第5話 恐怖を越えて
「大人しくしてりゃー、殺しはしねえよ。まあ、おめえには奴隷として一生みじめな暮らしが待ってるがな! ひゃひゃひゃひゃ!」
顔に傷がある男は、俺に短剣を突きつけて薄気味悪く笑う。俺は、まだ死の恐怖で頭がグルグルしていた。
「嫌だ…… 死にたくない…… 死にたくない…… もう、死ぬのは嫌だ……」
目の前の短剣。あの時、ローブを着た女に突き刺された銀の短剣を思い出す。血で真っ赤に染まったシャツ。俺は、あの時死んだ。そして、ここにいる。
不意に、泉の水を酒に変えたことを思い出した。プカプカと白い腹を上にして浮かんでいた魚。俺が、水を酒に変えてしまったばっかりに、死んでしまった可哀想なあの魚。
「……そうだ。魚だよ。あの魚みたいになるのは俺じゃない! お前らの方だ!」
突然、光明が見えた。俺は、顔に傷のある男を睨みつけて右手をかざした。男からは笑みが消えて鋭い目つきになる。
「何だ? てめえ。まだ抵抗しようってのか? ちょっと痛めつけてやらねえと分からんようだな」
声に殺気がこもっている。だが、俺は怯まずに心に念じた。すると。
『対象を確認。スキルを発動します』
頭の中に直接流れるメッセージ。やはり、思ったとおりだ。
「ひゃひゃひゃ! 骨の2,3本は折って…… ヒック! あれ? 何だこりゃ…… ヒック!」
顔に傷がある男は、顔色が変わっていく。突然、しゃっくりをして上手く喋れない。そして、足元がヨロヨロとふらつき始めた。
「て、てめえ…… ヒック! 俺に…… ヒック! 何しやがった…… ヒック!」
男は立っていられなくなり、やがて片膝をつく。顔が紅潮して目がトローンと半眼になる。そして、その場に倒れ込むと「ガーガー」といびきをかいて眠ってしまった。
「あ、兄貴ーッ! どうしたんだッ!?」
もう1人のスキンヘッドの大男が、ようやく俺たちの元に走ってたどり着く。俺の前で眠っている仲間を見て動揺している。
「てめえッ! 兄貴に何をしやがった!?」
スキンヘッドの大男が、俺に向かって短剣を向けるが、俺は臆することなくゆっくりと立ち上がった。膝についた土をパッパッと払い落とす。
「そうだよ。俺のスキル『物質変換魔法』は『水を酒に変える』ことができるんだ…… もっと早く気がつけばよかった」
俺は、立ち上がるとスキンヘッドの大男に向けて手のひらをかざした。男は、警戒して後ずさりする。
「何する気だ!? てめえ!」
「知ってるか? お前。人間の体っていうのはさー。60%以上が水分なんだぜ。つまり、半分以上は水でできてるって訳」
俺の言葉を理解できず。スキンヘッドの大男は、大きな声で喚き散らす。
「な、何訳の分からねえこと言ってやがる! 殺してやるッ! ぶっ殺してやる! この野郎ッ!」
男は俺に向かって突進してくる。だが、俺は落ち着いてさっきと同じように心に念じた。
『対象を確認。スキルを発動します』
俺の手のひらが青白くぼんやり光る。すると。
「殺してやる! 殺して…… ヒック! な、何だ…… ヒック!」
男は、しゃっくりをし出し。ヨロヨロと千鳥足になって、その場に倒れ込んだ。やがて眠りにつく。
「変えたんだよ『水を酒に』。そう、お前たちの体の水分を酒に変えたんだ。効くだろう? 急性アルコール中毒ってやつは」
酒は普通、口から摂取するものだが。俺は『物質変換魔法』で、この盗賊たちの体の水分を直接酒に変えた。全身の水分がアルコールになったんだ。運が悪ければ中毒で死ぬかもしれない。
「悪く思うなよ。お前たちは、俺を殺そうとした。生かしても奴隷にしようとしたんだ。これは正当防衛だからな!」
そう言うと、俺は男たちが持っていた短剣を拾い上げる。頭の中に情報が流れ込んでくる。
『アイテム名:盗賊の短剣……盗賊たちが好んで使用する短剣。非常に軽い。装備すると敏捷が+1される』
ふむ。思いがけず役に立ちそうな武器を手に入れた。しかも2個も。1つは売ってもいいかもな。
「他には何か持ってないかな……?」
俺は、倒れている男たちの所持品を漁った。布の背負い袋の中から、干し肉、水筒などを見つける。あと、懐の財布には銅貨が20枚くらい入っていた。もちろん戦利品としてもらっておく。銅貨1枚にいくらの価値があるかは分からないが、持っておいて損はないだろう。
「さて、行くか……」
男たちから奪った所持品には『火打石』もあった。これで、火を起こせるし水も食料もある。いざとなったら、野営ができそうだが。あまりこの森の中に長居をしたくない。
俺は、盗賊の男たちに初めて出会った場所まで戻ると、男たちが向かおうとしていた方角とは逆の方向に向かって歩き出した。
彼らは、逃亡中だと言っていた。ならば、彼らが来た先に人里がある可能性が高い。俺の異世界生活に少し希望の光が見えたような気がした。
日が暮れないうちに急がねば!