【第3話】やつの苦さは口に入れてもわからない。感じたければ目から入れるのだ!
森の入り口で大きな袋を担いだ青年を見かけ、セリは声をかけた。
「あの、もしかして今から森に行ったりします?
私、これくらいの大きさで、ふわふわで頭に角のある、肉食っぽい生き物の子供の餌を探しに来たんですが、そういうのが狩れそうなポイントがあれば教えてもらえますか?」
青年は、しばらくセリのことを眺めてから優しく笑った。
「いいよ~、僕の仕事が終わったら手伝ってあげる。すぐに終わるからついてきてくれる?」
……感じのいい人だ。
そう直感し、セリはレヴァーミと名乗った青年の後について森に入った。
話を聞くと、セリと年もそこまで離れていなかったので、すぐに打ち解けることができた。
レヴァーミは迷うことなく、まっすぐ目的地へと向かっていく。
セリは嫌な予感を感じて、声をかけた。
「あ……そっちは行かない方が……」
その先は、たしかボルターが狩りまくったプロスターグの死骸が山になっている場所だ。
セリは強くなっていく異臭に思わずうめいて、袖で顔の下半分を隠した。
一方のレヴァーミは、悪臭の現場に到達したあとも、全く動じる様子もなく笑顔で振り向いた。
「これが僕の仕事だよ~。
実は町で急に胃痛の大量発生が起きてね~。調査依頼を受けたんだ~。
なんとなく大規模なプロスターグ狩りがあったんじゃないかな~なんて思ってエヌセッズに顔出したら、よりにもよって犯人ボルターだったんだけど~。あ、ボルターって知ってる?
あの人の後始末、誰もやりたがらないことで有名なんだよね~。だって一人でだよ?
一人で一晩暴れて狩り散らかしただけで僕はその片づけに一週間だよ?
桁が違いすぎるよね~。
や~、他の人に変わってもらいたかった~」
「ごめんなさい。私のせいです……」
まさかこんな大事になっているとは知らず、セリは経緯をレヴァーミに説明し、謝った。
確かに暴れたのはボルターだが、原因を作ったのはセリ自身だ。
異臭はまだかなり残っているが、汚染された範囲は格段に縮小されている。
黒いヘドロ地獄のような惨状だった場所が、多少汚れた森程度にまで回復していた。
自分が一週間もここの掃除をしろと言われたら――、
……無理だ。
セリは思わず首をふった。
「なんだ当事者だったんだ~。
ふーん、きみにいいカッコ見せようとして張り切っちゃったのかもね、あの人」
そんな冗談を言ってレヴァーミは笑っていたが、すぐにセリが上腹部に手を当て、さすっているのに気づいた。
「あ、狩りたてホヤホヤの臭気吸っちゃってたらツライよね~。ちょっと待ってて~」
青年は袋から白い光沢のある粉を出し、ネバネバの残骸に振りかけていく。
どす黒かった粘液は次第に色が変わり、透き通ったピンク色の粘液に変化する。
「何が起きたの?」
おそるおそるセリは尋ねた。
「プロスターグには何種類か型があってね~。無害ないい子に変化させたんだ~」
ピンク色の粘液が盛り上がって、手のひらに乗るほどの大きさのスライムがポコポコと生まれ出る。
「生き返った!?」
思わず身を引いたセリに、レヴァーミはおかしそうに説明する。
「いい子だから大丈夫。ここの浄化をしてくれるんだよ~」
そう言われてもなかなかセリの胃痛は治る気配がない。
「狩りの現場に居合わせちゃったんだもんね~、そりゃキツイよね~。ちょっとこっちに来て~。いい薬があるから~」
にこにこと手招きされ、レヴァーミの隣に言われるがままにしゃがみこむ。
「は~い口開けて~、上向いて~」
流れるような動作であごをすくいあげられる。
あっという間のできごとだった。
ただし衝撃的な映像は、当事者のセリにとってスローモーションのように流れていった。
レヴァーミが誕生したばかりのピンク色のスライムをピョイとつまむ。
それをセリの顔のちょうど上に持ち上げた。
そして――
CRUUUUUUUUUUUUSH!!!
握り潰した。
ぷきー、と聞こえた(ような気がした)のは、悲鳴だったのかもしれない。
しかし、それよりもセリにはべちゃっ、という音と共にずるりんと喉の奥に滑り落ちていく粘液の感触の方が圧倒的だった。
「ほおふえへえええぇえ――!!?」
「あ、ダメダメ。いい子だからちゃ~んとごっくんしようね~。はい上手~」
あごを上にホールドされたまま口をしっかりを押さえられてしまい、セリは窒息しかけ涙を流しながら飲み込むより他なかった。
のどごしの悪さと苦みと、謎の生き物を半殺しの状態で踊り食いした罪悪感と恐怖がカオスとなって混ざり合い、セリは心の中で激しく絶叫した。
這いつくばったまま呆然とするセリを全く気にぜず、レヴァーミは袋に残った粉をすべて撒き終え、さわやかな満面の笑みでセリを振り返った。
「よし、今日の仕事はこれでおしま~い。次はじゃあ君の仕事を片づけようか~」
***
たしかに胃痛は収まった。
お腹の中が守られているような不思議な安心感がある。
それが不気味と言えば不気味と言えなくもない。
あのピンクの子は、私が飲み込んだことを許してくれたってことでいいのかな?
セリはなんとなく習慣になりつつある上腹部をさする動作をしながら、自分にとって一番都合の良い解釈を選択することにした。
口の中にはまだ苦みのある粘液がまとわりついて不快極まりないが、体調がよくなったのでセリはいろいろとレヴァーミと情報交換をした。
インディが連れてきた獣は、たぶん【喰らうもの】の一種ではないかということや、 ボルターにプロスターグまみれにされたシーツは、レヴァーミが撒いていた粉を溶かした水に漬け込んで洗えばキレイになることなどの非常に有益な情報や、ボルターが森に入るなという理由も、レヴァーミが丁寧に説明してくれた。
「ここは地形が特殊でね、ひずみの森とかゆがみの森とか、迷いの森って呼ばれてるんだ。
この森の住人の祝福がないと、危険なところへ誘導されたり、森から出てこられなくなっちゃうんだよ~」
「レヴァーミは何かの祝福を持ってるの?」
「僕はほら~、さっき君が飲み込んだ子の祝福をもらってるんだよ~」
「………………食べたの?」
おそるおそる質問するセリにレヴァーミは笑いながら否定する。
「あはは、食べても祝福は得られないよ。ちょっと説明しづらいんだけど、こう……信頼関係が生まれると、キラキラが降り注ぐ感じ?
そうすると、祝福をくれた住人の領域に自由に行けるようになるんだ~」
手振りをつけながら、説明してくれるレヴァーミの表情からは、森への畏敬や親しみがあふれていた。
「ホントにすごい森だよ、ここは。な~んて僕もまだほとんど開拓できていないんだけどね~」
話もそこそこにレヴァーミが何かの気配に気づき、声を出さないよう指示をした。
「じゃあ狩りの時間だよ~。さて……それはそうと、そのセリリンの持ってる剣、何か魔法かかってる?」
一瞬、呼ばれたのが自分の名前か判断がつかずにセリは返答に時間を要した。
「あ、えーと、インディさんの剣を貸してもらったんだけど」
「へえ、インディの! じゃあ大丈夫かな? ちょっと見せてね~。
わ、さすが。広域魔法のキノロンだ。
んじゃ、僕が二、三匹捕まえてくるからセリリン、危ないからそこにいてね~」
レヴァーミは難なく小ぶりのモンスターをやっつけると、空になった袋の中に入れて担いだ。
「いや~、助かったよ~。女の子の前だから頑張ろうとは思ったけど、実は僕、戦闘スキルそんなに高くないからさ~。インディの剣があって良かったよ~」
謙遜してるのかなあと思いながら、セリは気になったことを質問する。
「剣に魔法がかかってるとそんなに違うものなの?」
「全然違うよ~。みーんな適材適所ってヤツがあってさ。
プロスターグなんかはエヌセッズのメンバーが狩るのが得意な種族だけど、さっきみたいなやつはエヌセッズのスキルだけじゃ倒せないんだよね~。
僕みたいにギルド無所属な小者なんて余計に大変さ~。
でもクエストや依頼はさ、選り好みしてたら生活費稼げないでしょ~?
得意な人といつも組んでたら取り分も減るし。
そういう時に他のギルドに武器強化をお願いして、自分の苦手ジャンルにも対応できるようにしてもらうんだよね~。
まあ、後片づけ担当の僕が偉そうに説明するのもなんだかな~って感じだから、ボルターやインディにでも説明してもらうと、昔の武勇伝混ぜながら話をしてくれるんじゃない?」
そんな話をしながら、日が暮れる前にはエヌセッズの酒場まで無事に到着することができた。
談笑するもの、早めの晩酌を始めるもの、さすがに人が賑わい始める時間になってきた。
そんな面々の横を通り過ぎながら、ボルターと獣の子供を探す。インディの姿も見当たらない。
「あ、セリちゃん? お帰りぃ。今ボルター呼んでくるからそこにかけててよぉ」
店員の女性が声をかけてくれる。向こうはセリのことを知っているようだが、セリには面識がなく、名前も知らない。
レヴァーミと隣り合って座っていると、ボルターがふわふわを抱えてやってきた。
今更ながらにセリは思った。
――うーん、おっさんがふわふわ抱っこしてても全然似合わない。
「無事帰ってきたみてえだな。どうしたセリ?」
ボルターが怪訝そうに、口元を押さえているセリをうかがう。
口の中が不快で無意識に口に手がいってしまっていたようだ。
「あー……それはちょっと、あんまり説明したくない。口すすぎたいんだけど水もらっていい?」
ボルターに水場を指示され、セリが席を立ったとき、レヴァーミが笑った。
「あそっか、あれ初めてだった~?
じゃあショックだったよね~、ごめんごめん。
初めてだって分かってたら、あんな無理矢理押さえつけたりしなかったのに~」
セリの横でボルターが険悪な低い声を出したので、セリは思わず恐怖を感じて立ち止まった。
しかしレヴァーミは気づかずにまだ笑っている。
「そうだよね~、あんなヌルヌルのを無理矢理いれちゃったら、ちょっとしたトラウマだもんね~。
もうちょっと心の準備ができてからゆっくり入れればよかったね、次は気をつけ……」
ズガン! と激しい音がしてセリは自分の目を疑った。
レヴァーミのテーブルに――一体いつ出現したかわからないが――ボルターの戦斧が突き刺さっていて、テーブルが真っ二つになる寸前になっている。
――いつ出した!? どこから出した!?
セリは記憶を辿るが、どう考えてもボルターは戦斧は持っていなかった。
それでも片手にふわふわを抱えて離さないのは、もしかしてボルターは、以外にふわふわ好きだったりするのかもしれない。
――いや、そんなことは今は気にすることじゃなくて!
ギャラリーはケンカが始まるのか、とあおり始める。
ボルターがテーブルに脚を乗せると、軋みを上げて、かろうじてつながっていた部分が崩壊し、テーブルがご臨終した。
「おい粘液野郎、うちのセリにナニしたてめえ……!」
凄むボルターに、レヴァーミは普段と変わらない笑顔でかわす。
「やだなあ、その呼び方~。ワイセツ物みたいだからやめてよお」
「相変わらずヘラヘラヘラヘラふざけやがって!」
――これは……! 暴れだしそうだ!
酒場中にあふれるボルターの殺気に、あわててセリはボルターの腕をつかんだ。
「ピンクの! ピンクのプロスタなんとか! ピキーっていうやつ!
胃にいいからって飲ませてもらったの!
ただめちゃくちゃ苦くてズルズルだったから気持ち悪いだけ! それだけ!
変なことされたとか、そんなんじゃないから!
レヴァーミが、わざと変な言い方しただけだから!」
ボルターはレヴァーミの胸ぐらをつかんでいた手を乱暴に離すと、一息ついてから、ビビらせんなと舌打ちした。
ずいぶん怒っていたみたいだけど、一体――、
「なにされたと思ったの?」
あまりの剣幕だったので、どんな心配をさせたのかと思い疑問が口をついたが、セリはすぐに後悔した。
案の定、一瞬で首に腕をかけられ、強引に引き寄せられる。
顔は定位置の、セリの耳元に触れるか触れないかの絶妙なポジションだ。
――ああ、言わなきゃよかった……。聞きたくないパターンのヤツだ……。
さすがに学習したセリはげんなりした顔で身構える。
「そりゃあお前、ここで俺がお前に実演したら、この世界がサイトから一気に消滅させられるレベルのヤバイやつだよ。カタストロフ級だよ、言わせてえか」
低く甘い声で耳元ですごまれる。
朝の時ほどのインパクトはないので、もうさすがに腰を抜かすほどうろたえることはしなかった。
セリは自分でも意外なほど冷静に、そして冷たい目でボルターを見れた。
「いや、実演しなくていいし、聞きたくもないから」
「ちっ、もう慣れやがった。ちっとも赤くなりゃしねえ」
おもしろくなさそうにセリから腕を離すと、奥からさっきの女性店員が大皿に料理を持って出てくる。
「はぁい、ボルターお・待・た・せ♡ 今日はこんな感じでいいかしら?」
「おう、メフェナ悪かったな、助かる。セリ、飯の時間だ、帰るぞ」
皿に乗っているのは今晩の夕飯のようだ。
セリはてっきり毎日ボルターが作ってるのだとばかり思っていたが、違ったらしい。
いつの間にかボルターの腕の中から消えていたファージを探すと、レヴァーミの袋が空になっていて、そのすぐ横にちょこんと座ってセリを見上げていた。
セリは笑顔を作って、【喰らうもの】なんて怖い名前のする愛らしい獣に手を伸ばした。
白い小さな獣は、物怖じせずセリの腕の中にすっぽりとおさまった。
セリはようやく笑顔になった。
****
年齢差のある男女二人が並んで帰っていく後ろ姿を見ながら、レヴァーミとメフェナは顔を寄せ合い、小声で話す。
「で? どうだった? ボルターのお姫様は。どんな感じの子?」
「しっかりして礼儀正しくて、でも打ち解けると気さくな感じでかわいい子だよ。僕的にはアリ。余裕でイケるね~」
「あんたの有り無しなんてどうでもいいんだってば」
「若さじゃ勝てないんだから対抗意識とかやめてよ?」
メフェナは無言でフォークをレヴァーミの額に突き刺す。
「もー、痛いな~。
エヌセッズってホント血の気が多くて乱暴なのが多いよね~。僕暴力反対~」
垂れてくる血液をおしぼりで拭きながらレヴァーミが抗議する。
しかし、顔は笑っている。
「なあにボウヤ、お姉さんが『痛いの痛いの飛んでいけ~♡』してあげよっか?」
「治療代、高そうなんでいいです~。僕、貧乏なんで薬草貼っときま~す」
そう言ってレヴァーミはなぜか嬉しそうに笑っていた。