幕間
二年近くエタってました……ちょっと色々思うところ合って再開します
ガココン!、と音を立てて何かが足下に転がってきた。舵を握って全速力の今、そちらに目をやることは出来ないが、おそらく振動に耐えかねた部品かネジが外れ、船内を跳ねたのだろう。全力運転の発動機の音の中ではっきり聞こえるくらいの勢いだ、身体に当たっていればただでは済まなかったかも知れない。
「タッちゃん! 駄目……エンジンが暴れすぎてる! このままじゃ船から外れっ」
バン! と音を立てて船隊が跳ねる。こんな薄板のボロでは、エンジンよりも先に船が折れてもおかしくない。
「わかってる! けどこのままじゃ間に合わんけ!」
押えろ、というのは無理だろう。いくら彼女でも、素手で焼けたエンジンに触るなんて正気の沙汰ではないし、触れることが出来たところで女の膂力、いや仮に海の偉丈夫達とて一度暴れ出した発動機に手を触れるなんて正気ではない。こうなればもう素直に回転を切って、振動が収まるのを待つしかない。
もとより、燃料も部品も船体も、全てが彼女が言うとおりで、どう考えてもこれは無茶だ。出力も、バランスも何もかもがデタラメで、今こうして動いていること自体が奇跡と言っても良い。
「無理よ、もういいから……!」
「いいから……また跳ねる! 舌噛むから喋るな! これでも被ってろ!」
自分の尻の下に敷いていたボロボロの座布団を、椅子から引きちぎって後ろ手に彼女に投げる。受け取ったかどうかを確かめる余裕も、敷物を頭上に被れという不作法も気にしている余裕はない。それと同時に、再び跳ね上がった船の衝撃が下から叩き付ける。
「絶対、届けてやる!」
けれど、こうするしかなかった。こうすることでしか、彼女を故郷に帰すことは出来ない。間に合わなければ全て一からのやり直しになってしまう。だから、たとえエンジンがブッ壊れて火を噴いても、止める気なんてさらさらなかった。
そもそも、一度止まった船がもう一度動いてくれる保障さえない。――一か八か――速度を落とせば間に合わない、止まればもっと届かない。だから、なんと言われても、止まれない。ただ、彼女がケガをしたり吹っ飛ばされたりしないか、それだけは気がかりだった。
彼女との出会いは、年を経た今でも写真や映画のワンシーンのようにはっきりと思い出せる。壊れそうな硝子細工のようで、それでいて素朴な手作りの器のような温もりも持ち合わせた立ち姿、未知の世界への誘うかのような眼差し――その全てが蠱惑的で、少年だった自分には刺激が強すぎるものだった。
初めて会った時、「こんにちは」と笑いかけられただけで動転してうまく返事が出来なかったことも、何気なく歩いた夕暮れの道の会話も、覚えている。少なくともそのつもりだし、正直なところ今となってはもう、事実と記憶の違いを確かめる術もない。
だが、記憶の中身が多少変わったところで、あの寂しげな笑顔だけは、この先何十年経っても、自分が生きている限り脳裏に辛き得ることはないだろう。
そして何より、彼女のためにそれこそ命がけで駆け、爆発しそうな発動機から白煙を吹くほどに全力で走らせた冒険の日々は、自分が忘れたところで消えることもない――色々な事が親たちに知れてしまい、頭の形が変わるほどに殴られて出来たたんこぶと青タンが消えても、空に――彼女の見た空に手が届かなかった日の悔しさは忘れられない。現実は、活動写真や冒険小説のように必ずしもハッピーエンドで終わるわけじゃなかった。
残念なことに、なぜそんなことになったのかも、今ではよく覚えていない。仲間達の中では少しばかり機械いじりが得意で、キャブ掃除やプラグを磨くくらいで得意げになって自慢できた。そして父やまわりの人間達がそうだったように――あの頃はまた適当だった。中学に上がる前なのにもう、スーパーカブを乗り回したりもしていた。まして田舎ともなればさらにいい加減で、畑仕事に行く年寄りもヘルメットの代わりに日よけのついた麦わら帽子を被り、片手にクワを持っていたりするような時代だった。
父がいない夜勤の日を狙って深夜にバイクをこっそり持ち出し、何度か運転する内に上手くなったと勘違いして、コーナーを駆け抜けた時、自分がずっと大人になったような気がして物凄くドキドキしたのを覚えている。映画やマンガから抜け出してきたかのような恰好そのままの姿で、自分が主人公なんだと錯覚できた。
今から思えばあの物語の中に居たのはほんのしばらくの時間だが、あの時の自分にはそれこそずっと続くと信じていた。田舎に帰らず地元に残った仲間達より一足先に大人になれたような、ワクワクだけを楽しみにしていた。
けれど、それはたかだか子供のヤンチャであって、多くの子供達や若人がそうであるように、いい気になってアクセルを回したところで道に浮いた砂利にタイヤを取られて滑って吹っ飛び、擦り傷と打ち身でボロボロのバイクと身体を抱えて帰りるのが関の山だっただろう。もちろん後ろに乗せてる女の子なんて(もしもいれば)ボロボロで、互いに慰めも労りもなく気まずいままに別れることが出来れば御の字、相手側の父親と自分の親にボロボロにされるまで責められても文句を言えない未来だけが待っている。
けれど、そうならなかった。その代わりにあの日は、気がついたときにはもう彼女と一緒に真っ青な空を飛んでいた。高く、高く、落ちればまず無事では済まないほどの高い空を。
「うそっ……! タッちゃん! これヤバっ……」
「……!」
返事をする余裕がなかったとか、恐怖で身がすくんだわけじゃない。いや、確かにそれもあった。けれど、それ以上に圧倒され、見とれていたのだ。いくら前もって聞いていたにしても、それを直接見るのとじゃ大違い……ただただ唖然とするしかなかった。掴むべき地面を失い、虚しく空転するタイヤと車体。勢いのついたまま空へと飛んだその先には、雲の隙間に浮かぶ巨大な宇宙船がはっきりと見えていた。アニメで見るようなブルーとレッド、もしくはトリコロールのような三色にはっきりと塗り分けられた物ではないシルバーグレイの巨軀。どちらかというと洋画に出て来る侵略者サイド、もしくは父が当時好きだった、スタートレックのようなSFデザインとカラーの船だった。
「でけ」
「えっ……」
惚けたような自分の声と、呆れたような彼女の声がやけに遠くに聞こえた気がした。あれだけの巨体を宙に浮かべていながら、その宇宙船から飛行機が飛ぶときのような爆音はまったくなく、静かに、真昼の月のように――だがずっと低く、雲と同じくらいの高さに、ただその船はそこに「あった」飛んだり現れたと言うよりも、そう表現した方が適切だろうと思う。
彼女と出会って色んな物を見て、色んな奴らに出会い、仲間と冒険し、野山と海を駆けた。まあともかく、自分ははっきりと見たのだ。おそらく今までに人類が誰一人として見たことのないだろう、未知との遭遇。夜の森で戦ったセラミックのロボットや、海で聞いたミッシーの赤紫色の不気味な目と巨大なあぎと、身を隠した草の中、すぐ脇を通り過ぎる追手の足跡にも確かに恐怖した。
「……ぅをあらああああ――っ!」
けれど、その中で見たり体験した、どんなとんでもないものよりも、それはムチャクチャでデタラメで、ただデッかくて、そして遠かった。自分の胸を埋めるそれがどんな感情なのかも分からない。ただ、その巨大さに負けないようなデッカい何かが自分の中からわき上がり、恐怖を全て塗り替え、枯れかけていた肺と喉の奥、腹の底から声を絞らせ、叫ばせる。
「……っ!」
彼女が背中で何かを叫んでいるが、今度は風切音と、自分の叫びで聞き取れない。理解できていた余裕があったとも思えない。
「届けえええええええええ――――!」
がむしゃらに手を伸ばす。
手を伸ばす。我儘で、無茶で無理で、遠すぎる願いだと分かっていた。
それでも、あと少しでいい、どんなに遠くても届け、届く――必死で空を掴み、あらん限りに叫び、小さな手を伸ばす。
手を伸ばす――
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