#2 破壊の象徴
血の味が口の中に広がる。
切れた唇を押さえながら、幼い少年は日が落ちかけた小学校の教室の隅で、ただただ蹲ることしか許されなかった。
無慈悲に蹴られ続ける少年はひたすらに耐えることしかできない。
少年は痣だらけの体を両親に見られたときの言い訳を考えていた。
「お前らのせいで母ちゃんが死んだって、父ちゃんが言ってたんだっ!!」
「そもそも旧ニッポン国の名前なんて、気持ちわりーんだよ!」
「死んじゃえよお前なんか!カミシロ!!」
暴行を続ける少年たちが罵声を浴びせる。
背中や脚、頭を強く打たれながら、だがサツキの心は違う場所にいた。
『ボクは何もやってないのに………』
サツキは涙を堪えながら体表面の急所を隠すように、さらに強く丸くなる。
早く終わって欲しい。気が済めばいつものようにどこかに行くだろうと思っていた。
しかし、教室の扉が勢いよく開く音が聞こえ、その瞬間に先程の考えは断ち切られた。
「あんたたち!いい加減にしなさい!!」
少女の声だった。
サツキは少年たちの勢いが弱まったことをきっかけに、ゆっくりと扉の方へと視線を向ける。
扉の前で仁王立ちしているその少女は、よく見たことがある顔だった。隣の席に座っている、いつもうるさいほど話しかけてくる日々を思い出した。
3人のいじめっ子の少年は少し戸惑っていた。
「フィリス!?なんでここに?」
「お前もこいつの仲間かよ!!」
「お、女だからって、手加減すると思うなよ!」
アイラはなりふり構わず殴りかかってきた少年の右手首を掴むと、それを逆方向へと捻り、そのまま勢いをつけて地面へと放り投げた。
少年は「うがっ!」と背中を地面に強打すると、少し息が苦しそうになりながら右腕を押さえて倒れ込む。
「お前!!」
少年たちは2人一気にアイラへと飛びかかる。
アイラは少し足を広げて両手を体の前で構える。
「男だからって、手加減しないよ」
初めに飛び込んできた少年の右ストレートを姿勢低くしてかわすと、勢いよく右足を振り上げて宙を舞う少年のみぞおちに膝が食い込む。
唾液がこぼれ出すその少年の胸ぐらを掴むと、飛びかかってきたもう1人の方へ投げ飛ばす。
バランスを崩したもう1人の少年の顔面に回し蹴りが炸裂する。もろに入ったそのつま先は、少年を壁まで吹き飛ばした。
アイラは手を2回ほど叩き埃を落とすと、周りに倒れ込む少年たちを見下ろす。
「あんたら、そんなに強くないじゃん」
サツキはその光景に理解が追いついていなかった。
「…………ッ」
口から血を垂らしながら少しずつ体を緩め始める。
周りで唸る少年たちの間を通り抜けてアイラはサツキの方へと歩み寄ると、中腰になって手を差し伸べる。
「ほら、立てる?」
サツキは「あ……」と言葉を漏らし、手を取ろうとするが、どちらの手にも血が付着していることに気がつく。おそらく口の血を拭った時についたモノだと思いながら、その手を引っ込める。
「気にしないでいいから」
アイラは微笑んでみせた。
虚な顔をしたサツキは、その右手で差し伸べられた手を握った。
今まで感じられなかった。友達という温かみを、その肌で感じとれた。
気を落ち着けたのも束の間、次の瞬間目の前は暗転して上空から何か巨大な物が落下してくる。
いつの間にかサツキの体は小学生のものから高校生へと変化していて、両手に付着した血の量はまるで出血しているかのように、地面へとこぼれ落ちていた。
しかし、そんなことを気にしている暇もなく自分の頭上に落ちてくるそれは、みるみる内に巨大化していき、次第に逃げ道など無くなっていた。
だが、なんとか逃れようと必死になって走り続ける。
振り返ると、暗闇の先でアイラらしき人影が助けを求めているのが確認できた。
しかし、サツキもその人影も既に時間の問題であった。
「うわあああぁぁぁぁぁぁ!!!」
完全に押し潰されそうになった瞬間、また目の前の景色が変わる。
そこは激しい炎と煙に包まれた、ハイドランドの街であった。
「はっ……!!」
体は既に起き上がっていた。
薄いベッドの上でまだ状況が飲み込めないサツキは、自分の両手を眺めて血が付いてないことを確認し、少し落ち着きを取り戻す。
『夢か……』
ベッドから降りようと体を動かそうとした時、背後からしゃがれた声が聞こえる。
「目が覚めたかい?」
振り返るとそこには薄いエメラルドグリーン色の医療服を羽織った、初老の男性が立っていた。
周りを見渡せば他にも同じような服を着た人たちが、負傷者を手当てしている様子が窺える。
「ここは……」
サツキは少し痛む体を抑えながら再びベッドから降りようとするが、初老の男がそれを止める。
「まだ動いちゃいかんよ」
初老の男はマスクと手術帽を被っていて目元しか顔を確認できないが、その目はとても穏やかであった。
「ここは軍の地下シェルターだよ。ハイドランドは軍事施設と近いこともあって、地下にはシェルターへと通じる道がいっぱいあってね。街で気絶していた君をあの方が運んできてくれたんだ」
初老の男はそう言いながら、右手の指を伸ばし整えるとその手で他の救助にあたっている女性へと向ける。
茶色いロングの髪をした20代半ばあたりの女性は医師の指示に従って包帯や注射器が載ったトレイを忙しなく届けている。
「ミーナ・ザンバード少佐だよ。本来、こんなところにいるお人じゃないのにねぇ」
初老の男性はサツキの腕に巻かれていた包帯を新しいものへと取り替える。
サツキはミーナを目で追っていると、壁にかかっている大きな時計が目に入る。下校していた時間からさして変わらない時計の針を見ると、アイラの顔が思い浮かぶ。
「アイラは……!」
サツキはベッドからとび降りると、体の痛みから少しバランスを崩すが、そのままおぼつかない足取りで歩き出す。
初老の男は「君!!」と言ってサツキをベッドへと戻そうと左腕を掴む。
「アイラ……!アイラは!?」
手を振り解こうとするサツキに対して、初老の男はサツキの頭に手を乗せると、少しばかりさする。
「落ち着きなさい。そのアイラって方の特徴を教えてください」
サツキは歩みを止めると、目に涙を浮かべながらその特徴を話し始める。
「金髪で、ショートで、160センチくらいの制服を着た僕と同い年の女の子です……!」
初老の男は近くにあった医療用ワゴン・カートに置いてあるタブレット型のホロ端末を開くと、このシェルターへ運ばれてきた人々の写真を見ていく。
「そのような特徴の子は……うーん……」
サツキは「そんな……」と呟くと、膝から崩れ落ちる。
あの時、押し出した先がちょうど鉄屑の真下だったのではないか、自分だけが助かって、自分は友達を殺したのではないか、など様々は考えが頭を過ぎる。
知らないうちに過呼吸気味になっていたサツキの肩をさすりながら、初老の男は、
「この第3シェルターにいないだけかもしれないから。慌てる心配はない」
と慰めてみせた。
サツキは次第に落ち着きを取り戻すと、「すいません」と一つ頷く。
サツキは少し周りを見て、ミーナへ感謝を伝えようと歩み寄るが、それに気づかないミーナは足早にシェルターの廊下へと出て行ってしまった。
「とりあえず、生きてるだけよかったのか……」
サツキはベッドの方へまた戻ろうとした際に、その先に手足が欠損した人々が横たわっているのが見えた。
重篤患者の区域。信じたくない光景だった。
見えるベッドは血で滲んでいるものが多く、欠損部に巻いてある包帯を取り替えようとすると痛ましい声を上げる者もいる。まさに、この世の地獄だ。
サツキはそこから目を逸らし、そのままベッドに座る。
「アイラは大丈夫なのか?」
自然と握りしめていた拳の手には爪が食い込んでいた。
ドォン!
かなり激しい揺れがシェルターを襲った。その箱の中では半ばパニックになった人々が騒ぎつつ、医師たちは患者がベッドから落ちないように支えていた。
「バルドが襲ってきたんだぁぁ!!」
半狂乱の女性の老人は叫ぶと一気に廊下へと走り出す。
その声と老人につられた人々は彼らも声を上げながら一斉に廊下の方へと走り出して行った。
出入り口は一つしかなく、皆が押し合いながら我先へと抜け出そうとしている。
医師たちは落ち着いてと大声で呼び止めるが、集団で無自覚に行動している大衆にその言葉は届きはしない。
サツキはその光景を唖然と見ていると、自分の手前で転んだ5〜6歳ほどの女の子が泣いている。
「大丈夫かい?」
サツキは手を伸ばし女の子の態勢を支えて起き上がらせると、彼女は「お兄ちゃんありがとう」とサツキの顔を見て笑った。
しかし、サツキは言葉を失ってしまった。その顔は口の左半分が抉れて、内側の歯がその隙間からこちらを覗いていたのだ。
『こんなの……』
サツキは未だにこの状況を飲まずにいた。
何か起きないかと願ったことが、腕の中にいる女の子を見て思い出す。
『違う……こんなの、僕が望んだことじゃない!』
サツキは女の子を強く抱きしめていた。
「お兄ちゃん?」
サツキは勝手に流れ出してくる涙を拭うこともできずに、ただ自分の無力さを嘆くことしか出来なかった。
「君!この子は私に任せて!」
若い女性の看護師がこちらに向かって駆けつけてきた。
女の子をサツキから引き離すと、女の子はサツキを見て「ありがとう!」と無邪気に笑っていた。
ドォン!
また体が躍るほど強く揺れ出す。
足を掬われた人々は出入り口の前でドミノ倒しみたいな風に倒れ出している。
「ここは危ないかもしれないから、君はあそこから逃げて!」
看護師が指を刺した方を向くと、そこには頑丈そうな鉄の扉でできた小さなエレベーターが設置してあった。
人一人入れるくらいのエレベーターは小さい資材の運搬に使われているもののようであった。
「一番上に行けば地上付近に出られるわ!」
看護師は女の子を抱えたままそう叫んでいる。
サツキはエレベーターの方へと走り出そうとしたが、一旦振り返り彼女たちを確認する。
「あなたたちは!?」
サツキは強めに問う。
細かい揺れがシェルター内に続いており、その度に天井から細かい壁が崩れたカケラがサラサラと落ちてくる。放っておけばそのうちこのシェルターは崩れ落ちることなど、誰にも想像できた。
看護師の顔は至って凛々しく、しかしそれは優しくみえた。
「私にはみなさんを安全に誘導する義務があります。それに、この子を一人には出来ませんからね」
そう言って女の子の頭を撫でた。
女の子は看護師を不思議そうに見てから、サツキの方へと振り向き、微笑んでみせた。
「…………」
サツキは喉に何かが詰まったかのように言葉が出ず、目を逸らして小さく頷くとエレベーターへと一気に走り出した。
『僕よりもあの人たちの方が……』
生きる価値がある。
そう言いたかった。だが、サツキにはアイラを探し出すという最優先事項がある。
アイラを見つけるまではまだ死ねない。死ぬことはできないと、心が叫んでいた。
サツキは小さい四角形の箱に体を屈ませて入り込むと、壁についてある1というボタンを押した。
女の子はこちらに手を振っている。
扉はゆっくりと閉まっていき、騒ぎ立てる人々の中であの二人だけが、時間が止まっているかのように感じられた。
「僕は……絶対に」
ダァン!!
次の瞬間、閉まり切った扉の向こうから薄い紫色の閃光が入り込んできた。
一呼吸置いてから胸が苦しくなる匂いを発した黒い煙が薄く入ってくる。
「…………!?」
エレベーター内の電源は落ち、箱の中は暗闇に包まれた。
何が起こったのか理解ができないサツキは周りの壁を叩くが、何も反応する気配は感じられない。
しかし、一つだけ他に分かったことがあった。
先程までうるさかった扉の先から何一つ、物音すらしなくなった。
『まさか……』
サツキは最悪な状況を思い描いていた。
もし一秒でもエレベーターに入るのが遅かったらと考えると寒気を感じるが、それ以前に目の前で大量に人が死んだであろう場面に吐き気を催した。
確実に死んでいると感じたのはそこから数秒してからだった。
扉の先から焼けた肉の匂いが漂ってくる。
「あ……あ……」
自分でも感じるほど情けない声と、嗚咽が入り混じる。
小さいエレベーターに閉じ込められながら、頭の中で手を振る女の子の映像が何度も繰り返される。
『ぼ……僕が殺したんだ。僕がこんなのに乗ってなければ』
サツキは小さく蹲りながら、これからどうなるのかなど意味もなく昔のことなどが頭に浮かんでいた。
「……。これ……あなた……よ」
途切れ途切れで聞き覚えのある声が頭に流れてくる。
『母さん……』
父が戦争で行方不明になってから女手一つで育ててくれた母が、頭の中で昔サツキに話しかけてくる。
しかし、言葉が思い出せない。だが、その幸せな日々を思い出すだけで十分だった。
「もう、終わりにしよう。こんなの」
全てを諦めたかったサツキは体を丸めたまま大人しく横になっていた。
バチンッ!
何かが千切れる大きな音がした。
サツキは咄嗟に体を起こした。その瞬間天井に頭を強打する。
「痛っ!」
頭を右手で抱えながら我に返る。
『こんなところで死ねるか!』
先程の自分を否定すると目の前の扉を思いっきり叩き出す。
「誰か!!誰か助けてください!!」
無音な扉の先に向かって叫ぶが、状況は変わらず物音すらしない。
また、バチンッ!と音がする。
サツキは体を跳ね上がらせ、音のなった天井へと目線を向ける。暗闇で何も見えないが、反射的に顔は上を向いていた。
「まさか……」
サツキの血の気が引いていく。
『エレベーターのロープが切れているのか?』
他に色々考えたが、結局この結論にしか至らない。
自分が今何階にいて、どれだけ下に続いているかも想像できない。
サツキは初老の男の言葉を思い出す。
ここは軍事施設だ。
『ここが地下シェルターなら、この下にもまだ階があるかもしれない……』
バチンッ!バチンッ!と音が続くと、エレベーターはブランコのように重力に沿って揺れ始めた。
サツキは何度も扉を蹴り続け、どうにか破壊できないものかと試す。
『僕はアイラを助けないといけないんだ!!」
バチンッ!
今までより強くなったその音とともに、サツキの体は宙に浮き上がった。
「うわぁぁぁぁああ!!」
擬似的に無重力となったその箱は、時々壁に接触する音を立てながら、サツキが思っていたより長い時間をかけて落下していく。
* * *
「こちら……。出撃する」
少し荒れた黒い髪をした男はコックピットハッチの前から整備員が退避した事を確認すると、機体を地上へと発進させる。
「……。俺が………からな」
地上は既に火の海と化していた。
崩れ落ちたビル群と、撃破された無数の機体から天まで昇るほどの炎と煙が立ち上っていた。
* * *
「…………ッ」
サツキはゆっくりと目を開いた。
『生きてる……?』
体をゆっくりと動かすと、不思議とそこまで痛みは感じない。
エレベーター内の全面展開型エアバッグがサツキの体を守ったのだ。
『さっきのは夢か?』
やけにリアルな戦場の風景を見たと思いながら、少し痛む頭に触れながら既に開いていた扉から外へと出る。
真っ白い壁が包み込むそこは、長い廊下の中間あたりに位置していた。
予備の電力を使用しているのか、廊下は眩しいほど明るかった。
目の前の壁には、ちょうど目線あたりに右矢印が書かれており、そこには「No Trespassing. Hangar」と赤く書かれていた。
「格納庫か?」
サツキは格納庫に隊員か他にも誰かがいるかもしれないと考え、そこへと向かうことにした。
物寂しい廊下を歩いていくと、その先に鉄製の自動ドアが既に開いた状態になっているのが確認できた。
「あれか!?」
サツキは歩みを早めた。いや、既に走っていた。
近づくドアに心を躍らせながら、勢いよく駆け込むとそこは驚くほど広い空間へ繋がっていた。
廊下と同じ真っ白な空間には整備工具や見たこともないような物が一面に広がっているが、誰一人確認できない。
天井まではおそらく30メートルはある。
しかし、サツキはその空間よりも先に目の前にある巨大な機体に目が奪われていた。
「あれは…………」
映像や資料では見たことはあった。
その装甲全てが純白で美しく、所々見える幾何学模様の接合部が薄い水色で機体を綺麗に彩っていた。
腰には先端が三角に尖った長方形の装甲が連なり装着されており、腰マントのように見え、その上からどの機体にも当てはまらない内部が薄い水色でできたスラスターが装着されている。
驚くことに、背中には腰から頭を覆うほど大きく、また横幅も大きい大剣が機体半分に左右1本ずつ、柄が下になるように装備されている。その大剣の刀身は機体と同じ純白の装甲で覆われている。そして、頭部はSFに出てくる騎士のヘルムのような、しかしスマートな装甲でできており、電源は付いていないため、内部フレームから暗い緑色の眼が覗いていた。
サツキの目に映るそれら全ては、まさに白騎士の名に相応しい美しさを形成していた。
「……パラディン」
Xフレーム、パラディン。
17年前に起きたヴァルハラ戦争にて戦火を拡大させ、大きな犠牲を生み出した破壊の象徴。人類が初めて開発したゼロフレームだ。
「17年前に破壊されたんじゃなかったのか!?」
サツキはパラディンを見上げながら、この白い部屋の中でもより一層白く輝く機体を睨みつけていた。
『こいつさえいなければ、父さんは……母さんだって悲しまずに済んだ!』
サツキは憎悪に似たものを感じたと同時に、頭に鋭い痛みが走る。
「がぁっ……」
サツキは頭を抱えてその場に倒れ込む。
その後、今まで感じたことのない、直接脳を掴まれているかのような感覚と痛みが走ると、いきなり目の前に火の海と化した街が現れた。
怯える人も、泣き出す人もいないその街は悲しく赤い色に染まっている。
『……これは』
サツキは空から見下ろしていた。
そこに映る体は自分のものではなく、純白の鎧のようなものであった。
頭の痛みはいつの間にか消えており、目の前には先程と変わらない荘厳な装甲を纏ったパラディンが佇んでいた。
「お前が見せたのか?パラディン」
サツキは既に気づいていた。
ここに運ばれてから、この場所に至るまで。
「僕を……呼んでいるのか………」
サツキは右の壁に設置されているリフトを使って2個上のドックの橋まで上がる。
コツン、コツンと音を立てながら歩き、パラディンの胸にあるコックピットハッチ前で立ち止まる。
『アイラを助けるには、これしかない』
既に開いていたコックピットハッチ上部に手をかけ、コックピットへ体を滑り込ませようとしたとき、下後ろのドアの方から声が聞こえた。
「お、おい!!何をやってるだ君は!」
サツキが振り返り下を向くとそこには、無精髭を生やした白髪混じりの男が慌てた様子でパラディンの真下まで走ってきていた。
「今すぐ降りなさい!それは危険なものなんだ!」
サツキはハッチ上部に手をかけたまま、男に反論する。
「僕には守りたい人がいるんだ!それに、誰かがやらないとハイドランドは終わりだ!」
サツキはそう言い放つと、そのままコックピットへと入り、座席に座る。
それと同時にコックピットハッチは閉じ始め、座席部分が機体内部へと流れていく。
完全にハッチが閉まり切ると、360度見回せる全周囲モニターが展開される。
しかし、それだけで機体は他に動くことはなく、様々なスイッチ類が点灯するだけであった。
「……どうやって起動するんだ」
サツキは少し焦っていた。微弱ではあるが地上からの振動が伝わってくる。サツキは手当たり次第に目を通していく。
そうこうしていると、コックピット内部に男の声が響いてくる。
「あー、パラディンは特定の人物からの生体反応を検知しないと起動しないんだぁ。それにその人はもういないから、パラディンは動かない。あと、パイロットスーツを着ないで出ても重力にやられるだけ。パネル一番右にある緑のスイッチを押せばハッチが開くから、早く出てきなさい」
男は呆れたような物言いでサツキに助言する。
「そんな……」
サツキは座席横についている肘掛けを拳で叩くと、目線を操作パネルの右側にある緑のスイッチへと目を移す。
「Hatch unlock」と書かれたスイッチを見ると、指をその上まで持ってくる。
『結局僕は何もできないんだ』
スイッチを押しかけたその時、サツキはあることに気がつく。
「見つけたぞ!」
その一つ上に赤いスイッチがあり、そこには「X Flame Start」と書かれていた。
サツキは迷うことなくそのスイッチを押し込んだ。
次の瞬間、パラディンは装甲から覗く内部フレームから青い粒子を放出すると、サツキの目にはパラディンから得た情報が、網膜投影されて全周囲モニターに反映される。
周囲にある機械類の危険性や、その急所となる部分が緑の四角で囲われ、それらの型式が表示されている。
『これはモニターに映されたものじゃない?僕の目の中に映っているのか!?』
下を見るとそこには生体反応と書かれ、拡大された四角い緑の枠の中には無精髭の男が写っており、その横には心拍数まで表示されていた。
「まさか君は……」
そう小さく呟いた男の声もコックピット内に響く。
コックピットでは女性の機械音声が初起動時の出撃シークエンスロックの解除を促している。
下にいる男はすぐさま近くにあるコンピュータまで駆け寄ると、「ちょっと待ってろっ!」と言い放ち、キーボードを打ち始める。
サツキはモニター中央にも表示されている出撃シークエンスロック解除の方法に目を通す。
「出撃シークエンスロック解除は、パイロットの名前と機体名、発進の意思を自身の音声により伝える。だけか」
その他にも、直接脳へと送られてくる様々な情報がパラディンの操作説明を語っていた。それらは非常に分かりやすく、ゼロフレームに乗ったことすらないサツキであっても基本的な操作は理解できた。
ゴゴ……という音とともに、機体を囲んでいたドックの橋が左右に分かれで壁の中に収納される。
同じくしてモニター上部に映る天井がスライドして壁の中に収納されると、解放されたハッチから見える先には少しの黒い煙と青い空が見えた。
「おい!上部ハッチを解放した、いつでも出れるぞ!機体を壁にぶつけないようにな!」
男はそのコンピュータの隣で足を整え、手を額付近まで上げると同時に肘を曲げた。
「お前に敬礼してるんじゃないぞ。パラディンにしてるんだ」
男は少し笑っていた。
それを見たサツキは跳ね上がる心臓の鼓動を抑えるために、大きく深呼吸をする。
そして、出撃シークエンスのロックを解除させようと声を出す。
「僕はサツキ……ぐッ!」
先程と同じ痛みが頭の中に走る。
気がつくとサツキは実家のリビングの椅子に座っていた。その横には母が座っているのが確認できる。
「母さん」
サツキが話しかけようと言葉を発するとと同時に、「おかーさーん!!」という元気な子供の声に掻き消された。
幼い子供はテーブルまで駆け寄り、母と向かいの椅子に座ると、
「お父さんはいつ帰ってくるの?」
と少し悲しそうに聞いていた。
サツキはその子供を見て思わず言葉が漏れた。
「あれは……」
そしてサツキは思わず口を開いた。
「お父さんは今ね、宇宙でみんなを守ってるんだよ」
サツキが静かに呟く。
直後に、母はその子供に愛情の詰まった微笑みを見せると、
「お父さんは今ね、宇宙でみんなを守ってるんだよ」
と答えた。
サツキは思い出した。何も考えずに、戦争なんてものを知らずに、平和に生きてきた自分自身を。
幼いサツキは足をバタバタとさせながら、不服そうにしている。
「えーわかんなーい」
口を尖らせて、少し不貞腐れたような顔をしながら母を見つめていた。
「じゃあサツキ、今日はあなたの名前を教えましょう」
「名前って、僕サツキだよ?」
母はテーブルに置いてあった紙とペンを手に取ると、自分の前にそっと置く。
「名前っていうのはね。みんな命が宿っているのよ」
「いのち?」
幼いサツキは何か納得がいっていないような顔をする。
「そうよ」
母は優しく頷くと、紙にサツキの名前をスラスラと書いていく。
その紙を反転させ、スッと幼いサツキの前へと持っていくと、それを手に取った幼いサツキはすぐさま笑顔に変わる。
「わー!なにこれ!かっこいい!!」
母は椅子から立つとテーブルを回って幼いサツキの隣に座り、優しく頭を撫でる。
サツキはこの懐かしさに微笑みながら、その光景をただただ眺めていた。
母は指で文字を追いながら、吐息のような声で幼いサツキに聞かせてみせた。
「上代沙月。これがあなたの名前よ」
その光景はサツキにとって幸せそのものであった。
まだその感情に浸っていたいが、いきなり視界が暗くなると、眩しい白い部屋が映し出される。
サツキはコックピットの中にいたことを思い出す。
『また、パラディンが見せたのか』
懐かしさに浸りたい気持ちが心に残っているが、サツキの決意は既に自分の中に芽生えていた。
「上代沙月。パラディン。出撃する!」
モニター中央には「All Completed」と緑色の文字で表示されていた。
そして、パラディンの腰部スラスターから青い光が放出されると、その機体重量からは想定できないほどの速さで、解放されたハッチから地上へ向けて飛び立って行った。
【用語紹介】
⚪︎ゼロフレーム
人型戦闘兵器の総称をゼロフレームという。
さまざまなフレームが存在し、それによって役割が変化する。
陸、海、空、宇宙などに対応したフレームが開発されている。
軍事用として、戦闘状況やその役割に応じて作られることが基本だが、掘削機や潜水機といった作業用として作られる場合もある。
作業機体は「モノフレーム」と呼ばれる。
頑丈かつ高性能であるため、高価ではあるが様々な用途で使われている。
動力源はニュートリアを使用し、腰から頸付近にかけてL3タンクが積まれている。そのため、背後が最大の弱点であり、活性化したニュートリアや火薬類がL3タンク内部に接触した場合、爆発する恐れがある。その際、機体全体で最も頑丈に作られているコックピットも無事である保証はない。
熱源や生体反応、ニュートリアを検知してモニター上に緑色の枠で捕捉し続ける機能がある。これは戦闘時や作業時に物体を目で追う際の補助として機能する。
頭部の目にある眼光カメラは光明、暗闇時に際してバイザー、ナイトビジョン効果も備わっており、自動もしくは任意で切り替えることができる。
⚪︎フレーム眼光規定条約
「人型フレームの眼光は緑色でなければならない」と世界条約によって定められており、これ以外の色に変更または初期の緑以外の状態であれば拘束を優先し、それが不可能であると判断されれば破壊対象として認識して良いとされている。
この規定の緑色は生産する際に付けられるものであり、正規の生産工場でしか付けられない物となっている。コピー品や複製、または機体から眼光パーツを外した際にその緑は褪せたり、他の色に変色したりするように設計されており、高性能で危険性が高いフレームが正規品かどうかを区別する為に作られた条約である。
⚪︎ニュートリア
ゼロフレーム本体に加えて、武器や戦艦に用いられる主原料がバビロン粒子によって作られたエネルギーの集合体。
通常は気体であるが、一定温度下で液体化することを利用して普段はLタンクに保管され、持ち運ぶ。
直接触れると瞬時に触れた箇所を溶かす性質を持っているため、非常に注意して扱う必要がある。これは生物以外にも適応される。
様々な動力源に使用されている汎用エネルギーだが、扱い方を間違えると危険なため、ニュートリアの搬入搬出は厳しい規制が設けられている。
L0タンク 最も巨大なタンクだが、その大きさから戦艦にすら積ませることはできない為、ニュートリアの貯蔵用として扱われている。
L1タンク L0を除き最も巨大なタンクで主に戦艦や戦艦の主砲エネルギーとして使用される。
L2タンク L0を除き2番目に大きいタンクで戦艦等の砲弾やミサイルに使用される。
L3タンク 最も小さいタンクでバスターライフルやショートライフル、ゼロフレームに搭載されている汎用タンク。ミサイル等に使用する際は、着弾時に爆発するように設計されている。