などと颯爽と抱き寄せ屋敷に連れ帰り、妻にして愛を囁く。
そんな事をするのは、光源氏くらいだ。権力財力美貌に若さ、ぜーーーんぶ持ってる男じゃなきゃ無理!!
そして、巫女に身染められたこの男。自他共に認める貴族のボンクラ三男坊。
自分に権力財力が無い事はよーーーく判っていて、女を養う甲斐性がないのも、よーーく判っている。
更に、自力で乗し上がる才覚も無ければ、努力する気も無かった。が、
穏やかな性格と見た目の良さ、育ちの良さを感じさせる優雅な所作で、姫様方の評判だけは、良かった。
そんな男には、縁談が来ていた。
相手は、脳筋な兄達に可愛がられて過ぎて、武骨な男がすっかり嫌になった末姫。
おまけに、可愛い姫を手放したくない親が、姫を大事に大事に慈しんでくれさえすれば、姫名義の荘園まで付けてくれると言う。そう、姫が養ってくれるのだ。
引っ込み思案の可愛い姫の相手をすれば、権力争いもしなくていいし、食べていける。
何なら、子供の躾も勉強も、そこそこ教えるだけの教養はある。
親子で、趣味の話で盛り上がる穏やかな日々…最高ではないか!!
男は、姫との縁談は絶対に逃したくなかった。 女の噂なぞ持っての他!
なので
巫女が目の前に現れた時、
「月の輝きの如き美しい方ですね」位には、褒めた。
この男、イタリア人か?と突っ込みたくなる程に、女人を称えるのは得意だった。
美しさを抜かりなく褒めたし!と、挨拶も済みましたからと、ささっとその場から立ち去った。
月の巫女 ボーゼン
え?今、私を美しいって褒め称えたのでないか?
私に跪くのであろう?
どこへ行くのじゃ? 姫の元とな? 姫とは、あの童か?
この私が要らぬのか?月の巫女の私を望まぬと申すか?
許さぬ許さぬ許さぬ…
私ではない女が傍に居る 微笑む 囁く 触れる
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…どうして私がそこに居ない?
欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい
その目に映るのは私 その声が囁くのは私 その手に触れるは私
振り向かぬ男が憎い憎い憎い憎い…悔しい悔しい悔しい悔しい
私を見よ。羽衣も無くし、月に帰れぬ私を憐んでもくれぬのか……。
今世この身が朽ちようとも、来世ではこの手に
あの人をこの手にするまでは、忘れぬ 忘れぬ 忘れぬ 忘れぬ
欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい…私のあの人
巫女は朽ちて、鬼となった。