【第24話】bDMARDsはどう考えても成分名より商品名の方がカッコいい。
「待って! 団長!! 行かないで!!」
セリは遠ざかっていくナナクサを必死で追いかける。
セリの手がようやくナナクサへ届いた。
「団長……っ、良かった。どこにも行かないで!」
(……セリ)
ナナクサの爪がセリの手に食い込んだ。
(セリ。アタシから逃げたのは……お前の方だろう?)
ナナクサのもう片方の手が、セリの胸に伸びた。
心臓めがけて。
セリは逃げずに目を閉じた。
受け入れるから――。
あなたが逃げたと責めるのならば。
私の命であがなえるのならば。
それであなたが救われるのであれば。
しかし、ナナクサの手はセリの心臓に届く前にボロボロと崩れ落ちていく。
「嫌! 団長!! 嫌! 死なないで!! いなくならないで!
私の命をあげるから!! 私の体をあげるから!!
だからお願い!! 逝かないで!!」
***
目を開くと、涙が耳の側を流れていく感触がした。
強い光がセリの目を突き抜けて、頭を刺すように痛めつけた。
咄嗟に腕でかばおうとしたが、自分の腕は鉛のように重く、思い通りに動いてはくれなかった。
すると、誰かがセリを光から守るように陰になった。
光に目が慣れると、見知らぬ色白の男性が冷たい瞳で、寝ているセリを見下ろしているのが分かった。
「……誰?」
男はセリが問いかけても答えない。
頭の中が激しくかき回されているみたいで吐き気がしたが、セリは無理やり体を起こした。
その体も、まるで自分のものではないかのように重たかった。
嫌な夢だった。恐ろしい夢だった。
激しく動悸している。
「気分が悪そうだな」
全く興味なさそうに男は声をかけてきた。
「あんたらの……、自称『治療』っていう拷問のお陰でね。牢屋に監禁ってのも……、最高の居心地だわ」
気怠いため息混じりなセリの嫌味に返事をしたのは、目の前の男ではなく、牢屋の外から聞こえる女の声だった。
「それはあなたの中にいる『毒の種子』が苦しんでいるだけよ、セリさん。
私たちの標的はあなたの中の毒。あなたを拷問する気なんてこっちにはこれっぽっちもないわ」
威圧的な鋭い声が飛んできた方へセリが顔を向けると、鉄格子の外から髪をきつくまとめ上げた制服姿のメトトレイが鋭い目で睨んでいた。
「もう一度訊くわね、セリさん。あなた、最初に人を殺したのはいつ?
今日まで一体、何人殺してきたの? あなたがいた組織の名前を言いなさい」
「ボス。自分がやりますから」
色白の男が割って入ろうとするが、メトトレイに一蹴される。
「レミケイドは黙ってなさい。
この子は三十人近くいた男たちを相手に、たった一人で皆殺しにしたのよ?
殺し方も、あまりにも手慣れすぎて……凄惨すぎる方法でね。
このまま野放しにするのは危険すぎる。本来なら私が尋問すべき相手だわ」
上司と部下の話し合いに、冷笑を浮かべたセリが意見を述べた。
「ゴミ掃除に貢献した人間なら、褒めてくれてもいいと思いますけど?」
メトトレイが鋭い視線でセリを睨んだ。
「それはこっちの仕事なのよセリさん。
ギルドの人間でもないのにでしゃばらないで頂戴。
最初見た時は子猫のようにかわいらしかったのに、とんでもない狼が化けてたものね。今は誰よりもあなたのことが恐ろしいわ」
一方のメトトレイも、以前のような女神の雰囲気はどこにもない。
きつく巻き上げた髪と、鋭くつり上がった瞳。
戦闘に特化した制服に身を包んでいる姿は、以前とはまるで別人の、まさに女帝と形容するに相応しい姿だった。
「化けてたのはお互い様でしょう? メティさんも、最初はどこの女神様かと思いましたけど、ドレスよりお似合いですよ、その制服。
返り血も目立たなそうな色合いですし、そちらもずいぶん殺し慣れてそうですね」
気怠いながらも、どこか妖しげな微笑を浮かべてセリがメトトレイを挑発した。
対するメトトレイも、冷たい笑みを浮かべ答える。
「ありがとうセリさん。
けれど同類に思われるのは心外ね。
そんなことより、あなたはずいぶん内にある毒を手放したくないようだけれど、早く切り捨てないといつまでも苦しむだけよ」
「なんのことだかさっぱりわかりませんね」
セリは本心を伝えた。しかし、メトトレイはそう受け取らなかった。
「頑固ね。悪いけど素直に吐いてもらわなければここからは出せないわよ。
二人を待たせてもいいの?
ほらこれ、あなたにって預かりものよ」
鉄格子から差し出されたのは、セリがロフェに買ってあげた白いぬいぐるみとレキサからの手紙だった。
手紙はレキサの丁寧な文字で、セリを気遣う言葉であふれていた。
具合はどうか? 何か欲しいものはないか? 早く元気になって。
ぬいぐるみはセリが一人で淋しくないようにと、ロフェが渡したいと言っていたので受け取って欲しい。ロフェには自分がついているから心配しないで。ロフェは今は少し落ち着いて、お菓子を食べたり、おもちゃで遊んで笑ってくれるようになった。だから心配しないで。
そんな言葉が綴られていた。
――レキサ、ロフェ……!
頭の中を風が過ぎ去っていくような感覚があった。
地面に積もった塵を、空に巻き上げていくように、何かがクリアになる。
私はここに捕まっている間、二人にどのくらい心配させてしまったのだろう。
二人にどれくらい不安な思いをさせてしまったんだろう。
もうあんな顔は、二度とさせないって決めたのに。
ボルターに怒られ、子供たちに泣かれ、さんざん懲りたはずなのに。
――私、バカだった。
目の奥が熱くなって、セリはぬいぐるみを顔に押しつけた。呼吸をするとロフェの匂いがした。
「あの子達には、セリさんは怪我がひどいから治療中と伝えてあるわ。大人しく全部の毒をここで出しきって頂戴。でなければあの子たちに会わせることはできないわ」
セリは、顏をぬいぐるみに突っ込んだまま、低い声でメトトレイに質問した。
「なんか急に頭がハッキリしてきたんですけど、レキサとロフェも、ここにいるんですか?」
メトトレイは呆れたように、そんなわけないでしょ、と吐き捨てるように答えた。
「あの子たちはここにはいないわ。宿で留守番よ」
セリはゆっくりと息を吸うと、ぬいぐるみから顔を上げた。
鋭くメトトレイを睨むと、そのまま一息で叫んだ。
「あんた馬鹿ですか!?
何のために二人がここまで来たと思ってんですか!
あんた母親でしょ!? なに赤の他人の私との時間作ってんの!?
優先順位間違えすぎ! そんなんだからボルターに怒られるんでしょ!?
んなもん私だって怒るわ!! さっさと帰って母親してなきゃダメでしょーが!!」
セリの剣幕にたじろぎながらもメトトレイが言い返してきた。
「ちょっと、なんなの? 私はディマーズのマスターとして、あなたのような危険分子を放置しておくわけにはいかないのよ! それがましてや自分の子供のそばにいるような人なら余計にね!」
「……ボス」
「あんたのギルドは人手不足か!!? んなもん、その辺のに代わってもらえばいいでしょ!?
ロフェはね! 臭くてきったないおっさんたちにさらわれて怖い思いしたの!
あんた母親なのになんで傍にいてあげないの!
レキサばっかりに押しつけてんじゃないわよ!
レキサだってね! いっつも小さなロフェに遠慮して、甘えたいのいつも我慢してるんだから!
こんなときくらい、あんた二人とも面倒みなさいよ! もう二度と連れてきてあげないわよ!!」
「……ボス」
「なんなの偉そうに!! あなただって……っ」
「メティ!」
さっきから控えめに話に入ろうとしていた色白の若い男――レミケイドが口調を強め、メトトレイを呼んだ。
「……なに? レミケイド」
「気づきませんか? 彼女の毒の気配が完全に消失しています」
メトトレイはレミケイドの言葉が信じられず、しばらく息を荒くしながらこちらを睨んでいるセリのことをじっくりと眺めた。
「……本当ね」
しかし納得できない様子で、セリから注意深く目を離さずにいる。
「あとは、自分が経過を見ます。休暇中に申し訳ありませんでした。何かあれば至急でご連絡しますので、ご家族様のところへお戻りください」
「…………分かったわ。何かあれば必ず連絡して頂戴」
部下の前で取り乱したことが少し恥ずかしかったのか、妙に毅然とした態度が決まらないまま、メトトレイは固い靴音を鳴らしながら去っていった。
メトトレイが去った後、セリは力を使い果たしベッドへと倒れ込んだ。
メトトレイに施された『毒』を消し去る『治療』はセリの体力を根こそぎ奪い去っていた。
拷問の類いによる苦痛であれば、スズシロのお陰で耐性はできているのだが、今回の『治療』はセリにとっては未知のもので、例えるなら内面から体を蝕まれていくような不快なものだった。
顔の近くにある自分の手からは、まだ血の臭いがした。
血の臭いを嗅ぐと、狩りのシーンが鮮明に思い出される。
男たちを次々と狩りながら、セリはナナクサと踊っているような錯覚を感じていた。
ナナクサが舞ったあとに吹き荒ぶ赤い風が、セリの目には見えた。
赤い霧、赤い雨、赤い大地も――。
血の香りに酔うナナクサの、危険なほどの麗しさ。
その表情が近くで見れることが嬉しくて、幸せで、ずっとこのまま狩り続けていたい、舞い続けていたいといつも願っていた自分。
血を捧げている間は、ずっと傍にいられる。
獲物が生きている間は一緒にいられる。
このままずっと二人で躍り続けていられたら――。
突如、Y字の鎖が飛び出しセリを腕をからめとった。
そのまま鎖は生き物のように蠢くと、セリの体を拘束する。
夢心地の回想の邪魔をされ、セリはまだ共に牢屋の中に居座り続ける男に抗議した。
「ちょっと、レミケイド、だっけ? 私、見ての通り無抵抗なんだけど。何の真似?」
レミケイドはセリを拘束する鎖の端を持ったまま、黙ってセリの横に置かれたぬいぐるみをつかむと、セリの顔に押しつけた。
「毒が芽吹き始めた。血の臭いに反応したんだろう。
深呼吸しろ。……やはり君は子供に感受性が高いタイプのようだな。毒が退いていった」
「意味わかんない。頭もだいぶ冷えてきたからそろそろ説明して。毒とか感受性とか、治療とか。一体なんなの?」
セリの言葉にレミケイドは一言、待てと呟くとテーブルに安置してあった小さな杖を手にとった。
先から水滴がこぼれるその杖を見て、セリは身を竦ませた。
やばい!! あれはたぶんチアムの杖と同じタイプのやつか!?
チアムが治療で荒々しく杖を相手にぶっ刺してした光景を思い出し、セリはぞっとして逃げようとしたが、鎖のせいで身動きができない。
「わ、ちょっと待って! お願い!! 射すのなし!」
「痛いのは、最初だけだから動くな。
ボスの治療を受けても毒が活性化する以上、自分の治療も受けてもらうほかない」
「わー! 無理!! やめて! ごめんなさい! 謝るから!」
容赦なく、だが想像していたよりも優しく肘の内側に突き立てられた杖は痛くなかった。
「完了までこのまま二時間だ。その時間を利用して説明をしよう。時間は充分過ぎるほどある」
「長っ!! なにそれ? それまでずっとこのまま!?」
「君は寝ているだけだから楽だろう? そうだな、まず『毒』の話からか」
レミケイドは淡々と説明を始めた。
人に病をもたらす要因の一つに、毒因という考え方がある。
通常であれば、人の体内及び心に毒が取り込まれた場合、速やかに排泄しようする機構が作動する。
しかし、その機構が何らかの事情で作動しない場合、毒はとどまり、その宿主を侵食してしまうことがある。
侵食される標的は宿主の器である場合や、心である場合もある。
その侵食の過程は、小さな種子だったものが、宿主を糧として芽吹き、蔦を這わせ、開花し、種をこぼし、また増えていくかのようである。
毒が繁殖し、侵食された宿主は、もはや毒そのものになる。
毒に染まった宿主は、また新たな種の苗床を探し、見つけ、取り込んでいく。
「ボスは現場で君を見た瞬間、君の未来を直感したと言っていたよ。
君はきっとこのままだと、自分の殺人衝動を抑えられなくなる。罪もない人々を、子供であろうが女であろうが、手当たり次第殺していくだろうと」
そんなことない、と言い返す前にレミケイドは次の言葉を重ねた。
「君にとっては幸いなことに、もうその頃の君には本来の自我は消失している。罪の意識を感じることはない。
それが例え、あの兄妹のことを手にかけてしまうことになったとしても」
背筋が一気に寒くなり、セリは言葉を失った。
そんなはずはない。私がレキサやロフェを傷つけることなんか、あるはずがない。
「君はなかなか毒を手放さない。それはきっと君に毒を宿した相手が、君の愛する人物だからだ。
肉親や恋人――そんな近しい関係で伝播された毒は、治療に宿主側が拒否反応を起こすことがよくある。
毒の除去は愛する相手との完全なる決別を意味することにつながるからな。
でもいいのか? 君は毒の種子を胸に抱えたまま、グレイスメイアに戻り、あの家族と何もなかったことにして暮らすのか?
あの子らの父親は、子供を傷つけることを何よりも許さないのだろう?
自分のかつて愛し合った妻すら切り捨てた男だ。
君の中にある毒のことを知れば、あの男は君を傍に置いておくことはしないだろう。
そしてボスもそれを許さない。君のことを、あの男に伝えるだろうな」
「待って! 言わないで!
……ボルターに、言わないで……」
考えるより先に口走っていた。頭が混乱している。整理がつかない。
私の中には人を殺す毒があって、それを植え込んだのは団長で……。
私がレキサやロフェを殺してしまうかもしれなくて、そんなこと絶対にしないのに、それをボルターに言うって……。
「黙ったまま、隠し続けるのか? それで君は幸せを感じられるのか?
自分を信じている家族をいつか殺してしまうかもしれないのに。
それこそあの男に対する裏切り行為だな」
「やめて!!」
待って。一度にたくさん説明しないで。毒がなくなればいいの?
そしたら私はみんなと暮らせるの?
じゃあ、団長は? 団長との完全な決別って何? もう団長には逢えないのに。
それ以上の決別って何?
「それで提案だ。君、ディマーズで働く気はないか?」
セリは話に頭が追いつかず、潤んだ瞳でレミケイドを見上げた。
「君が同僚になることを自分は歓迎したい。ボスにあれだけ啖呵を切れる人材は貴重だ。
ディマーズに入れば、毒を知り、自分の力で毒を制御できるようになれる。
簡単な技術ではないから、数年はグレイスメイアに帰れなくはなるが、あの家族を失うより何倍もいい条件だと思うがどうだろう」
まだ頭が働かない。その条件が飛びついてもいいものなのか、判断がつかない。
だって、私の中の『団長』はどうなるの? 消されてしまうの?
まだ決められない。決断が怖い。何か、取り返しのつかない選択をしてしまいそうで怖い。
「――待って! 私ボルターに借金があって……。ちゃんと返してからじゃないと、勝手に家を出たりできない。
だから当分ここには、来れないと思う」
「いくらだ? 経費で対処しよう」
レミケイドが全く引き下がってくれないので、セリは記憶している金額よりも、だいぶ上乗せして伝えた。
無理だと言ってほしかった。
せめて、もう少しだけゆっくり考える時間が欲しかった。
「ああ、これくらいなら大丈夫だろう。
ボスに報告するが、それでいいな。君にとってこれ以上ないくらい最良の措置だ」
「ボルターには、なんて言うつもりなの?」
「君がここに戻ってくるなら、自分としては君に委ねるつもりだ。
一度グレイスメイアに帰って支度をするときに、君が自分に都合のいいよう説明すればいい。
あの家族とまた暮らしたいんだろう?
それとも、あの男と、か?
自分が戻ってくるまで待ってて欲しいとでも伝えればいいさ」
レミケイドはその後も終始、全く感情のこもらない淡々とした口調で、セリにディマーズ入会のための事務手続きについて説明を続けた。
しかし、セリはもうどんな話をされても、何も頭に入ってはこなかった。
今のセリにはもう、何も考えられなかった。




