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【第23話】ジクロフェナクは7.1㎜の小粒でも、ピリリとよく効く。

 暗く、汚れた部屋に連れてこられた。


 ロフェが勝手に震えてくる自分の体をさすっていると、セリが気づいて抱き締めてくれた。

 セリのぬくもりにすがるように、ロフェはセリの胸にしがみついた。


 以前も男の人につかまってしまったことがあったと、ロフェは思い出す。


 その男性はお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたりする人だったのに、急に怖い人になってしまった。

 あの時、ナックが自分を助けてくれて、もう大丈夫だと言われたような気がしたら安心して眠ってしまい、目が覚めたらセリに抱っこされていた。


 でも今日はここに、ナックはいない。

 誰よりも強くて、誰にも負けない、大好きな父親もここにはいない。


 ここにいるのは、セリともう一人、ボロボロになって倒れている少年だけだ。

 ロフェは歯を食いしばって泣くのを(こら)えながら、白いぬいぐるみを抱きしめた。


 そして自分たちが閉じ込められている部屋の下の階には、見るからに悪者の怖そうな男たちがたくさんいた。


 今はその怖そうな男たちの、品のない大きな笑い声が、自分たちの部屋まで響いていた。


 うめき声を上げて意識を戻した少年に、セリは近づいて静かに声をかけた。


「ねえ、もしかして私たちのこと、かばってこんな目にあったの?」


 少年は腫れ上がった(まぶた)からわずかに見える瞳を、セリに一瞬だけ向けて、すぐにそっぽを向いた。


「別に、そんなんじゃねえし。

 俺が大量の食いもん持ってたからって絡まれて、羽振りがいい姉ちゃんからおごってもらったけど誰か知らねえしって言ったらこのザマだ。かばうとか……そんなんじゃねえから……」


 体を動かすたびに痛みが起きるのか、少年が顔を歪めた。

 セリがロフェを抱き寄せたまま、さらに少年に近づく。


「――骨が、折れてるかも。

 こんなことならさっさとボルターに手当てを教えてもらえば良かった。

 ごめん、助けてもらったのに何もしてあげられない」

 セリが悔しそうにつぶやいた。


 少年が鼻で笑う。


「だから助けてねえし。お礼も謝るのもいらねえし。

 だいたい殺されなかっだけマシじゃね?

 俺たちディマーズの女帝を呼び出す人質なんだろ? じゃあ、命までとられたりしねえと思う。

 ……あのおばさん怖えけど、すげえ強いからたぶんあいつらすぐに捕まるよ。それまで大人しくしてようぜ」


 ロフェは二人が話していることが少ししか理解できなかったが、セリを見上げて言った。


「ろふぇ、できるよ?」

「え?」

 セリが不思議そうにロフェの顔を見た。


「いたいのとんでけ、おとーしゃんにおしえてもらったことあるから。ろふぇ、できるよ?」


 ロフェは少年の傍らに屈み込むと手をかざし集中する。

 『痛い』のが一番集まっている場所を感じとると、気持ちを込めて、父から教わったおまじないを唱える。


「いたいのいたいのとんでけ、いたいのいたいのとんでけ」

 少年の表情が次第に驚きへと変化する。

「――まじで? すげえ、なんか……楽になってきたかも」


「ロフェ……! すごい……っ、ありがとう」

 セリがロフェを後ろから抱き締めた。


 うまくいってよかった。


 ロフェは人の役に立てたことがうれしくて、少しだけ照れながら笑った。


 そこへ大きな足音を立て、誰かが階段を上がってきた。

 扉の鍵が音を立てると、セリの緊張がロフェの体にも伝わってきた。

 セリが少年を背にかばい、ロフェをさらに強く抱き寄せた。


 男は入ってくるなり陽気に話し始めた。ずいぶん酔っているようだった。


「まさか女帝様の知り合いどころか、あの女に子供がいたなんてな!

 これ以上ないくらい、最高の人質だぜ。

 見捨てたら見捨てたで、子供を見殺しにした最低女の烙印(らくいん)が押せるしなあ?

 来ないはずがねえよな!? そうだろ?」


 何がおかしいのか大笑いしている男を見つめ、セリの歯がギリッと音を立てた。


「で、そうそうお前。姉ちゃんは何者なんだ? お前まであの女の娘なんて言わねえよな?」


 セリは静かな、けれど力強い声で答えた。

「私はこの子のお守り役よ。この子には指一本触れさせないから。もちろん後ろの子にも」


 ロフェは不思議な気持ちでセリを見上げた。


 セリは怖くないのだろうか。

 自分は怖くてしょうがない。

 ナックもいない。父親もいない。


 あんなにたくさんの怖い人たちがいて、逃げられないところに閉じ込められている。

 どうしてセリはこんなに堂々とできるのだろうか。

 

「ああ、丁重な人質だからな。傷ひとつつけずに女帝様に会わせてやるさ。

 俺たちだって女帝様のご機嫌を損ねたくねえからな。俺たちの目的は交渉だ」


 男はずかずかと近づいて来ると、セリの腕を乱暴につかんで立たせた。


 急にセリのぬくもりが消え、ロフェは強い恐怖に襲われ、声すら出せなかった。


「お前は身内じゃねえんだろ? なら、お前には何をしても良いわけだ。

 下に来いよ。仲間たちがお前と一緒に遊びたいんだとよ?」


「――しぇ……っ!」

 行っちゃダメ!! とロフェが出そうとした声は、セリの強い視線によってついに出ることはなかった。


 『黙って』セリの目が語っていた。


 セリにすがりつこうとしたロフェの手も、セリに触れる前に動けなくなる。


「わかった。この二人にはなにもしないって約束してくれる?」


「ああ、お前が素直に言うことを聞くならな」

 嫌な笑いを浮かべ男が応じたが、ロフェはセリがひどい目にあってしまうことが容易に想像できた。


 嫌だ。行かないで。そう泣き叫びたいのに、セリがそれを許してくれない。


 でも、セリは?

 セリはどうなっちゃうの?


 涙があふれて視界がぼやけるロフェへ、セリは穏やかな表情をして微笑んでいた。

 そして苦しげに呼吸をしながらも、体を起こしてきた少年にも声をかける。


「あんた名前、まだ聞いてなかったね。なんて名前なの?」


「……レッド。よく怪我して血だらけだから。仲間からそう呼ばれてる」

 セリは小さく笑った。それも一緒か、と小さくつぶやいた。


「そう。じゃあレッド、お願いがあるの。

 私が下に行った後、ロフェに下での音が聞こえないように耳を塞いでいてほしいの」


 セリの言葉に、横で男がふざけて口笛を鳴らす。


 ロフェは、セリがなぜそんなことを頼むのか理解できなかったが、レッドは泣きそうな顔をした。

 セリはレッドの頬を優しくなでると、悲しそうに微笑んだ。


「……聞かせたくないの。お願い」

 レッドが長い逡巡(しゅんじゅん)を経て、ようやくわずかにうなづいたのを確認すると、セリは男に連れていかれた。


 鍵のかかる音が、ロフェにはまるでセリと自分を完全に切断してしまうかのような、無慈悲な音に聞こえた。


 ロフェの目に最後に映ったセリは、別人かと思うほど冷たい表情をしていた。



 レッドは泣きながら、くそ! と毒づき、さっきまでセリがロフェを抱きしめていた時のような姿勢で、ロフェを守るように抱えると、その耳をふさいだ。

 ロフェが耳を塞がれる直前、最後に耳に入ってきたのは、下の階の男たちの大きな歓声だった。


 しかし、決してセリにとっては楽しいことではないはずだ。


 ロフェはただ、セリの無事を祈ることしかできなかった。



***



 どれくらいたったのだろうか。


 ロフェが感じるのは、下の階から不規則に響く大小の振動と、時々なにかに反応するように、びくっとするレッドの体の緊張だけだった。


 いつしかレッドの体が震えていた。

 ロフェの耳を塞ぐことに意識が向かなくなったのか、隙間から音が聞こえてきた。


 男たちの怒鳴る声。叫ぶ声。


 でもセリの声はしない。

 セリは無事なのだろうか。


 ロフェは必死で耳を澄ませた。

 今一番大きく聞こえているのは、レッドの心臓の音と息づかいだ。


 ものが壊れる音。

 重たい何かが倒れる音。

 時おり響く、押し殺したような悲鳴は男の声で、セリのものではない。


 セリは?

 セリはどうしたの? 何をされてるの?


 下で何が起こっているか分からず、ロフェは焦り始めた。

 

 そこへ再び階段を登ってくる音がした。

 さっきとは打って変わって、這いずって登っているような重苦しい足音だった。


「許してくれ! 頼む! 俺は……本当はこんなことしたかったわけじゃ……っ、俺は仲間が怖くて……っ、あいつらの言うことを聞いてただけなんだ。だから……っ」


「鍵、早くあけて……?」


 どすっと鈍い音に続いて、男が叫んだ。

「――っぅぎゃあああっ!!!」

 レッドとロフェはその声に二人で同時にすくみ上った。


 ロフェは悲鳴の直前に聞こえた女性の声が、誰の声か分からなかった。

 自分の知っているセリは、こんな声ではなかったような気がする。

 

 セリはいつでもさっぱりして、天気がいい日の風みたいに気持ちのいいしゃべり方をする。

 こんなねっとりした話し方は、セリじゃない。


 ガチャガチャといつまでも鍵の音が響いている。

 開けるのに相当手間取っているらしい。


 レッドがロフェの体をきつく抱き締める。

 もう、レッドはロフェの耳を塞ぐことはしていなかった。

 レッドがうわごとのようにつぶやく声が聞こえた。

「姉ちゃんの代わりに俺が守る……姉ちゃんの代わりに俺がこの子を守る……」


 鍵の外れた音が響いた。

 しかし扉はまだ開かない。


「……ありがとう」

「――ぅん!?  んんー!! んー!」


「……言うことをきいてた、だけ?

 あんたも、無抵抗な女の人や子供をいたぶるのは楽しかったんでしょう?

 気持ち良かったんでしょう? だから、続けてたんでしょう?

 ……大丈夫、うんと痛くして、逝かせてあげるね……?」


 声のない叫び。

 大量の水がこぼれたような音。


 苦しそうなうめき声が止まない。

 バタバタと何かが暴れる音が、次第に少なく、弱くなっていく。


 声が止んだ。


 一瞬の静寂。

 

 引きずったような音、時おり固い何かが当たる音が、不規則なリズムで下の方へと遠ざかっていく。

 大きくて重たい何かが、階段から転げ落ちていったのだろう。



 ノックが鳴った。

 今までロフェが聞こえていた音の中で、一番軽くて、日常で耳にする音だった。


「レッド、ごめん。

 ロフェの耳はもういいから、今度は目を隠してくれる?

 レッドも見たくなかったら、目を閉じてていいから。

 ――入るね?」


 今度の声は、ロフェの知っているセリの声だった。


 ドアが軋みをたてて開く。

 レッドが息を飲む気配が伝わる。


 セリの無事を確かめたくて顔をあげようとしたロフェを、レッドが強い力で押さえつけた。


 扉が開くと同時に、ひどい悪臭が部屋の中に流れ込んできた。

 息をすることが嫌になるような、吐き気を催す不快な臭いが――。


「ありがとうレッド。ごめんね、ロフェ。ちょっと、これで目隠しするね」

 セリがロフェの目に布をまく。


 セリの声が聞けた。

 ロフェは安心して、ようやく涙があふれてきた。


「しぇりっ、しぇり!! けがしたの? ひどいことされたの? いたいの?」

「大丈夫だよロフェ。もう、終わった」


 手探りでセリを探し、つかんだセリの服はびっしょりと濡れていた。


「しぇり、なんでびしょびしょなの? かぜひいちゃうよ?」


「ああ、大丈夫だよ。ちょっとね、汚い水がたくさんかかったの。

 ロフェ、汚れると悪いから私には触らない方がいい」


「きたないみず?」


「そう、悪人の中には汚れた水がたくさん詰まってるの。その水があふれてくると悪いことをしちゃうから、だから全部出してあげないと。

 そうすればもう、悪いことはできなくなるんだよ」


 大きく、ゆっくりと、長い呼吸をしながらセリは説明する。

 セリの規則的な深い呼吸の音を聞きながら、ロフェはセリが生きていて、傍にいてくれるのを実感した。

 見ることも、触れることもできないけれど、セリはちゃんと戻ってきてくれた。


「あのわるいひとたちはどうしたの?」

「ん? 寝ちゃったよ」


 セリは穏やかすぎる声でそう答えた。


「そしたらいまのうちににげようよ!」


「ん? ああ、ちょっとね……。これじゃあ外に出られないんだ私……。

 大丈夫、ロフェのお母さんが必ず助けに来てくれるよ。それまで待とう?」


 セリの言葉が合図だったかのように、下からよく響く女性の声がした。


「ロフェ!? ロフェ!? どこなの? お願い!! 返事をして!!」


 悲鳴に近い母の声とは対照的に、この場に不釣り合いなくらい落ち着いた声で、詠うようにセリがロフェに声をかけた。


「ほら。ロフェのお母さん。ちゃんと来てくれたよ?

 さあ、ロフェ。大きな声でお母さんを呼んであげて」


 ロフェはセリに促されるまま、必死で叫んだ。


 セリとレッドを助けてもらわないと。きっとセリだってすごく怪我をしているはずだ。

 子供の自分じゃどうすることもできない。

 父に教わった手当ては、痛みは消せるが傷を治せるわけではないのだから。


「……お、お、おかぁしゃーん!!! おかーしゃーん!!!」


 メトトレイが階段を駆け上がってくる。

 息を切らせているのが、目の見えない今のロフェでも分かった。


 おかーしゃん、しぇりがろふぇをまもってたいへんだったの。

 おかーしゃん、しぇりがけがをしてるかもだからてあてしてあげなきゃいけないの。

 れっどのおにいちゃんもきずだらけなの。ろふぇがてあてしたけどそれじゃたりないの。

 ろふぇもてつだうから。ふたりをたすけて。


 思いがあふれて言葉にならない。

 しかしロフェが声を出すよりも早く、母親の言葉がすべてを奪った。


「ロフェから離れなさい!! 指一本触れないで!!」


 ロフェはこの言葉が誰に向けられたものなのか分からなかった。


 まだ悪い人がいたんだ。どこかに隠れていたんだ。


「大丈夫です。汚れるんで、私からは触ってませんよ。

 私の服をつかんだ時に、手が少し、汚れたと思います。見てあげてください」


 答えたのは何故かセリだった。


「このまま、ロフェの目隠しを外さないで連れて行ってくれますか?

 下のは、見せたくないんで」


「あなたに言われるまでもないわ!」


 セリと話す母の声は、あまりにも冷たすぎた。

 反対にセリの声は、なぜか悲しくなるほど穏やかすぎた。


「それと、この子――レッドって言うんですけど、私たちを庇ってこんな目にあってしまったんです。

 できればそちらで手当てをお願いしたいんです。よろしいですか?」


 メトトレイは返事をせず、つかつかとロフェに歩み寄ると、苦しいくらいに強く抱きしめた。

 花のような甘い香りがほのかに香った。

 ようやく息をしやすい空気が手に入り、ロフェはその花の香りを大きく吸い込んだ。


 父とは全く違うが、やっぱりどこか安心する匂い。

 それが、お母さん?

 ロフェなりに、母親という存在が、少しわかり始めたような気がしていた。


「良かった……っ、ロフェ。生きててよかった……っ」

「しぇりが……たすけてくれたんだよ……?」


 ロフェはセリのことを必死で母親に説明しようとした。

 もしかして、セリのことを母は誤解してしまっているのかもしれない。

 しかし、ロフェの言葉に母は返事を返さなかった。


「すぐに増援が来るわ。逃げたりしないで頂戴ね」

 ロフェを抱き上げると、メトトレイが毅然とした口調で告げた。


「ええ、逃げませんよ。この格好じゃあどこも出歩けませんから」

 くっくっと音が聞こえる。


 何の音なのだろう。


「何がおかしいの?」

 母が強い口調で問いただしている。セリが笑っている声だった。何がおかしいのだろう。


 セリはきっと男の人たちにひどいことをされて壊れてしまったのかもしれない。


 助けなきゃ。


 でも自分にはどうすればいいのか分からなかった。

 母の服をつかむ。


「おかーしゃん、しぇりをたすけて。しぇりをたすけてあげて……」


 母はロフェの手に自分の手を重ね、力強く答えた。


「ええ、もちろんよロフェ。それが私の仕事だもの」


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