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Web小説『令和の口裂け女』

タイトル『令和の口裂け女』

著者:Miss K


その建物は、どこの街にも普通にある、何代か続く開業医の家。

通りからは白壁の二階建ての病院に見えますが、実は二階部分は病院長の家族の住居。病院としては小さいけれど、個人の住居としては敷地も建物もかなり大きく、建物の横の駐車場にはグリーンの瀟洒な高級車が停められています。

でも、普通ではないところが二つ。

一つは、そのグリーンの高級車が駐車場からほとんど出ないこと。

もう一つは、今の院長がこの家の息子でも娘でもなく義理の娘であること。

先代の院長は、実の父親である先々代の院長が亡くなった時に、結婚してこの病院を継ぎました。でも、3年ほど前に子供を残さないまま急死し、未亡人である妻が院長となりました。いまの院長の義理の母親、つまり先代の母親で先々代の妻も、2年前に亡くなっています。お屋敷と呼べるほどの広い家に一人で暮らす女医が、看護師と事務員を雇い、町医者として近所の人を診察しているのです。

女医は財産を手にしました。不動産を売却すれば一生遊んで暮らせるでしょう。この土地から離れて好きな場所で好きなように暮らせるのです。

彼女が医者を続けているのは、愛していた亡き夫の遺志を継いだわけでもなければ、地域の医療に貢献したいわけでもない、ましてや雇っている看護師と事務員の生活のためでもない。彼女はこの場所でかつて愛した男を待っているのです。

彼女の夫も義理の母親も、病気で突然亡くなったことになっていますが、家族が二人続けて急死するなんて普通に考えたらおかしいと思いませんか? 実は彼女が殺したのです。人の命を救うことのできる医者であれば、反対に人を殺めることはわけはないでしょう。火のないところに煙は立たないと言いますが、地元の進学校出身の彼女は県警の上層部にコネクションを持っているとの噂もあります。医者と警察が組めば殺人の一つや二つ、病死に見せかけることなどわけはありません。彼女はただ財産が欲しかっただけ。そして、そのための非合法な手段と、それを合法的に見せることを可能にする機会・技術・人脈のすべてが揃ってしまった。彼女と同じ状況にあれば、誰でも一度くらい罪を犯す自分の姿を想像することでしょう。もちろん、実行に移す人は少ないと思いますが…。女医がさらに殺人を重ねる可能性はありません。今までの罪が発覚し彼女が逮捕され、この病院が閉鎖されることになれば、不便を感じる患者は少なくないでしょう。彼女は社会の敵ではないし、二つの殺人が病死として処理されても誰かが困るわけではありません。ああ、保険会社は損害を被るかもしれないけれど、本来支払われるべきではない保険金が支払われるリスクは生命保険会社なら想定しているはず。私が警察幹部でも、女医を殺人罪で逮捕するより、彼女から経済的な便宜を得ることを選ぶでしょう。彼女の罪が発覚することはないと断言してもいいはずです。


職業柄か、女医はコロナの前から常にマスクをしていました。病院でしか彼女を見たことのない患者やその家族は、マスクを外した彼女の素顔を知りません。私は彼女のマスク姿を少なからず奇異に感じていました。彼女のマスクは顔半分がすべて隠れてしまう大きなものだったからです。いまはマスクなしでは出歩けない世の中です。おかげで、その奇異な感じは日常の中に埋没しています。

ある日、彼女の耳にかかるマスクの太い紐の下に赤いものがはみ出しているのが見えました。右側はマスクの紐で隠れていたけれど、左側は何かのはずみでずれてしまったのでしょう。あの赤い色は間違いなく口紅の色でした。

昭和の頃、「口裂け女」という都市伝説が流行したと聞いたことがあります。マスクをした髪の長い女が男を追いかける。男は走って逃げるが、その女はものすごく足が速くて逃げきれない。女は男に向かって「私、綺麗?」と訊く。男はしかたなく「はい」と答えると、女はマスクを外して、「これでも?」ともう一度訊く。女の口は血の色のように真っ赤で、耳元まで大きく裂けている。ギャーという悲鳴を上げた男はその場に置いていかれるのか、あるいは口裂け女に殺されてしまうのか…。

あの女医の正体は口裂け女なのです。

なぜ彼女が口裂け女になったのか? それは男に捨てられたからです。


彼女は親元を離れて東京の大学に進学し、卒業後は都内の一流企業に就職をしました。

彼女には社内で付き合っている男がいました。年上の彼は何度か浮気をしましたが、彼女はいつも許しました。だって、地方出身の女が東京で一流企業に勤める男と結婚する、彼女のプライドはそこにあったからです。彼の言動にどれだけ傷つけられても、彼がいることが彼女の幸せでした。だから彼の隣にいるだけで、彼女は微笑むことができました。所有者から100回のうち99回はひどい仕打ちをされても、残りの一度だけ優しい言葉をかけてもらえれば幸せを感じる奴隷のように、彼女は奴隷の微笑を浮かべていたのです。

でも別れは突然訪れます。ある日彼が切り出しました。

「君を愛そうと努力はした、でも君の顔が好きになれなかった、ごめん」

彼女は、自分を捨てた男を見返そうと決意しました。もう一度受験勉強をやり直し、地方の国立大学の医学部に合格しました。そして、整形をして顔を直し、年下の男を誘惑し玉の輿に乗ったのです。彼女は、6つも年下の開業医の息子と結婚します。自分の書いたシナリオ通りの人生を歩み始めました。

数年後、彼女は夫と義母を相次いで殺害します。彼女は犯罪により財産を、整形により美貌を手に入れました。でも整形のやりすぎで、彼女の頬は唇から耳元にかけて大きな亀裂が入りました。マスクで隠れていない目元は女性から見ても羨ましいくらいに美しい。でも、もうマスクを外せないのです。

都市伝説の口裂け女はものすごい速さで走れると言います。女医の足首は細く、くびれて、いかにも走るのが得意そうです。実際、冬の凍った雪道を白衣のポケットに両手を突っ込んだままヒールで小走りにかけていく。その姿は悪魔のようです。

若い頃に自分を捨てた男がもう一度現れる、女医はそれを静かに待っています。

彼が幸せに暮らしていたら、彼女の前に現れることはないし、彼女も男のそんな姿は見たくない。彼女はただ、男が経済的に上手く行かなくなり、彼女を捨てたことを後悔して、彼女の前に跪いて助けを請うのを待っているのです。それが彼女の書いたシナリオの結末。今の彼女なら、男が望むことを何でもしてあげられる。何物でもなかった地方出身の若い女が、今では万能の力を手に入れたのです。

女医はいつまで待ち続けるつもりでしょうか? 今幸せな生活を送っていたら、彼女を捨てた男が彼女にすがることはないでしょう。だったら、彼女はその男の幸せを壊すのでしょうか? それは世間からは復讐だと思われるかもしれない。でも、彼女にとってそれは失われた愛を取り戻す、あるいは彼女のプライドを取り戻す行為なのです。

国立大学の医学部に入り直し、開業医と結婚し、地元の人から愛され尊敬される女医となった。男に捨てられた後の彼女の人生を切りとれば、幸せな人にしか見えない。でも、彼女はそこに幸せを感じなかった。いつかその男が彼女に前に現れ、生きるためになりふり構わず彼女に泣きつき、気がつけば彼女にたかれるだけたかり、ついには彼女と結婚をし、その後に彼女を亡きものにして、財産をすべて自分のものにしようと考えるかもしれない。それでもかまわない。だって女医は、奴隷の微笑を浮かべている時間にしか幸せを感じないかわいそうな女だから。


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