【第4話】しばらくシリアスな展開が続きます①
セリはまだ水時計の水が夜を示す漆黒なうちから起き出し、ランタンの明かりを頼りに洗濯を済ませてしまう。
洗濯が終わり、干し始めるころには夜が明ける。
洗濯は乾燥とたたみまで完了して報酬は20yだ。
干し終わったら朝食の準備と同時に、お昼に食べるサンドイッチまで仕込んでしまう。
ちなみに昼食の準備は子供たちの分だけでなく、ボルターの分も含まなくては報酬が出ない。
食事の支度は1食分で10y、3食すべてセリが作ればセットボーナスで50yになる。
家賃30y、食費20yがセリがボルターに支払う出費になるので、3食作れば相殺できる。
あとは働くだけセリの収入、貯金になる。
――と、いうのが親切なインディの考えてくれた収支計画だ。
セリがレヴァーミと森にいたころに、ボルターと話し合っていてくれたらしく、セリが納得すればこの金額で採用というところまで話を詰めてくれていた。
ボルターは面白くなさそうだったが、セリが一も二もなく了承したので、今のところは文句は言っていない。
このまま貯金が貯まったらこの町を出よう。
とはいっても物心ついた時からキャラバンで生活していたセリにとって、一人でどう生活していくのか、お金がどれくらい必要なのか、そういうことを具体的に想像することは難しかった。
朝ごはんをテーブルに並べているとボルター、レキサの順に起きてくる。
ロフェは起こさないと絶対に起きない。
そして寝起きがすこぶる悪い。
しかし、最近はファージの子供(ロフェの主張により、ナックと名付けられた)をぬいぐるみ代わりにして眠りにつくようになったことで劇的な変化が起きた。
ナックが起きると一緒に目を覚ましてくれるようになったのだ。
それまでは無理に起こすと嵐のような惨状だったので、セリはナックにこっそり感謝していた。
ボルターは壁に貼っているセリの家事チェック表に一瞬だけ顔を向けたが、何も言わずに席につく。
今日の家賃分がすでにクリアしているので、セリは機嫌よくボルターにお茶を入れてあげた。
ん、とだけ返し、ボルターがお茶に口をつける。
お礼がなくてもセリは別に気にしなかった。
今日はとっても天気が良くなりそうな空だったし、洗濯物も早く乾きそうだった。
今日頼まれている買い物は、実は特売で売っている店を見つけていたので、いつもよりセリの取り分であるおつりが多めに手に入る予定だった。
今日はいいことありそう……。
セリは自然に鼻歌を歌いながら、ナックに餌(森で狩られた謎の生き物)を用意してあげた。
ナックの世話代でボルターに払う代金は5y。
このお金はギルトの新人に修行もかねて餌を狩りに行かせているらしいので、その謝礼分になると聞いた。
食事の片付けが終わると、次にセリはお散歩ついでにレキサとロフェを連れて買い物に行く。
食料の買い出しだったり、ボルターから頼まれたおつかいだったり、他のギルトのマスターへお手紙を届けたり、その日によって用事は様々だ。
そしてロフェをいっぱい歩かせておくと疲れて昼寝をしてくれるので、後々のセリの心の平安のための保険として、市中引き回し散歩は必須の日課になりつつある。
買い物の途中で、手をつないで歩いていたレキサが急に歩みを止めた。
「どうしたの?」
セリが声をかけると、レキサが見つめているのは筆記具の店だった。
レキサはしばらくじっと見ていたが、何でもないよといってさみしそうに微笑み、先へ行こうとする。
「見たいのあるなら見ていこうよ。そんなに高いのじゃなきゃ私買ってあげるよ?」
「……いいのっ?」
ぱあっと、花が満開になったような笑顔でレキサが顔をあげた。
うっわ、かわいい……っ!
あまりの愛おしさにセリは思わず口元をおさえた。
どうしよう……! なんでも買ってあげたくなる……!
「……ずるい。にいにばっかりずるい。ろふぇもほしい!」
真っ赤な顔をしてロフェが震えている。
うっわ、やばい……っ!
破壊神降臨の前兆を予感し、セリは背筋に戦慄が走った。
これは買わないと大泣きコースだ。
「一人一個、10yまでね!」
自分で言い出した手前、引き下がれなかったセリは、今日の朝昼ごはんの収入分を放出することになってしまった。
レキサには便せん、ロフェには折り紙を買うことで、破壊神が降臨することなく無事に散歩兼おつかいを再開する。
次の目的地に行くまで、レキサが照れながらこっそり教えてくれた。
「お母さんにね、お手紙を書きたかったんだ。
セリ姉、このことお父さんにナイショにしてくれる?」
うるうると潤んだ目で見上げられ、セリは断ることなんてできなかった。
「いいよ、内緒ね」
ボルターがどうして奥さんと別れたのか、セリは聞いたこともないし、別に聞きたいとも思わない。
自分には、関係ないことだ。
だいたい口は悪いし、人使いは荒いし、冗談はイヤらしいし、嫌いな人は嫌いだよね、絶対。
まあ確かに、結構みんな頼りにしてるっぽいのは……ギルドのマスターなんだから当然なんでしょ?
だから強いのも当然だし、そんなの普通だし。ポイントなんて高くないし。
だからピンチになった時に助けてくれたのだって、きっとギルドのマスターなら当然で、ボルターじゃなくったってきっと助けに来てくれたと思うし……だから特別なことじゃない。
見かけによらずにふわふわ好きで、なんだかんだ言ってナックのことをこっそり構っていたりするところが、ちょっとかわいいところがあるなあなんて思ったりすることはあるけれど……。
そんでそれを見られてたのが分かると照れ隠しに機嫌悪くなったりするんだよね、あの人。
思わず、思い出し笑いがこぼれそうになった。
別にそんな、子供を捨ててまで別れなくても……そこまでして離れたくなるくらい、ひどい人じゃないと思うのに……。
どうしてせっかく家族がいるのに、わざわざ離れる選択をしちゃうんだろう。
「あ、あいつアイショウだ! 新しい若いアイショウだ!」
急に町の子供たちに指をさされ、セリは我に返った。
……アイショウ?
言葉の変換がうまくいかず、セリは頭をひねった。
「すっげえ若い女に手を出したんだってな、てめえの父ちゃん。うわ~不潔~! ふしだら~!」
「お姫様っ呼ばれてんだろ、そこの女。いい年して恥っずかしい~!」
騒いでいるのはレキサより少し年が上の少年たちだった。
会話の流れでセリはようやくさっきの言葉が変換できた。
ああ、愛妾って言ってたのか。
――って誰が誰の!?
身に覚えがなく、思わずレキサの顔を見ると下を向いて顔を真っ赤にして震えている。
「良かったなあ! 新しいママができて! 一緒にお風呂とか入ったりするんだろ~?」
少年たちが下品な笑い声をあげている。
「……セリ姉は……ママじゃない」
小さくつぶやいた言葉はセリの耳にだけ届いた。
一瞬、胸にトゲが刺さったような気がしたのは、きっと気のせいだ。
私は他人だ。ここは私の本当の居場所じゃない。
私の居場所は、もうどこにもなくなってしまったんだから……。
セリは一度大きくため息をついて、カバンをレキサに渡す。
やつあたりなのは自覚していた。
自分が本当の家族になれないのなんて知ってる。
ただ、こんなふざけたガキたちに茶化されながら、見ないようにしていたことを直視させられて――。
せっかく楽しく過ごしていた時間を壊されて――。
ちょっと、ムカついた。
予備動作なしで一気にダッシュをかけると、反応しきれず無防備な五人の少年たちの中に突っ込む。
突っ込んだ勢いを利用し、相手の首に腕をかける。
回転を利用し、全員を転がして地面に思いっきりたたきつけた。
5秒くらいで片がつく。
遅い、と言われてしまうだろうか。
考えて、やめた。
もう自分にそんなことを言ってくれる人はいないのだから。
セリは冷ややかな表情で少年たちを見下ろした。
「あのね、私はただの居候なの。お金が貯まったらすぐに出ていくの。
それとね、私の好きなタイプはキレイ系だから。ああゆうワイルド系のおっさんは好みじゃないから。よく覚えておきなさいね。
あとね、子供がいっちょ前に愛妾なんて言葉使うんじゃないの。使い慣れてない感が半端なくって、頭がかえって悪くみえるから。さかってないで家でお勉強でもしてなさい」
背中を強打し、息も満足にできずに起き上がれない少年たちをそのままにしてセリは戻った。
「さ、帰ろうか」
レキサからカバンを受け取り、セリは空を見上げた。
少し雲が出てきて、心なしか風にも湿気が帯びてきた気がする。
早く買い物を済ませて、洗濯物を取り込んだ方がよさそうだ。
******
お昼ごはんを食べ終わる頃には、雲の色はだいぶ黒くなり始めていた。
おかしいな、読みが外れちゃったな。まあ、洗濯は乾いたからいいけど。
セリはそんなことを考えつつ、夕飯の準備までの小休止を過ごしていた。
レキサは机で手紙を書き、ロフェはナックと遊んでいる。
ナックが来てからロフェの相手をしなくてよくなったので、劇的にセリの負担が減った。
「ナックに感謝だなあ」
思わず声に出すと、「セリ姉もだよ」とレキサがつぶやいた。
セリはレキサへ顏を向けたが、レキサは便せんに向き合ったまま、セリと視線を合わせずに言葉を続けた。
「セリ姉が来てから、お父さん……前より笑うようになったよ。
前より僕たちと遊んでくれるようになったし、お父さん……セリ姉が来てから優しくなったよ。
僕、セリ姉がいてくれて、良かったよ……だからずっと」
「レキサ」
セリは思わず遮ってしまった。
なんだか続きをこのまま聞いてはいけないような気がしたから。
「私はいつかは出ていかなくちゃ。ナックと同じなんだよ。
ナックだって、ケガが治ればおうちのある森に帰るんだよ?」
矢継ぎ早に言葉をつなぎながら、セリは考えていた。
私とナックは同じだろうか?
私の『家』はもうない。帰る場所も、もうない。
でも、私の『家』はここじゃない。
「やだ!」
ロフェが大声を出し、ナックを絞め殺しかねない勢いで抱きしめている。
「やだ! なっくはずっとろふぇといるんだもん! しぇりのばか! なっくはろふぇのだもん!」
「こら! ナックが死んじゃうでしょ!」
さすがにセリは立ち上がってロフェからナックを救出しようとする。
ナックの角が触手のように伸び、若干けいれんしているのは、きっと苦しんでいるのかもしれない。
鳴き声を上げてくれれば、ロフェだってもうちょっと手加減するだろうに。
ファージという種族は、鳴き声を持たない生き物なのかもしれない。
ちょっとその辺は厄介なポイントだった。
セリとロフェがナックの争奪戦をしながら騒いでいる間、レキサはずっと便せんを一点に見つめ、黙っていた。
*****
「なあ、俺……この後ちょっと店で飲んできていいか?」
夕食を早々に平らげ、ボルターが声をかけてきた。
声をかけてくるときの距離が近すぎる気がするのは、もういちいち過剰に反応しないことにした。
たとえ、意味もなく壁に追い詰められて、退路を塞ぐような体勢で詰め寄られているとしても、だ。
その方が結果的にボルターも必要以上に攻めてこないことが分かった。
「別にいいけど。帰り遅いの?」
「わかんねえ、寝かしつけ頼むわ」
頼むわと言われても、それはもうほぼセリの日課である。
ボルターは家にいても寝かしつけはほとんどしない。
セリが子供たちに絵本を読んでいる隣の部屋で、何か読んでいるか、何か飲んでいるだけだ。
いつもとなにも変わらない。
「別に一晩くらい帰って来なくてもいいよ。その方が静かだし」
「お前……お世辞でもいいから『淋しいから早く帰ってきてね♡』とか言えねえのかよ」
いつもとなにも変わらない。
そうタカをくくっていたのが間違いだった。
夜になると雷が鳴りだし、ロフェが大・大・大興奮状態になってしまった。
ロフェは雷が嫌いだったのだ。
泣く、喚く、叫ぶ、暴れる。
絵本を読んでも、子守唄を歌っても音量勝負で勝てるわけもなく、ロフェの耳には入らない。
やばい、やばいぞ。ここまま力尽きるまで泣かせるか? というより力尽きるのか?
次第にロフェの焦点は雷ではなく、ボルターがいないことにシフトしていった。
雷とか嵐とか、大きな物音がする日の夜はボルターと一緒に寝ると安心してすぐに眠れるらしい、というのが騒音の中、レキサから入手した情報である。
だが、今日に限ってボルターは隣の部屋にいない。
「おとーしゃんがいい! おとーしゃんじゃなきゃヤダ!」
長時間放出され続ける超音波級の甲高いかんしゃく声に、セリはだんだん頭痛がしてきた。
目の前にいる荒ぶる女神のご機嫌を取ることより、外の風神雷神を仕留めた方が楽かもしれない。
まだインディさんの剣もあるし、広域魔法のキノロンって神様にも効くんだろうか。
セリは壊れ始めた頭で、本気で外に戦いを挑もうか検討し始めた。
超音波で、いろいろ限界に来ていたのかもしれない。
「しぇりじゃヤダ! しぇりなんかきらい! おとーしゃんがいいいいいいいいいいいい!
しぇりなんかいらないいいいいぃいいいいい!!!」
ぷちんと、セリの中で何か切れた音がした。
「うるさい!」
自分が何かを叫んでいる気がする、とセリは思った。
「うるさいうるさいうるさい! あんたたちなんか全然いいじゃない! 私なんか……っ、私なんか……っ」
何かとんでもないことを口走りそうな予感がして、セリは部屋を飛び出した。
目から熱いものがとめどなくあふれてくる。
頭がぐちゃぐちゃになったまま、玄関を開け、セリは雷雨の中を走った。
私だって。
私だって。
会いたい人がいるのに。
いいじゃん、ロフェは一晩我慢すれば会えるんだから。
いいじゃん、レキサは手紙が出せるんだから。
私は。
私は!
もうみんなに会うことができないのに!!
セリは走り続けて、いつも間にか森の前まで来てしまった。
息が切れている。
こんなくらいで息が切れていたら、兄さまに怒られる。
怒られてもいい。
兄さま、団長、みんな……会いたいよう。
セリは半べそになりながら、何かに引き寄せられるように、森の中へ一歩、また一歩と進んでいく。
ふいに固い感触が手に巻きつき、セリは我に返った。
横にずぶぬれになったナックがいた。角が触手のように伸び、セリの手を絡め、引き留めている。
その角の感触は木の枝のように乾いていた。
「ナック。ロフェのこと、置いてきちゃったの? 私、またロフェに怒られちゃうね」
ナックは黒曜石のような瞳でセリをしばらく見上げると、セリが進もうとしていた方とは別の道へとセリの手を引っ張り始めた。
どこかに案内しようとしているのだ。
セリにはなんとなくナックの思っていることが分かった。
セリは息を飲んだ。
茂みを抜けた瞬間から別世界が広がる。
泡のような羽をもつ魚が、鳥のように空を飛んでいく。
発光する葉をもつ木々が音楽を奏でるかのように点滅している。
水の中にいるように、生き物がゆったりと泳ぐように空中を漂っている。
――祝福を受けると住人の領域に行けるようになるんだ。
レヴァーミの言葉が頭に浮かぶ。
これがもしかして祝福?
夢心地でセリは森の中を泳ぐように進んでいく。
横にはナックが寄り添っている。
いつの間にか濡れ鼠だったナックの毛は、真っ白でふわふわの状態に戻っていた。
自分の服も、濡れた感触が消えていた。
自分の周囲の空気が、どこか懐かしく、温かい。
溶けていきそうな感覚をセリは感じていた。
空気が変わり、ひらけた場所にたどり着いた。
ここが目的地だ、とナックが言っているような気がした。
仄かに、青白く鈍く光る泉がそこにあった。
静かだった。
雷鳴も、風の音も、水が湧き出る音も何も聞こえない。
すべてが、止まっているような空気。
セリは泉に近づきのぞきこんだ。
真っ赤に泣きはらした目をした自分の姿が一瞬だけ映り、水面はまばゆいほどの真っ白な光を放った。