【第21話】即効性の男と遅効性の女はすれ違う。
夕食はうすうす嫌な予感はしていたのだが、まさかの的中でセリのトラウマである本格フルコース料理が振る舞われてしまった。
セリは死を覚悟したが、すぐにメトトレイが銀食器は外側から順番に使うのが正解だと教えてくれた。
「面白い冗談を言うお兄さまね」
スズシロからフルコースについて教わったエピソードを、メトトレイは非常に気に入ったらしく、いつまでも笑っていた。
レキサもロフェもお菓子を食べ過ぎてしまったせいか、夕食は少ししか食べていなかった。
もしかしたら、あまりにも普段の食事との差が激しすぎて、食が進まなかっただけかもしれない。
食事を終え、あの広すぎる豪華な部屋に戻ると、まだ踏み入れていないエリアに超巨大なベッドがあった。
セリが横に寝ても、余裕ではみ出ないサイズだ。
「みんなで一緒に眠れるようにって、ファミリーサイズのベッドがある部屋にしたのだけれど、セリさんも一緒に寝ましょうよ。
え? ふふ、緊張しちゃうから遠慮する? わかったわ。
でもこの部屋には、他にソファしかないのよ。セリさんは小柄だし、サイズ的には十分かもしれないけれど、やっぱり寝るならベッドがいいわよね?
もうひとつセリさん用に一室用意させましょうか? たぶんこの部屋ほど広くはないのだけれど……」
セリはメトトレイの申し出を最後まで聞くことなく、激しく首を左右に振りまくりながら丁重にお断りした。
「いえ! とんでもないです! 屋根さえあればどこでも寝れます! 広すぎる部屋に一人とか、絶対落ち着かないので、お邪魔でなければソファで寝かせてください! むしろそれを激しく希望します!!」
パジャマも家から持ってきたのだが、メトトレイが新品を用意してくれていたので、子供たちを着替えさせる。
レキサとロフェで色違いのお揃いパジャマだ。ちょっと大きめサイズだが、そこがまたかわいい。
そしてセットのナイトキャップまでかぶると愛おしさが倍増する。
「うっわ、かわいいですね、メティさん!」
テンションの上がったセリが振り返ると、メトトレイが顔を真っ赤にしてぷるぷる震えていた。
うんうん、愛があふれてるんだろうなあ。やっぱりここに二人を連れてきてよかった。
セリは一人、満足感をかみしめていた。
しかし就寝時間になって、セリが家族から離れた一画のソファで横になろうとしたとき、何故かロフェが唇を尖らせた顔をしてやってきた。
「ロフェ? どうしたの? レキサとお母さんの取り合いにでもなった?」
「……しぇりとねる」
眉間にしわが寄るくらい眉を寄せ、への字口のままロフェはセリのソファによじ登ってきた。
「ロフェ、せっかくお母さんに逢えたのに」
ロフェはセリの胸に顔を押しつけながら小さな声で「おとーしゃん……」とつぶやいた。
「おとーしゃん、いまひとりぼっちだよ? かあいそうだよ。ろふぇ、おとーしゃんしんぱいなの。おとーしゃんといたいの。かえりたいの……」
震える声でセリに訴える。
「ロフェ、大丈夫だよ。ボルターは大人だもん。
ナックもいてくれるから、ボルターはひとりぼっちじゃないよ?」
「おとーしゃん、ろふぇにごめんっていってた。おとーしゃん、なにかわるいことしたの?
どうしておとーしゃん、かなしいかおしてたの?
おとーしゃん、いま、おうちでないてるかも……ろふぇ、おとーしゃんにあいたいの」
セリは言葉を選びながら、ロフェに伝えた。
「たぶん、ロフェとお母さんが離れ離れになる原因を作ってゴメンって言いたかったんじゃないかな。
本当だったら家族って、お父さんとお母さんが一緒にいるのが普通だから。
もちろん、いろんな事情で一緒にいれない人もいるよ。
だからほら、今はロフェはお母さんとの時間を過ごす時なんだよ」
「ろふぇ、おこってないよ? おとーしゃんだいしゅきだもん」
「うん、そうだね」
「ろふぇはね……ろふぇは…………おとーしゃんが……」
そのまましばらく沈黙を挟み、ロフェはそのまま寝息を立てていた。
ロフェの目尻にたまっていた涙が流れ、セリの服に吸い込まれていった。
初めての泊りがけの旅だったのだ。疲れているのも無理はない。
今まで一度だって離れたことがない父親と離れての旅なのだ。不安になるのも無理はない。
眠ってしまったロフェを、家族の寝ているベッドまで連れて行こうかセリが悩んでいると、メトトレイが姿を見せた。
「セリさん。もう、寝てしまう?」
セリは首を振って、ロフェをソファに寝かすと、手招きをするメトトレイのあとについていった。
メトトレイはセリにソファをすすめると、ワインの瓶を手に取って尋ねた。
「ワインを用意したんだけれど、セリさんはまだ飲めないわよね?
バン・ショ―はいかが? あったまるわ」
セリはメトトレイがすすめる飲み物の正体がよく分からなかったが、うなづいた。
火にかけた鍋から、セリのところまでスパイスの香りが漂ってくる。
出てきたものはどうやらスパイス入りのホットワインのようだった。
アルコールが飛んでいるので、セリでも飲めるようにということだろう。
あえて公言はしないが、セリはワインなら普通に飲める。
キャラバンの移動中の貴重な飲料は水よりワインだ。
ただし、酔いつぶれたあとに仲間からどんな目に遭わされてもそれは自己責任なので、酔っぱらわない量の正確な判断も必須事項となる。
限界を知ることは大切だと、スズシロにしこたま飲まされた記憶が急によみがえり、セリは首をふってその記憶を追い払った。
「大丈夫? 今夜は少し冷えるわよね。はいこれ。暖まるわよ」
メトトレイから渡された飲み物に口をつけると、一口で芯まで体が温まった。
「セリさんは、どうして私があの人と別れたかご存じ?」
前置きもなく、いきなり本題を出してきたが、セリはなんとなくその話が出るのだろうと予想していたので、さほど驚かなかった。
「人から……ボルターの浮気で別れたって聞いたことがあるくらいですけど……」
セリは当事者の奥さん本人を前にしても、やっぱりその話が信じられなかった。
だってこんなに素敵で、色っぽくて、美しすぎる女の人は、キャラバンの中にもいなかった。
ボルターと二人で並んでいるところを想像してみても――ちょっと迫力がありすぎるが――お似合いの夫婦といった感じだった。
こんなに女性として完璧な奥さんがいて、それで他の女の人に浮気って、そんなの信じられないし、もしそれが本当なら、――万死に値する。
メトトレイが伏し目がちにため息をついた。どこか、悲しそうな笑顔だった。
「あの人が、そういうことにしてくれたのね。
……セリさん。もし良かったら聞いてくれる? 本当の話を」
私が聞いてもいいのだろうか。
少し迷ったが、セリが小さく首を縦に振ると、メトトレイがありがとうと微笑んだ。
「エヌセッズとディマーズって、もともと相性のいいギルドで、協力関係にあるの。
だから必然的に、あの人と私は一緒に仕事をする機会が多くて……、なんかお互い、一緒にいるのが心地いいなって感じてるうちに、いつの間にか成り行きで夫婦になっちゃったって感じなの」
メトトレイは遠い目をしながら言葉を紡いでいった。
「あの人の両親は、とても腕のたつハンターだったそうよ。
あの人も、小さいころから両親のあとについて各地を旅してたんですって。
でも、二人とも仕事中に亡くなってしまって、あの人は、親戚に引き取られたの。
きっと……子供の時に寂しかったんでしょうね。
私のお腹に赤ちゃんがいるって知ったとたん、『もう自分は危険な仕事はしない。親を失う悲しみを自分の子供にはさせたくない』って突然言い出して、あとはどんどん……住む町も家も、仕事も全部ひとりで決めちゃって……私に何の相談もなしでよ?」
そう言って懐かしそうに笑うメトトレイの表情には、ボルターを嫌っている様子はどこにもなかった。
「危険で割高な仕事で稼げなくなった分は、ギルドで若手の相談や世話をしたり、町の住人に手当てするような小さな店を持って、慎ましく暮らしたい。
そんな夢みたいなことを言ったと思ったら、あっという間に実現。
あの人の行動力って、本当に信じられないくらい……。
……本当ならレキサが生まれて、あの町で、ただただ幸せに平穏な日々を過ごしていくはずだった」
少しだけメトトレイの表情が翳る。
「でも、私がそれに耐えられなかったの。
あの人のいるエヌセッズは若い人材にも恵まれていて、あの人が戦線から外れてもなにも問題なかった。
でも私のいるディマーズは違った。私の戦力が不可欠だった。
うぬぼれているわけじゃないのよ? 本当にそうなの。私はディマーズの要だった。
まだ小さいレキサをあの人に任せきりにして、私は危険な仕事に明け暮れた。
功績を評価されて、家から比較的近いこの街のマスターを任されるようになったけれど……でもマスターといっても、裏方の管理者じゃない。
自分が率先して指揮を執り、出撃する役割は変わらなかった。
仲間の命も守らなければいけない。街の治安も維持・改善しなければならない。
責任はどんどん増えていった。
あの人も、理解してくれる部分はあったけれど、ささいなことで衝突することが増えていった。
そんな時、ロフェの命を授かったことに気づいたの」
メトトレイはワインを半分ほど飲み、しばらく眉をひそめたまま、ワインのグラスを見つめた。
「私はね、そのことを素直に喜べなかったの。
あの当時の私は、悩んでしまった。
私のスキルはね、なんて説明したらいいかしら。
そうね、人の内面に潜んでいる『毒』が、その宿主の心や器を破壊するのを阻止するためのスキルってことにしておきましょうか。
そして、その力は少なからず自分にも影響する。
そのおかげで私たちディマーズは『毒』を宿した敵と戦っても、自分たちが『毒』に侵されることはない。
でもね、自分の中にいる、自分ではないもの――つまりお腹の中にいるロフェ。
私が力を使えば、私の中にいるロフェが真っ先に影響を受けて、死んでしまうかもしれない。
普通の母親だったら、我が子をそんな危険な目に遭わせるようなことはしないわよね。
でも私は――当時の私は、自分の仲間が傷つきながら戦っているのに、私だけ平和な町に戻って暮らすなんて考えられなかった。
私が戦線を離れている間に、仲間にもしものことがあったらどうしようって。
私は……仲間にも、あの人にも、ロフェがお腹にいることを相談できないまま、時を過ごしてしまった」
セリは思わず声を上げてしまった。
「――それって……」
「そう、私は仲間とロフェの命を天秤にかけた。
いえ、違うわね。ロフェのことを見殺しにしようとしたんだわ」
メトトレイは微笑みを浮かべながらセリへ顔を向けた。しかし、その瞳からは涙が幾筋も流れていた。
「でも、ロフェは……ちゃんと生きてますよ……?」
セリの声は、ひどくかすれてしまっていた。
「ロフェが生きているのは、あの人にすぐにばれてしまったから。
そしてそれが私たちの別れた理由。
あの人は、もう私に母親としての役割を求めないと決めた。
そして家族としての関係も……。
『子供を生んだら好きにしろ。でもお腹の子供は俺の子だ。傷つけたら許さない』
真面目な顔で、とても怖い顔で、そう言われたのよ。
あの人に無理矢理グレイスメイアに連れ戻されて、厳重に見張られて、ディマーズの仲間たちとも会わせてもらえないまま、私はロフェを生んだの。
私はロフェを生んですぐ、まるで逃げるようにこのリリーパスに戻ってきた」
メトトレイは言葉を切り、苦し気に言葉を続けた。
「私がロフェを愛することは許されない。子供を死なせようとした親なんだもの。
愛おしいと抱きしめることも、触れることも、そんな幸せは私には与えられてはいけないものだって、そう思ったの。
それからはずっと家族と……もう、家族なんて言ってはいけないのだけれど、連絡も一切取っていなかった」
そこまで話し終えると、メトトレイは大きく、長く、息をついた。
「これが本当の真相。
私は自分の娘を見殺しにしようとして、夫に捨てられた女なの。
軽蔑したでしょ?
きっとロフェは覚えているのよ。私があの子を殺そうとしたことを。だから私を避けるんだわ」
(お前、『ここ』と『そこ』、どっちが好き?)
私も、ボルターに答えてあげられなかった。
自分もきっと、キャラバンのみんなが生きていたら、苦しんでいたら、戦っていたら、放ってはおけない。
どんなに行くなと言われても、レキサとロフェが泣いたとしても、きっとキャラバンの仲間と一緒に戦うことを選んでしまう。
私には、この人を責めることなんてできない。
仲間が大切な気持ちは痛いほどわかる。
それと同じくらい、家族を愛している気持ちもわかった。
愛している人たちの間で、身を引き裂かれるほどに苦しんだことも――。
「ごめんなさいね」
メトトレイがセリの涙を指ですくう。
そうされてセリは初めて自分も泣いていることに気づいた。
「あの人はなにも悪くないの。悪いのは私。
あの人は、とてもまっすぐで、素敵な人よ。
私には、もったいないくらいの人だったの。
それを、あなたには知っておいてほしかった」
メトトレイがとても美しい泣き笑いの表情を浮かべた。
「レキサからの手紙が届いたとき、すごくうれしかった。
まだ、お母さんって呼んでくれていることが。
レキサは賢い子だから、きっと本当の理由に気づいている。
それなのに、私に『心配しないで、みんな元気だよ』って。私が苦しまないようにって……っ。
自分勝手なことは分かってた。でもどうしても、無性に子供たちに逢いたくなった。
でも同じくらい怖かった。仲間を優先して家族を捨てた私は、どんな顔して会えばいいのって。
あの人を、深く傷つけてしまった私が、どうしてそんな虫のいいことをあの人にお願いができるのって。
本当に馬鹿なの私。
『子供たちには二度と会わせない。お前は家族じゃない』
そう、あの人に責めてもらいたかったの。
ばっさりと切り捨ててもらえれば諦められる。もう苦しまなくていいかもしれないって考えて、ケンカを売るようなハガキを出して……」
セリはハガキを目にした時のボルターの顔を思い出した。
あの出だしの宛先の書き方やハートマークが、すでにケンカの開始だったわけか。
セリは期せずして夫婦げんかに巻き込まれてしまっていたらしい。
ケーキでセリの機嫌を一生懸命取ろうとしていたボルターのほっとした顔が急に思い出された。
母親に子供の人気を取られそうで不貞腐れてた顔も。
「でもあの人は逢わせてくれた。
私の甘えた考えなんて、きっとお見通しで『自分で決めろ』っていうことなのよね」
もう本当に、敵わないわ、と涙をぬぐうメトトレイの表情を見てセリは直感した。
大丈夫。この家族はみんなちゃんと仲良しだ。
今はきっと、ただお互いの想いが少しだけすれ違っているだけで――きっと、いつか元に戻れる。
そう思うと、セリの目から最後に流れ出ていった涙はとても温かかった。
「大丈夫ですよ。みんな生きてますから」
セリはメトトレイに笑顔を向けた。
「メティさんはロフェを殺してないんだから、罰だとか罪だとか関係ありません。
だってメティさん、ロフェのことだってレキサと同じくらい大好きなんでしょ?
ボルターが気づかなくても、メティさんが自分からちゃんと相談したかもしれないじゃないですか。
レキサやロフェのお母さんはメティさん一人しかいないんですから、二人が甘えたいって言えば甘えてもらえばいいんです。
生きてれば、ケンカもできるし、仲直りもできます。
お別れしても、また会うことだってできます。
死んでたらできません。
生きてるんなら言い訳しないで、生きてるうちにできることをどんどんやっちゃえばいいんです。
それは、悪いことなんかじゃ全然ありません。
生きてるのに、何もしないでいることの方がむしろ悪だと、私は思います」
メトトレイはセリを長い間見つめると、とびきり美しい笑顔で告げた。
「あなた、あの人にそっくりね」
セリは最初その微笑みに釘付けになり、言われたことが全く頭に入ってこなかったが、言葉がようやく理解できると困惑した表情でメトトレイに尋ねた。
「――え? いま私、結構ひどい侮辱されました?」
メトトレイは口に手を当て、おかしそうに笑った。
「やあね! 最高の誉め言葉よ! 本当におもしろい子ね!」
ボルターが小さな店で何をやっているかという番外編あります。
↓ ↓
【番外編】そういう場所にはよく行くけれど、まだそういう声を聞いたことはない。
短編コーナーでお待ちしています。




