【第5話】しばらくシリアスな展開が続きます②
「オルレアを連れて逃げてくれ!」
「いや! あなたも一緒に逃げて!」
「だめだ! 俺はあいつらをなんとかするから! 頼む! 無事に逃げてくれ!」
二十歳前後だろうか。二人の男女が叫んでいる。
女性は、まだ幼い子供を抱きかかえていた。
二人は夫婦と思われた。
喧騒。
悲鳴。
破壊。
そこは、侵略が奏でる音色で蹂躙された小さな村だった。
泣きながら走る女性。
女性を追いかけようとする男たちは野党だろうか。
野党たちの行く手を遮り、夫が長剣を手に立ち向かっていく。
しかし奮闘するも、あと残り二人を仕留めること叶わずに絶命する。
夫の断末魔が耳に届き、若い女性は嗚咽を必死でこらえながら、村の裏手にある山道を息の続く限り駆け上がっていく。
「いい? オルレア。ここに隠れていなさい。絶対に何があっても声を出しちゃダメよ。お母さんに何かあったら、悪い人につかまらないように隠れながら逃げなさい」
茂みの中に娘の身を隠すと、女性は追いかけてきた男二人に小剣を抜いて果敢に挑みかかった。
その小剣は片方の男の胸を貫くことに成功したが、剣を引き抜くことが間に合わず、もう一人の男に無残にも斬り棄てられた。
女性の倒れた地面から、血が大きく広がっていく。
「なんだよ、女かよ。思わず斬っちまったじゃねえか、もったいねえな。生かしてりゃいろいろと便利だったのによ」
そういって倒れた女性を足で乱暴にひっくり返しながら男が毒づく。
少女は茂みの蔭で、必死で声を出さないように、自分の手を強く噛みながら耐えている。
「ガキがいたよな」
男は目に歪んだ愉悦の光を宿し、茂みの方に近づく。
容赦なく凪ぎ払われた剣に、茂みは無惨にも大幅に刈り取られ、少女が隠れる場所はもう残っていなかった。
「やっぱり女か! 運がいいぜ、あの女のガキなら高く売れそうだな!」
少女の髪を乱暴につかみ、引きずりだす。
「おい、なんだよ。泣くとか叫ぶとかしねえのかよ」
男が少女を殴り飛ばすが、少女はされるがまま倒れ、ピクリとも動かない。
「助けてくださいとか、許してくださいとか、言ったらどうだ!」
執拗に少女を蹴り続ける男に、その状況に似つかわしくない、艶のある声が響いた。
「ひどい男だねえ……」
それは低く、掠れた、鼻にかかった声だったが、その場の空気を圧倒するような力のある声だった。
男が驚いて振り向くと、装飾品がじゃらりと鳴るほど身につけた派手な踊り子が立っていた。
「あんた達が暴れたお陰で、こちとらようやく稼げる村に着いたっていうのに、これじゃあ客が一人もいないじゃないのさ」
「旅芸人か。いい女だな。俺が買ってやろうか?」
男は少女を踏みつけたまま、下品な笑みを浮かべ、値踏みするように踊り子を見た。
「アタシもあんたみたいな悪党が大好きさ。見ていくかい? アタシの踊り」
男の返事も待たず、きらびやかな細工が施された曲刀を抜くと、踊り子は鮮やかな舞いを披露する。
楽器もないのにリズムが聴こえる。
少女は思わず、踊り子の方へ視線を向けた。
踊り子の身にまとった飾りの一つ一つが、舞に合わせて旋律を生み出している。
何重にも巻いた首飾りが重なり、弾きあう音。
手首、足首に巻かれた鈴の響き。
踊り子が音を操っているのか、音が踊り子を操っているのか。
幻想的ともいえるその姿に。
少女の目は、耳は、踊り子に魅了された。
その時だけは、倒れている母の姿も見えなくなった。
男の首が、鈍い音をたてて落ちてくるまで――。
踊り子は刀の血を拭き取りつつ、少女に声をかけた。
「災難だったね、アンタ。この村はもうおしまいさ。
どうだい? アンタが良ければアタシらと一緒に来るかい?
アタシらキャラバンはこの通り、女はキレイな衣装や化粧で着飾って、踊って金を稼ぐんだ。
馬鹿な男達をたぶらかして金をしこたま踏んだくってやんのさ。
どうだい? おもしろそうだろう?」
そういって踊り子は、屈託のない、それでいて魅惑的な笑顔を少女に向けた。
――――!! 団長!!
この世界で、ようやくセリが自分の意識を自覚した瞬間。
不意にセリは体が無理矢理体を後ろに引っ張られるのを感じた。
世界が急激に離れていく。セリは叫んだ。
待って! まだここにいさせて!
やっと団長に会えたのに!
叫んだ瞬間、一気に胸が苦しくなった。
ゴボリ、と水の音が聞こえた。
息ができない。
自分の悲鳴が、頭の中で反響する。
このままずっとあそこにいさせて。お願い。連れ戻さないで!
強い光が視界を覆う。
体に何かの負荷がかかり、思わず咳き込むとセリは大量の水を吐き出した。
全身が酸素を求めて喘ぐ。
呼吸がようやく落ち着くと、セリは自分の体を無数の枝が巻きついているのを感じた。
しりもちをついた体勢の自分のことを、ナックが抱きしめるように角を張り巡らせて覆っている。
ずぶ濡れの自分の姿と、呼吸が困難なほど飲み込んでしまった水。
目の前には、神秘的な光を湛える泉。
「私、もしかして溺れたの?」
まだはっきりしない頭でセリは状況を整理する。
ナックが助けてくれたようだ。
泉をのぞきこんだ後で見せられたさっきの映像。
あれは、まだ幼い日の自分が体験した記憶なのだろう。
「ナック、あれは記憶を映す泉なの?」
何一つ覚えていなかった本当の両親の姿と、名前も知らない、生まれ故郷の惨劇。
目を閉じると、生々しくよみがえってくる。
母の腕の中で、母の走る振動を感じながら、泣くのをこらえていた自分。
父の叫びが聞こえた瞬間、苦しいくらいに強く自分を抱きしめた母の腕の力の強さ。
セリはまだ激しく動悸している胸を落ち着けるように、静かにナックへ語りだした。
「……ナック、聞いてくれる?
私ね、物心ついたときにはもうキャラバンにいてね、そこって親に売られたり捨てられた子供もたくさんいたから、私もきっとそうなんだろうなって思ってたんだ」
キャラバンの同世代の子供たちの嫉妬や嫌がらせもあって、そう思い込まされていた部分もあるのかもしれない。
成長してから振り返ってみると、嫌がらせを受ける心当たりはいくつもあった。
「団長は、私の両親は殺されて、私の本当の名前はオルレアっていうんだよって、一度だけ教えてくれたことがあったの。
でもなんか実感がわかなくて……でも、本当だったんだね。…………なんかね、ナック。
こんなこと言うのは変なことかもしれないんだけど……」
セリは胸が苦しくなって、一度大きく深呼吸をした。
気持ちがあふれて息が止まりそうだった。
(――キャラバンのことは誰にも話すな。)
そう団長と約束していた。
ナックなら、いいよね。
誰にもばらしたりしないもの。
「命をかけてお父さんとお母さんが私を助けようとしてくれたことが…………捨てられたり、売られたんじゃないって分かって…………なんだろう。
親が死んじゃってるのに、悲しいより嬉しいなんて思うのは、変なことなのかな?
でも、どうしよう。いらない子じゃなかった。捨てられたんじゃなかった。
ちゃんと大事に思ってもらってた……っ。
独りぼっちじゃなかったって……っ、うれしいよう。ナック。私、今すごくかなしいけどうれしいよう」
熱い涙があふれてくる。ナックを抱きしめて、セリは大声で泣いた。
ナックの思念が伝わってくる。
セリが溜め込んでいるものに、ずっと気づいていたこと。
『歪み』に飲み込まれてしまわないように、ここに連れてきたということ。
『歪み』に飲み込まれると、どうなってしまうのか――、
ざわりと異様な気配がして、セリはナックから体を離した。
飲まれた者が来た。
ナックがそう教えてくれた。
クイタイ。
――ニゲテ。
クイタイ。
――コロシテ。
首後ろを中心に、ボコボコと大きな瘤が癒着した人間が茂みからぬらりと現れる。
上半身を複数の球状の瘤で覆われている。
完全に姿が現れると、その手足は異様に曲がり、裂け、上半身だけかろうじて人間の姿をとどめているといっていい状態だった。
「だ、大丈夫、ですか? それ……」
思わず声をかけたが、人間だったその目はすでに光を失っている。
――ニゲテ
クイタイ
――コロシテ
「ねぇナック。この聞こえてくるのってあの人の心の声なの?」
ナックから肯定の気配と、歪みに飲まれ、森の住人に寄生された人間の末路だと知らされる。
「スタフィローム? それがあのボコボコの名前? あの人はもう助からないの?」
頭の中まで侵食されており手遅れだと、無慈悲な回答が伝わってくる。
ナックが送りつけてくる情報に混線して、自己が消失していく恐怖、少女を懸命に逃がそうと抵抗する苦しさ、餌を咀嚼し、吸収していく悦楽、すべてが混濁しセリの頭の中で共鳴する。
あまりの気分の悪さにセリは吐き気が込み上げてきた。
今さっき経験した、故郷での光景が重なる。
一方的に侵略され、殺されていく恐怖。
無抵抗な弱者を弄り、虐げ、滅ぼしていく快感。
不条理に対する、燃えるような怒り。
――ああ、本当にこれはキツイ。
「……ひどいね、嫌になる……」
誰に言うでもなくセリは低い声でつぶやいた。
手には短剣。無意識で持ってきてしまったインディの剣だ。
長さも足りない。優美なカーブも装飾もない。
技量も、団長には遠く及ばない。
だけど――、
「葬送……円舞」
演目を発し、刀礼をして、構える。
みんな適材適所がある。
レヴァーミの言葉が浮かんだ。
私の適材適所は――、
指の先、爪の先まで神経を集中しながら、セリは身体の隅々まで慣れ親しんだ動きを再現する。
踊りで夢を見せながら――その隙に、その魂を肉体から別つこと!
一拍で全体重をつま先に乗せ、強く跳躍。
相手の視線は自分の視線で強く捕らえて。
舐めるように、首筋を。
口づけるように、鎖骨下を。
撫で上げるように、左脇腹を。
的確に急所を斬り、貫き、黙祷の舞と礼で剣を納めると、セリの頭の中に響く混濁した思念が一つ、静かに沈黙した。
移動舞踊集団ナナクサ。
その集団の中でも、さらに秘匿されたごく一部の人間だけで、卓越した舞踊によって組織の中枢にまで入り込み、要人暗殺を請け負う練達を構成していた。
手練手管で相手を魅了し、死の間際まで夢見心地にさせたまま、死んだことすら気づかせない『昇天技巧』を代々受け継ぐ、秘められた踊り子たち。
セリも、そこの人間だった。
つい一月ほど前までは。
「あとは、あんただけだね」
セリは短剣の血を払って、宿主が死んだ後も寄生を続けるスタフィロームに向き合った。
兄さま、セリの今の舞は何点でしたか?
待っても返事はない。
酔いを帯びたような妖しい光を瞳に宿し、セリはわずかに口角をあげて詠うように語りかけた。
「ねえ、私の一番得意な踊り、見せてあげようか。
私のお父さんとお母さんを殺したヤツの代わりに見て逝ってよ。
あんた似てるよ、とっても……。
抵抗できない弱いものをいたぶって苦しめて悦んでるようなその腐った考え方とかがさあ……ね?
いいよね?」
怨讐乱舞。
ささやくように告げ、刀礼なしで跳ぶ。
さっきの舞とは全く正反対の荒々しい変則の律動で、スタフィロームの胴体を刻んでいく。
怨讐乱舞――別名、なぶりの舞。
意図的に致命傷を与えず、少しずつ痛めつけ、苦しめ、弱らせる。
悔恨や懺悔、後悔を口にするまで責め立てるときに使う拷問用の舞。
ヒト相手でしかやったことないから、モンスターに効いてるのかさっぱり分からないけど。
多少の手ごたえは感じるが、着実に弱っているのかは見極められない。
弱点も分からないので、完全に持久戦だった。
なんとなく目立つので急所かと狙った首の大きな瘤は、斬った途端二つに分裂して、それぞれ左右の肩へ別れて行った。
独立して動いている様子が気味悪い。
相手はどんどんグロテスクな有様になっていき、一方のこちら側は押され気味だ。
刻んだ割には、あまり効いていない。
精神的な劣勢感が、気力を削ぎ、セリの動きも徐々に鈍くなってくる。
ナックが角を伸ばし、防御や応戦してくれていることで、なんとかセリも致命傷を避けられていた。
だいたい、この剣のリーチが短すぎるんだよ!!
しびれを切らし、セリは自分の実力不足を棚に上げ、武器のせいにした。
急所が分からないからとどめもさせない。
リーチが短いから、迂闊に近づきすぎると返り討ちだ。
参ったな、団長だったらこういう時、何を舞うんだろう。
兄さまにもっとレパートリーを教わっておくんだった。
ナックが全く別の方向を威嚇する。
とっさに振り向いたが間に合わなかった。
セリが斬り刻んだスタフィロームの断片が、分離しセリの肩口に飛びついたのだ。
しまった!
じわりとセリの肩に何かが染み込んでいく。
「あああああぁ……っ!!」
灼ける激痛にセリは思わず絶叫した。痛みに短剣を取り落とす。
痛みが刺すように、奥に奥にと入り込んでいく。
痛みが頂点に達し、セリの意識は限界を迎えた。
視界が暗くなる。
名前を呼ばれた。
セリと呼ばれたのか、オルレアと呼ばれたのかはもう判断がつかなかった。
ただ、よく知っている声だったように思えた。
団長?
兄さま?
どっちでもいい。
助けて。
すごく、すごく痛いよう。助けて。
たすけて……!