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第3話「ミッシーの秘密」

第3話です

 少女は夕暮れの境内を一人歩いていた。かつて寺の境内だったそこは、所々に人が通った道がある他は草が伸び放題で、無数のヤブ蚊が飛び回っている。寂しげな空気の中をゆく彼女の姿は少々場違いな感じだ。

「しかし……まだ水無月やゆうのに、せっかちやねぇ」

 まだ夏も始まりだというのに、ヒグラシの寂しげな鳴き声が染み渡る。

「ずいぶんとまぁ……荒れてること」

 言葉通り、その草むら――茂みといった方が近いだろう――崩れかけた土塀に囲まれた中は荒れ放題になっていて、奥の墓地へと続く道を半ば侵しつつあった。

「あ、いた」

 似合わぬ格好でヤブこぎをしていた少女が、何かを見つけたらしく立ち止まる。向きを変えて進んだ先に壁際に空いた一角があり、数体の地蔵が並んでいた。

「久しぶりね、元気だった? ……あら、まだ寝とんな」

 そう声をかけ、地蔵の前にかがみ込んで手を合わせた。そして顔を上げ、手を伸ばして愛おしむように地蔵の頬を撫でて微笑みかける。

 夕日を受けて、少女のワンピースと頬が朱色に染まった。

「ただいま、帰ってきたよ……」



「じゃあ……ミッシーってのは」

「この海のヌシです、多分」

「多分?」

 香奈はミッシーを見てみたいという客の青年――彼は村上と名乗った――と一緒に、ふな屋からほど近い川の河口にかかる橋のたもとに来ていた。海と繋がる川からは潮の匂いがして、そこが海の領域だと語っている。

「ごめんなさい、私も実は一度しか見た事ないんです……それも影と目だけ。音は聞いたことがあるけど」

「音って、鳴くの?」

「え……そうじゃないけど、エサの魚を食べる時、水面で……なんて言うかなぁ『ボフ』って感じの音がするの」

 ちょうどその時、水面で何かが跳ねる音が続けて聞こえてきた。

「あ、今みたいなの?」

「あれは……ボラが跳ねた音です。多いんですよ」

 満潮の終わりが近いせいか、流れはとてもゆるやかだ。流れも速くないので潮止まりには水面が鏡のように凪ぎ、小魚や虫たちの息づかいが聞こえてくる。

「ボラかぁ、それなら知ってる。あんまり美味しくない魚だろう?」

「そうですね……ここらの海は綺麗だから、食べられなくもないけど、やっぱり臭いです。でも、冬に沖で釣れたモノなら美味しいですよ」

「へえ、流石は海の子だね」

「そんなんじゃないですけどね」

 当たり前に知っているような事を褒められて面映ゆくなり、誤魔化すように道具の支度を始めた。

 結局、達郎はついてこなかった。自分が改造したルアーがどう使われるかは見たかったようだが、香奈の家「ふな屋」のお客が一緒だと聞いて遠慮したらしく「作りかけのプラモがあるから」と、追い出されてしまった。ハヤテは達郎と遊びたがっていたけれど、香奈が散歩用のリードを外して歩き出すと、すぐに嬉々としてついてきた。

「で、ミッシーは釣れそう?」

「うーん、今日は無理みたいですね。条件は悪くないんですけど……」

 ハヤテの散歩がてら、新しいルアーを試すだけのつもりで来てみたが悪くない雰囲気だ。しかし、ミッシーが現れる条件ではなさそうだ。おじいの話が確かなら、この様子ではミッシーは出ないだろう。

「そう? いかにも釣れそうだけどね……ほら、また跳ねた」

 再びボラが跳ねる音がした、確かにエサになりそうなボラはいるようだが、何かに追われている様子が見えない。これではスズキも難しい。引き潮になれば流されてくるフナや鮎を狙ってスズキが寄りそうだが、それはだいぶ先の時間だ。両親にあまり心配をかけたくないし、門限など設けられてしまっては面倒になる。

「ちょうど今くらい……夕マヅメに……夕暮れのことなんですけど、潮が引き始めるのは、好条件だから。でも、今日は気配がないです」

「すごいなぁ、なんだか漁師さんみたいだ」

 字面だけなら子供をからかっていそうな言葉だが、そうではないようで「心底驚いた」顔で真剣に香奈の話を聞いている。

「これでも、漁師の娘ですから」

 香奈が物心着いた頃には、父は既に漁師をやめてふな屋を始めていたが、今も漁協に籍は置いたままで、時折、客のない日を見計らっては自分で船を出している。「二人」の師匠である祖父にしても入院する直前まで船に乗っていたのだから、血は争えない。

「ミッシーって……デカイの?」

「そうですね……多分1メートルは軽く越えていると思いますよ」

「そんな魚がいるんだ」

「祖父の話だと……昔はもっと大物も居たそうです。」

「あ、ひょっとして『シーバス』ってやつかな、友達がいつも狙って釣りに行ってた」

「似てますけど、ちょっと違うかな……お客さんは『アカメ』って知ってます?」

「シーバス」は釣師の一部で使われるスズキの俗称で、アカメは時折テレビなどで『幻の魚』として取り上げられることもある、一般には珍しい魚だ。

「聞いたことあるなぁ、すごく珍しいんじゃなかったかな」

「実際にはそれほどでもないんですけど、このあたりには居ないって言われていますね」

 アカメの瀬戸内海での捕獲例は極めて少ない。生息地は高知県と九州の特定河川と言われており、瀬戸内の捕獲例は徳島に近い海域でのものくらいだ。太平洋から遠く離れた三駒崎では、生息していないことになっている。釣り上げたことがあるという香奈の祖父にしても、戦前の話だと言うから、本当に希な事だったのだろう。

「なんか、ロマンだね」

「……うーん、単に大きい魚を釣ってみたいってだけかも。でも、今日は駄目みたいですね、帰りましょう」

 こんな日に粘っても、時間を浪費するばかりで両親に心配をかけるだけだ。

 出しかけの道具を袋に戻し、そばで大人しく座り込んでいるハヤテの手綱を引くと、跳ねるように走り出した。「こら」と制して引き寄せる香奈を、ハヤテが恨めしそうに見上げた。

「そんな顔してもダメー」

 ちょっと甘やかし過ぎたかも知れない。

「元気だねぇ、何歳?」

「確か……五歳かな」

 達郎と一緒にハヤテを拾ったのは小学校に上がる前の年のはずだ。人間で言えばもうそれなりに分別のついてよい年代のはずだが、子供っぽい性格と、おそらくは豆柴の血を引いているのであろう小柄な体躯のせいで、よく育ち盛りと間違われている。

「人見知りしない子だね」

 犬好きと見え、首筋をわしゃわしゃとかき回す青年。ハヤテはうっとりと、されるがままになっている。

「番犬失格ですよ、誰にでも尻尾振っちゃうから」

「可愛くていいじゃん。さて……そろそろ行こうか、あまり遅いとご両親が心配されるよ」

 ハヤテは「もっとー」とせがむようにしていたが、軽く促しただけでご機嫌に駆け出す。なんとも単純な子だ。

「君は何年生?」

「五年生、でも家では従業員としてこきつかわれてます。こんな風にお客さんの案内もしますよ」

「立派なもんだ、しっかりしているから中学生くらいだと思ってたよ」

――達郎に聞かせてやりたいセリフだ――さすがに幼稚園児ということはないが、アイツなら三年生と間違われても不思議じゃない。

「あはは、いつの間にか……ですね」

 並んで歩く青年の背丈は、ちょうど父と同じくらいだろうか、平均的な背丈の香奈からすれば、やはりずっと高い。それでも香奈を子供扱いしない彼には好感を持てた。家の仕事柄、ずっと年上の大人達と接することが多いが対等に近い目線で話してくれる人は少ない。

「いつまでこちらにいらっしゃるんですか?」

「うーん、実は決めてないんだ。とりあえず、次の予定までしばらくあるし」

 長期滞在は香奈の家にはありがたいが、なんとも贅沢な話だ。

「じゃあ、その内にミッシーに会えるかも知れませんね」

「そうだな、俺も狙ってみようか……モリなら使ったことあるよ」

「良いと思いますよ、道具はウチに売るほどありますから」



「起きた?」

 目が覚めたら尻がすごく痛かった。達郎は寝起きが良い方だが、この日はよりはっきりしと目が覚めた。というか多分叩かれた。

涙目で見上げると、姉の幸恵がバットを肩にユニフォーム姿でベッドの上に立っていた。

「あ、さすがに可愛い弟バットで殴ったりせんよ。起こしたげようと思って蹴ったら、あんたがベッドから落ちただけ」

 ――叩いたのではなくて蹴っただけ――って、達郎が悪いかのような口ぶりだが、罪状も犯人は変わらない気がする。

「何すんだよ!」

 落ちていた枕を投げつけたが、あっさりとかわされた。

「気持ちよさそうに寝てるからムカついただけー。こっちは早起きして朝練なのに……とっととラジオ体操行け」

 そうか……今日から夏休みだっけ、と考える間に姉はさっさと部屋を出て行く、相変わらず理不尽な姉だがまぁいつもの事だ。時計を見ると6時ちょっと前で、セミがシャワシャワと騒がしい。昨日はこの時間まだ寝ていたから気付かなかったが、外はかなり明るく、本当に夏になったのだなぁと実感する。

「……もっぺん寝よ」

 からりとした空気と風が、汗ばんだ膝の裏をくすぐって心地よい。しばらくは気持ちよく寝られそうだ。8時くらいになると暑くてとても寝ていられないが、今なら良い感じだ。せっかくの夏休みに、惰眠を貪らずしてなんのための休みか。ちなみに、ラジオ体操の皆勤は昨年寝坊して逃してしまったので、今年はさほど大事にも思わなかった。

「ちゃんと起きろよー、香奈ちゃん待たせたらもっぺん殴るけんねー」

 もそもそとベッドに戻ろうとしたところに廊下から姉の声が聞こえてくる。ラジオ体操まで起こしに来るかよ……だいたい香奈が起こしに来てたなんて、集団登校を真面目にやってた三年生までの話だ。香奈は真面目だから、低学年の子らをちゃんと連れて行っているようだが、四年生になってからは学校近くでだけ集まって、集団登校っぽく見せるのが今の男子のやり方だった。女子でも個別に登校している方が最近は多い。

「こねーって」

 四年生に上がった頃から香奈が迎えに来なくなった事が、実はちょっぴり寂しい達郎だが仲間の手前、間違ってもそんなそぶりを見せるわけにはいかないと決めている。

「何が、誰が」

 ……っ! 文字通り跳ねあがる飛び起きると、幸恵が開け放ったままの入り口に香奈が立っていた。

「ちょ、何だよ」

「何って……ラジオ体操。ちゃんと起こしてくれって幸ねーさんに頼まれたけん」

「うるせーな、子供じゃないんだから行くかよ、んなの」

「はぁ? どーでも良いから早くしてよ。ほら」

 達郎が布団を被って籠城戦を始めた。低学年の頃――いや幼稚園の頃から全く代わり映えのしない達郎に少し呆れたが、相手にするのが馬鹿らしい。勝手にタンスの引き出しからトレパンとTシャツを引っ張り出して布団に突っ込む。

「なんでよー、いいじゃんラジオ体操なんか」

「るさいわね、幸ねえさんに昨日のこと言うで」

 バシバシと布団の上から叩かれ、達郎は渋々と這い出す。寝間着を丸めて香奈が投げてきた服を吟味もしない、着替えるのに一分とかからなかった。

「ラジオ体操なんかマジメっぽいけ、かっこ悪い」

 アホか、と香奈は思ったが、そんな事でいちいち怒っていたらやっていられない。こっちでテキトーにコントロールしてやればいいだけの話だ。

「ほら、シャンとして歩く!」

「へいへい」

 廊下側の出口から香奈が出て行く。達郎の部屋にはすぐ外に出られるサッシ戸もあって、2人とも普段はもっぱらそっちから出入りしている。とはいえ、さすがに朝くらいは挨拶しておくか、と達郎も廊下を通って台所をのぞき込むと、母の折江が朝食の支度をしていた。

「おはよう、お父さんは?」

「あ、おはよう。もうとっくに出たわよ。ごめんね香奈ちゃん」

「いえ、幸ねえさんの頼みですから」

「そう? 悪いけどお願いね」

「いいけど、遅れるで」

 こんな所で世間話を始められてはたまらない。母、折江の話は長いのだ。

「あ、じゃあ行ってきます」

「いってらっしゃい、帰ってきたら朝ご飯。香奈ちゃんも食べていきぃ」

「ありがとうございます。でももうウチで食べて来ちゃったんで」

「あら、早いんねぇ。じゃあ行ってらっしゃい」

「はーい」

「うーい」

 家を出て、しばらくぼーっと歩く。走らないとギリギリなように思ったが、時間にうるさい香奈が余裕なところを見ると、まだ間に合うのだろう。それに、達郎の家にはテレビの時報以外に正確な時計は一個もない。

「間に合うん」

「ん、大丈夫。走らなくてもいける」

 香奈が腕時計を見て答えた。

「そっか」

 考えてみると、朝こうして香奈と一緒に歩くのは久しぶりかもしれない。登校に限らず、高学年になってからはなんだか気恥ずかしくて、一緒に遊ぶことも少なくなっていた。黙っているのも達郎がちらと横を見たとき、それに気付いて声が漏れてしまった。

「あ」

「ん、何?」

 きょとんとした香奈が達郎の顔を見ると、彼の目線が自分の胸元にあった。

「ああ、コレ? 早速つけてみてん」

 昨日もらった貝のペンダントだ。小振りなそれが夏の日差しにきらきらと光っている。

「……別に」

 照れているのか、自分の作品の出来に不満なのか、複雑な表情を浮かべている。「似合ってるよ」なんて、達郎が言うはず無いのは分かっていたので、ぶっきらぼうな物言いも気にならない。

「あ、それより、昨日のルアーどうやった?」

 それより、ねぇ。

「ん、昨日は投げなかったよ。でもお風呂で浮かべてみたら良い感じだった」

「そっか……ん…… あれ、何や?」

「何?」

 達郎が指さした先に、どこか見覚えのあるお地蔵様が立っていた。ただの……お地蔵様……? それが、間違いなく、立っていた。

「ええ?」

 二本の足で、まっすぐ、気を付けの姿勢で立っていた。邪魔にならないよう、道端に立っていた。

 奇妙な立ち姿だった。足が、こんなに長かったろうか? 香奈のよく知っているその足は、ドラえもんのそれよりちょっと長い――もしくは同程度のものだったはず。

「これ……カッパ寺の地蔵様だ」

 好奇心丸出しで達郎が地蔵に近づこうとしている。頭の輪と少し突き出した口、磨り減って無くなりかけの顔。間違いなくあのお地蔵様だ。

「でも、なんでこんなとこに……。誰かのイタズラ?」

「わからん、けど変やコレ」

 もともと、そんなに大きな地蔵ではなかったはずなのだが、ちゃんと6頭身くらいになって、二足歩行も可能な勢いだ。身長も達郎より少し低いくらいで、低学年の子らと同じくらいだろう。

「なんか……気味悪いよ」

 夏に怪談は付き物だが、明るいうちにただあるだけの地蔵が、こんなに怖いと思わなかった。思わず、地蔵に近づこうとしていた達郎のTシャツの裾を握ってしまう。

「どうしよう……」

「どうしようったって……あ」

 困惑して呆然としている2人の耳に、ラジオ体操の軽快なメロディーが聞こえてきた。地蔵に気を取られているうちに6時が来てしまったらしい。

「いけねっ! 走るぞ」

「うん」

 香奈の手を握って、達郎が走り出す。怯えていたのか先を急いだのか、こちらを一度も振り返らなかった。自分から手を握ったことにも気付いていないらしい。

「大丈夫やなー」

 ラジオは、ちょうど最初の歌が始まったばかり、第一に入る前の前置きの間にはなんとかなりそうだ。


続きます。次は何とか一週間で書きたいなぁ……

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