【第7話】実はアセトアミノフェンの作用機序は、まだはっきりとは分かっていないらしい
「セリ、今日はスズシロがいないから、アタシと一緒に寝るかい?」
え? ホントに? 団長、セリと一緒に寝てくれるの?
でもどうしよう、セリね……セリはたぶん、団長と一緒のおふとんに入ったりしたらキンチョーしてきっと朝まで寝れないと思うの。
それで、朝ねぼうしてね、バレちゃってね、そんで兄さまにお仕置きされるの。
「朝まで寝れないんじゃなかったのかい? ふふ、かわいいやつだねぇセリ。
せっかくスズシロがいないんだ、聞きたいことがあれば何でも聞いておくれ。
スズシロじゃあ答えられないことでもアタシなら教えられるかもしれないよ……?」
じゃあ、じゃあセリは……セリはね……。
*********
「あ、セリちゃん。目が覚めた?」
清涼感のあるほのかに甘い花の香り。
ひんやりと涼しい風になでられたような爽やかな心地。
セリはとても穏やかな気分で目が覚めた。
とっても幸せな夢を見ていた気がしたのだけれど、余韻だけがわずかに残る程度で、何も思い出せなかった。
「ごめんね、いきなり知らない人がいたらびっくりするよね。
私はカロナ。一応エヌセッズの補助メンバーみたいなもんで、ボスから留守番と手当てをお願いされてここにいるってわけ。
怪しいものじゃないわ。
ちなみにレキサくんとロフェちゃんは近所に遊びに行ってるし、ボスと白い子はギルドに出ているわ」
カロナと名乗った女性は、落ち着いた低めの声でセリに向かって微笑んだ。
きれいなひと……。
寝起きでぼんやりしたまま、セリはカロナを眺めた。
「ちょっとこのまま寝ててくれる?
動かない状態で、どれくらいの出力で痛みが抑えられるかちょっと確認させてね?
どうかな? これくらいにすると痛い?」
直接は触れずに、少し離れた位置から手をかざし、カロナは痛みの強さを確認する。
カロナの手から、ひんやりと心地の良い風が吹いてくるような感覚をセリは感じていた。
すっきりと目が覚めてくる。
「あー……、痛んでいる場所が分かるくらいには感じます。でも我慢できるくらいです」
「ありがとう、500くらいで維持してみようかしら。痛かったら教えてね。
じゃあ、さっそくだけどボスからいろいろミッションをもらっててね」
「あの、ボスって誰ですか?」
セリの質問に、カロナは説明不足でごめんなさいねと苦笑して答えた。
「あいつよあいつ。ボル公よ、ボルター。
ほらでもあいつ、仮にも一応ここでのギルドマスターでしょう?
あんまりひどい口の利き方しない方がいいと思って、自制のために敢・え・て! 意識してボス呼びにしてるの。不本意だけどね。
私ここだとちょっとアウェイだし……ほら、ボスって呼んでれば、敬ってる体裁が整うし、暴言も自然と出にくくなる気がするしね」
ボルターとは旧知の仲のようだ。
ボル公なんて呼びあえるくらい気心が知れた関係らしい。
ここでは猫を被ることに決めてるから、よろしくね、とカロナは大人の女性らしく上品に微笑んだ。
「さてと、まずは男たちも留守なわけだし、体を拭いてさっぱりしましょう。
それから傷口の確認して、薬を塗ったら、体慣らしに外へお出かけよ。
あんまり寝てばかりいると、今度は体力が落ちちゃって回復が遅れるから、徐々に動いていきましょうね。安心して? 痛みのサポートは万全よ」
そう言ってカロナはてきぱきとお湯やタオルを用意して、セリの清拭を手伝ってくれた。
動きによって強くなる痛みにも、カロナはすぐに対応してくれるので、セリはほとんど痛みを感じずに済んだ。
「やだ! 大変!」
突然カロナが声をあげた。
「この軟膏薬、人気殺到で流通が規制されてるヘパリナード社のじゃない!
どうやって手に入れたのかしら! セリちゃん、もし傷が早く治ってこの軟膏余ったら私にちょっと分けてもらってもいい!? っていうか買うから! ぜひ買い取らせて頂戴。なんなら2割増しでもいいわ」
「え? あ、はい。たぶん絶対余ると思います。なんかボルターがいっぱい買ったって言ってましたから」
答えてから、そういえばその治療にかかった費用は全部、後々自分がボルターに返済しなければなからなかったという事実を思い出す。
早く怪我を治して、全部カロナさんに買い取ってもらえば返済の足しになるかな。
それとももうさっさと早めに買い取ってもらった方がいいのかも。
返済計画のプランをセリが考えている間、カロナはセリの傷口に薬を塗りながら、ずっとその軟膏の効果がどれほどすごいのかというレクチャーを続けていた。
もともとは痛みを伴う炎症性患部の治療や、皮膚のバリア機能の改善などの名目で、負傷したハンターたちの間で使用されていた薬だったらしいのだが、どこぞのマダムが美容液代わりに使用したところ、肌が若返ったと吹聴したことで、今や売り切れ必須、正規のルートでは手に入らない有様なんだとか。
話に夢中になっているように見えて、カロナは手当ての出力を絶妙にコントロールしながらセリの傷口の状況を確認していた。
話の腰を折らないタイミングを見計らって、セリはカロナに尋ねた。
「あの、私、寄生型モンスターにへばりつかれたんです。
全部剥がしたって言われたんですけど、もしかして、小さな断片とかが残ってて、それがだんだん成長して、いつか乗っ取られたりすることもあるんでしょうか」
もしレキサとロフェと自分しかいない状況で最悪の事態が起きてしまったら、自分を殺してでも止めなくちゃいけない。
でも、夢の時みたいに、抗えないほどの強さで自分の意識を侵食されたら――、
最悪の事態を想像してしまい、無意識にセリは唇を強く噛んだ。
「うーん、残っていれば確かにそういう心配もあるけど。
でも徹底的に隅々まで調べたから大丈夫だって言ってたわよ」
そっか、徹底的に隅々まで調べたから……。
――って誰が?
一瞬安心しかけたように見えたセリがぎょっとして振り向いたので、カロナは驚いて手当ての出力を思わず止めてしまった。
「誰が『徹底的に隅々まで確認した』って言ったんですか?」
カロナは気まずそうにセリから視線をそらし、人差し指を上に向けたまま、しばらく宙を見上げ、そのあと角度を変えてさらに宙を見上げ――、
「そうそう、白い毛玉さん! あの子がね、まったく残っていないワン。もう心配ないワンって言ってたってボル公が私に言ったのよ」
いや、ナックは絶対語尾にワンなんて付けないし。嘘すぎる。
「まあ、とにかく大丈夫よ。あの男は希望的観測なんかで適当なことを言ったりしないから。
あれが大丈夫って言ってるなら大丈夫なのよ、安心して」
いいように丸め込まれてしまいながら、セリは服を着させてもらい、髪もついでに結ってもらう。
すごくたまに、団長が髪の毛を梳かしてくれたことがあったなあ。
その日は一日がとても幸せで、どんなに大変な稽古があってもがんばれたっけ。
セリは目を閉じて、在りし日を想い起こす。
「すごく長い髪ね。
私、残念だけどこういう女子的なことは器用じゃないから、凝った髪型とか結んであげられないのだけれど。伸ばしてるの? 何かの願掛け?」
高い位置で髪を一つに束ねてもらいながら、セリは美しく舞うナナクサの後ろ姿を思い出した。
鈴の音が響く――。
「はい。憧れてる人に近づけるように。
同じ長さになるまで伸ばすんです」
*********
町に出てみると、何故かいつもより人が忙しなかった。
妙にそわそわしているというか、浮き足立っている。
町を歩き回る人の数もいつもより多い。
「動いてみてどう? 痛む?」
人の流れからさりげなくセリをかばいながら、手当てを続行しつつ、カロナが尋ねる。
「痛みはないです。動くと引きつるような違和感があるくらい。
それより、なんでこんなにガヤガヤしてるんでしょうね」
「ああ、そのことね。えーっと、あ、あったあった。これ見て」
カロナが店の壁に貼られたポスターを発見し、セリに見せた。
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失われた記憶を探しにクエストしよう!
奇跡のパワースポット! ~ガランタの泉ツアー~
お一人様 参加費
昼の部 ランチ付き 350y
夜の部 ディナー付き 500y
体験者の声
■幼い頃に生き別れた兄さんの姿を目に焼き付けることができました。
この日のことは一生忘れません。(◯町 Sさん)
■反抗期の息子が産まれた日を見てきました。
無事に産まれてきてくれた奇跡を思い出すことができました。
息子ともう一度話し合おうと思います。
ありがとうございます。(×村 Bさん)
※森にはモンスターが出現します。
森への侵入は立派なクエストです。
クエスト保険のご加入については下記のギルドにお問い合わせください。
■あなたの身近なパートナー エヌセッズ
■いつでもあなたを守ります ピーピーアイ
■武器の強化お任せください ラクタム&エヌキュー
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「…………なんですか、これ」
ガランタの泉、という名前かどうかは知らないが、おそらく今セリが借金地獄に陥ってしまったきっかけの場所のことを指しているとしか思えない。
「ボル……ボスがね、町の総力を挙げてこの観光事業を推進しようって言い出したらしいの。
数日で一気に本格稼働までたたみかけたみたい。
ただ、もともとこの町って平和だから、どこのギルドも全体的に人手不足でね。
それで急遽、他の町にいるメンバーにも招集がかけられて続々集まってきてるのよ、私みたいにね」
宣伝の効果で観光客が増加、宿は繁盛、相乗的に市場も繁盛、治安関係の強化でギルドも繁盛の、町が始まって以来の繁盛三昧らしい。
町が活性化している噂を聞きつけて、行商も徐々に町に姿を見せ始め、町ではリゾート宿泊施設の建設計画も始まったとか始まらないとか。
説明を聞いてもセリはほとんど理解できなかったが、自分がナックに連れていってもらった泉の存在が、とんでもない経済効果を産んだらしいことだけはわかった。
「あ! セリリ~ン!」
通りの向こうからレヴァーミが大きく手を振りながら駆けてきた。
横にいるカロナの姿を見て、珍しく瞳の色が分かるくらい目を開いて立ち止まる。
「と、カロナ姐さんじゃあないですか。姐さんもボルターに呼ばれたんですか~?」
「あんた本当にどこにでもいるのね。実は三つ子か四つ子だったりしない?」
カロナが若干おののいた表情でレヴァーミを見つめている。
「そんなわけないですよ~もう~。それよりセリリン大怪我したんだって? もう動いて大丈夫なの?」
カロナと冗談をかわしてから、レヴァーミがセリのことを気遣う。
「カロナさんがずっと手当てしてくれてるから、動いてても結構平気だよ」
「そっか、カロナ姐さんは大ベテランだから任せて安心だよ~!
どこかの誰かみたいに手当ての出力が強すぎて胃が痛くなったりしないから。お値段も良心的だしね~」
「大ベテランとか言わないでくれる? 遠回しに私が年増って言いたいわけ?」
声のトーンが下がったカロナに対し、なぜかレヴァーミは嬉しそうに笑いながら弁解する。
「やだな~そんなわけないじゃないですか~被害妄想ですよ~。あ、そうそうベテランと言えばこの件とは全然関係なくインディもきてますよ」
「げ! 最悪。私がいること黙っててよね。
なんなのよ。私のいないところをさすらってなさいよね……」
きっとすぐバレますよ~とレヴァーミが肩をすくめた。
レヴァーミとカロナが、慣れた距離感で親しげに話しているのを見て、セリは思わず呟いた。
「……私も」
「ん?」
小さなつぶやきに二人が反応する。
「……私も、カロナさんのこと、……姉さまって呼んでも、いい……ですか?」
妙に艶っぽく恥じらいながら、上目遣いに見上げられ、カロナもレヴァーミも思わず生唾を飲み込んだ。
「――は! ももももちろん、好きなように呼んでいいのよセリちゃん」
息が止まりかけ、慌てて呼吸を思い出したカロナが、動揺しながらも返事をした。
「ホント? じゃあ……カロナ姉さま?」
珍しいものを見るように、レヴァーミが顔を抑えて悶絶しかけているカロナに声をかける。
「あれ~? カロナ姉さま大丈夫~? 悶えてるけど~」
「あんた姉さまって呼ぶんじゃないわよ! 耳が腐る!!」
「ひどいな~」
カロナは何故か動悸が止まらない胸を押さえながら、ちらりとセリをみた。
ヤバイわ、落ち着いて、落ち着くのよカロナ。
今ちょっと一瞬で私の女性ホルモンが最大出力で分泌されたことに動揺しているだけよ。
決してなにか雄的なものが目覚めたとか、そんなんじゃないわ!
かわいい妹に対しての保護欲よ!
「……セリちゃん、このあと、お洋服とか見に行きましょうか、姉さまが選んであげる」
「カロナ姐さん、声と顔が変ですよ。若干気持ち悪いです~」
「あんた黙りなさい粘液!」
「あーもー、みんなで僕のことそうやって呼ぶんだからー!」
ふてくされて、そっぽを向いたレヴァーミは、通りの向こうに知った顔を見つけて声を上げた。
「あれ、ボルターじゃない?」
レヴァーミが指さした方向をセリも見ると、数人の男性たちと書類を見ながら足早に歩いていくボルターの姿が見えた。
ボルターの後ろには大きなナックが付き添っているのでとてもよく目立っていた。
――心なしかナックがさらに大きくなっているような気がする!?
セリは目をすがめてよく見てみた。
最近忙しくてナックの大きさを確認していないが、あんなサイズだっただろうか。
ボルターの腰の位置ほどの高さまであるナックの姿に、セリは呆然と立ちすくむ。
その間も、ボルターの周辺は忙しない。
ボルターが何か指示を出すと、二人の男性がすぐに走っていき、間もなく他からまた人が駆け寄り、ボルターから指示を仰いでどこかへ走っていく。
みんな表情が生き生きしていた。
ボルターも、セリが見たことのない真剣な表情をし、時折、男たちと楽しそうに笑っていた。
なんだろう。知らない人みたいだ。
セリはなんだか急に置いてきぼりにされてしまったような淋しさを感じた。
私がナックと見つけた泉なのに、私は仲間外れ……。
「声かけに行く? 動いても大丈夫になったよ~って」
レヴァーミがセリの袖をつまんで誘ったが、セリは浮かない表情でその場に立ち止まっていた。
「……やめとく。なんかすごく忙しそうだし、邪魔しちゃ悪いから」
セリは自分でも、どうしてこんなに淋しいのかよく分からないまま、ボルターのいる方向とは反対の向きに歩き始めた。
淋しいのは、泉に一人で行けなくなったからだ。
団長や兄さまのことは秘密にしなくちゃいけないから、観光客と混ざって泉に行くなんてできない。
団長や兄さまに会いたいけど、会えない。
我慢しなくちゃいけない。
それが淋しいから、ボルターとナックが忙しくしてるのを見て淋しいって思うんだ。
胸が苦しいのも、ざわざわするのも、独りぼっちな気がするのも、きっとそのせい。
独りで淋しいことなんて、慣れてる。
大丈夫。こんな気持ち、きっとすぐ、なくなる。
セリはそう、自分に言い聞かせた。