第7話 村の酒場
民家は10件程度の小さな村だが、教会らしき建物もある。また、酒場もすぐに見つける事ができた。俺は、酒場の入口の前に立つ。
少し緊張していた。俺は、サラリーマンだったが営業の経験はない。ましてや、飛び込みでセールスなんてしたことがない。だが、この世界で生きていくためにはやるしかない。
俺は、店の扉を開けて中に入った。
店内は、ランプの明かりがあるが少し薄暗い。テーブル席が2つあり、その奥にカウンターがあって店主と思われる髭面のおじさんが座っている。まだ客は誰もいないようだ。
「いらっしゃい」
店主が低い声で、俺に声をかけた。俺は、店主のいるカウンターの方まで進んでいく。そして、思い切って話しかけた。
「す、すみません! この酒を買って欲しいんですけど……」
俺は、カウンターに酒の入った壺を置く。先ほど『物質変換魔法』で水から酒に変えたものだ。
「…………」
店主は、黙って俺を見る。そして、壺を見る。その後、また視線を俺に戻し。
「客じゃないなら。とっとと帰ってくれ」
そう言って、そっぽを向いてしまった。しかし、ここで引き下がる訳にはいかない。俺にも生活がかかっているんだ。
「お、お願いします! これ、すごく美味しいお酒なんです! ぜひ買ってください!」
だが、店主は「帰れ」という風に手をひらひらさせる。俺は、まだしつこく食い下がる。
「そうだ! ひと口飲んでみてください! 本当に美味しいお酒ですから! ね?」
「嫌だね。とっとと帰ってくれ」
店主は、少し怒ったような様子だ。しかし、俺はまだ諦めない。
「お願いします! 毒なんか入ってませんから! あ! じゃあ、俺が先にひと口飲みますんで! ちょっとコップをお借りします!」
ちょうど、手の届くところに木製のカップが置いてあった。俺はそれを勝手に借りて、壺の中の酒をひと口飲んでみせた。
うん。美味い。口の中に広がる芳醇な味わい。コクもある。
「分かったよ。しつこい兄ちゃんだ。ひと口だけ飲んでやるよ。貸しな!」
俺の熱意が伝わったのか、店主は俺から木製のカップを奪うと、壺の中の酒を汲んで飲んだ。俺は、息を飲んでその様子を静かに見守る。
カップに口をつけた店主の目の色が変わった。
「ん! こ、これは…… 美味い! かなり上等な酒じゃねえか! 上品で味わい深い。こんな美味い酒は、なかなかお目にかかれねえぞ!」
よかった。お気に召してもらえたようだ。
「兄ちゃん! これは、どこで仕入れた酒だい? これだけの酒は、街でもそう簡単に手に入らねえだろ?」
店主は俺に尋ねる。俺は、言葉に詰まった。これは、俺が魔法で水を酒に変えたものだ。しかし、そう言っても信じてもらえるとは思えない。
「いや…… あの。その…… えーと。南の方かな?」
俺は、何とか取り繕おうとするが。この世界のことを何も知らない。ここも初めて来たばかりの村だ。
俺の困ってる様子を見たのか、店主は呆れたような声で言った。
「まあいい。もう気は済んだろう? 用が済んだなら、とっとと帰りな」
「え!? 買ってくれないんですか?」
俺は、驚いて尋ねる。あんなに美味い酒だと言ってくれたのに。気に入ってくれたと思ったのに。
店主は、ため息をついて答えた。
「あのな? 兄ちゃん。うちは見てのとおり、小さな村の小さな酒場だ。その酒は、その量でも銀貨1枚…… いや、それ以上に価値のある高級な酒なんだよ。うちみたいに1樽銅貨20枚くらいで仕入れている安酒とは物が違うんだ。うちの店には必要ないんだよ。どっかの貴族様にでも売るんだな」
それは、予想外の返事だった。しかし、俺には今すぐ現金が必要なのだ。
「じゃ、じゃあ! 銅貨20枚…… いや、10枚でもいいです! お願いします! 買ってください!」
俺は深く頭を下げる。元々は、無料の水を魔法で酒に変えたものである。いくらで売っても俺が損をすることはないのだ。しかし。
「それでもお断りだ。とっとと帰ってくれ」
「ええッ!? じゃ、じゃあ銅貨5枚でもいいです!」
俺は、さらに値を下げて交渉しようとするが。店主は、大きなため息を吐いて言った。
「はぁー。兄ちゃん。商売で一番大事なことって何か知ってるか?」
「え? それは…… お金を儲けることですかね?」
突然の質問だが、俺は即答した。サラリーマンの俺は、商売の基本は利益を出すことだと教育されている。
「もちろん、それも大事だが。一番大事なのは、それじゃねえ。『信用』だよ」
「はあ……」
「うちみたいな小さな村の酒場は、ほとんどこの村の常連客の売上げで成り立ってる。その常連客はな。俺の出す酒と料理を信用して金を出してくれてるんだ」
俺は、店主の話を黙って聞くことにした。
「つまり、客は俺のことを信頼してくれている。それが、お前。どこで造られたかも分からない得体の知れない酒を出してみろ。俺は、客の信頼を裏切っちまうことになるんだよ。それじゃあ、この商売は成り立たないんだ。分かるか?」
店主の言っている『信用』の意味が分かった気がする。俺は、まだこの世界で信頼を得る立場にいない。それでは、酒を買ってくれる人間は誰もいない。
「分かりました…… お酒を売るのは諦めます」
「おう。分かったら、とっとと帰りな」
酒を売るのは諦めたが、今晩の宿と食事を確保しなくてはならない。
「あ、あの。この辺に泊まれる場所はありますか? あと食事もしたいんですけど……」
「ん? ここは宿屋も兼ねてる酒場だ。2階に客室があるぜ。食事もできるのはここだけだな」
「代金はおいくらでしょうか?」
酒が売れなかった以上、俺の所持金は盗賊から奪った20枚の銅貨だけだ。足りるのか不安である。
「ああ。1泊食事付きで銅貨5枚だよ。食事だけなら銅貨2枚だ」
店主の返事を聞いて俺は安堵した。思ったより全然安かった。それなら今の手持ちで十分だ。
「じゃあ、食事と宿泊をお願いします!」
「なんだ。客なら大歓迎だ! 食い物出してやるから、そこのテーブル席に座りな」
俺は、言われたとおりテーブル席に腰掛ける。酒は売れなかったが、とりあえず宿と食事は確保できた。これからの事は、またゆっくり考えることにしよう。




