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【第2話】インドールの語源はデニムの染料であるインディゴからきていると知って「へえ~」って思ったという話

「うわこれ、めちゃくちゃウマイなセリ。毎日食いたいわ」


「セリ姉のハイパービヨンドオムライス……食べたいんだけど……ダメ?」


「しぇりのごはんしゅきー!」


 こう言われてしまうと、気がついたら厨房(ちゅうぼう)に立っていて料理を作っている。

 それは、女心というやつだろうか。


「お前が洗った服ってなんか着心地がいいな」


「セリ姉が洗ったタオル、すごくいい匂い」


「しぇりのおしぇんたく、しゅきー!」


 こう言われてしまうと、例のモンスター臭シーツを洗う度に、ついでと言ってどんどこ増やされていく洗濯物まで毎回つい洗ってしまう。


 これも女心のせいだろうか。


 いや、そんなわけあるか。

 私の女心、つけこまれすぎだろ!

 ってゆーか女心ってなんだ? しっかりしろ私!


 森での一件以来、すっかり慢性胃痛に悩まされることになってしまったセリは自分にツッコミを入れる。

 胃の痛みの原因はプロスターグの異臭シーツのせいだけではなく、日々増加していく家事も要因ではないかとセリは疑い始めていた。


 今朝も暴れるロフェになんとかご飯を食べ終わらせ、レキサがロフェを引き受けてくれているうちにセリは自分の食事を勢いよくかっこんだ。

 咀嚼(そしゃく)しながら皿を下げ、ロフェが大人しいうちに洗ってしまう。


 この早食いも絶対胃には良くない。

 でもこの隙に食べないと、絶食お散歩コースになってしまって次に食事できる保証はない。


 そして父親であるはずのおっさん(ボルター)

 やつが、ゆっくり食べれるようにフォローしてくれたことは一度足りとてない。


 セリは次第にキリキリしてくるみぞおちを気にしながら食器を洗い、隣で(雑ではあるが、一応)皿を拭いてくれている胃痛の元凶男(ボルター)を目の端で睨む。


「セリ、お前洗うの手際いいなー。その手つき、見てて惚れ惚れするわ」


 ――きたっ!


 セリは身構えた。


 同じ手は二度と食うか!


 セリはそっぽを向いて冷たい声で言った。


「しらない。もうこれ以上仕事増やさないでよね。

 舌先三寸で私がなんでもやると思ったら大間違いだから。ホント最近手がボロボロになるし、胃は痛いし、キツいったらありゃしない」


 まったく反応がないので不気味に思い、おそるおそる隣をうかがうと、ボルターとバチっと目が合った。

 悔しいことに迫力負けしてしまい、視線が泳いでしまう。


「……な、なに?」

 動揺するセリの指先を(うやうや)しく手に取り、じっと見つめるボルター。

 ロフェの絵本に載っていた、王子様がお姫様にプロポーズするときの格好と似ていた。


「……確かに、荒れちまってるな」


 至近距離で。

 ささやくような声で。

 壊れ物に触れるような優しさで、セリの指先をなぞる。


 何が起こったのか理解できず顏をあげると、ボルターの真剣な顔が間近にあり、思わずセリは息を止めた。


 ボルターの方はというと、いつもよりやたら低くていい声を出しながら、セリとの距離を詰めていく。

 顔も何故か、三割増しのキメ顔だ。

 完全に予想外な展開に、セリは反応することができない。


 自分の顔が沸騰するんじゃないかというくらい熱い。

 もしかして知らないうちに、この前のブラジーキとかいう名前の芋虫の毒針を刺されたのかもしれない。


「しみるか? 治してやろうか」


「ど、どど、どぉやって?」

 ひっくり返った声で尋ねるセリに、ボルターはゆっくりと悪い笑みを浮かべ、自分の唇を舐めた。


 なんだろう、この光景は子供たちに見せてはいけない気がする……!


 背中に戦慄が走り、セリは思わず兄妹の方に目を向けた――が、二人は仲良くおもちゃで遊び、父親と居候の挙動にはまったく気づいていない。


 よそ見をしている隙にボルターはセリとの間合いを詰め、耳のすぐ横まで顔を寄せる。


「そんなの、俺が軽ーく……して、『痛いの痛いの飛んでけ』すれば、痛いなんてすぐ治してやるぜ? それとも……とか……の方が好みか?」


「うわあああああぁぁぁぁ△〇□C14H11Cl2NO2~!!?」


 最後の方は耳が自主規制して、脳に届く前にシャットアウトしたが、限りなく卑猥(ひわい)極まりないセリフを耳元でささやかれたことだけは理解できた。


「セリ姉!? どうしたの? 大丈夫?」


「ああ平気だ。でかい虫が目の前飛んでってビビっただけだ」


 悲鳴に驚いて立ち上がったレキサへ、ボルターがセリの代わりに返事をする。

「セリも虫ごときで、んなでかい声出すなよ」


 たしなめるような口調で、腰を抜かしたセリを見下ろしたあと、ボルターは妖艶にも邪悪にも見える笑みを浮かべて、もったいぶったようにゆっくりした動作で屈みこむ。


 そうなると完全に子供たちから死角となる。


「……で? どうする?」


 ボルターの甘い声に、セリはもう一度出そうになった悲鳴を飲み込んだ。


 やりかねない……。この男は本当にやりかねない……!


「お気遣い……無用、です。皿洗いくらい、やります」


 まともに顔が見られないまま、セリがなんとか言い返すと、ボルターはあっさり標準モードの声と顔に戻った。


「お、そうか助かる。じゃあ俺仕事場出てくるわ」

 そして何事もなかったように立ち上がり、そのまま出ていってしまった。


 あとには動悸が止まらないセリと、平和に(たわむ)れる子供たちが残る。


 おかしい! なんであんなおっさんにドキドキさせられてるんだ? しっかりしろ私!

 てゆうか何だアレ、新種の精神攻撃か?

 ヤバイ、私、このままじゃ絶対……アイツに飼い殺される!?


「――自立しなきゃ!」

 セリは悲鳴混じりの決意を叫んだ。



******



「ボルターのところで世話になってるならボルターに先に話を通してよ」


 いざ仕事を探して町を歩いてみたが、どこの店でもそろってこの返答である。


 くそ、どこまで幅利かせてんだよ、あのおっさん。

 仕事一つ満足に見つからないじゃない。


 一人、イライラしながら町を歩き回るセリ。


 結局、あのあと心の優しいレキサがお友達の家に遊びに行くと言い出し、ロフェも連れて行ってくれたのだ。


「なんか、セリ姉具合悪そうだから休んでて。無理しちゃダメだよ?」

 そんな言葉をかけてくれるレキサに、セリは不覚にも泣きそうになった。


 父親に似てなくてホンットいい子っ!


 きっとレキサはお母さん似なんだろう。絶対そうだ。頼むから父親には似ないでもらいたい。これから先もずっと。


 せっかくフリーにしてもらえたので、どこかでお金を稼がせてもらえるところはないか探すことにしたのだが、縄張り意識が強い町なのか仕事探しは難航している。

 話を聞いているうちに、この縄張り的なものがギルドという組合同士のバランスを保っているらしいことがわかった。


 悔しいけれど、もはやボルターに頼むしかボルターから逃れて自由を手にする道はないようだった。

 セリはため息をつきながら、エヌセッズのギルドへと足を向けた。



***



『エズセッズ』の看板を掲げた酒場の前に立ち、大きくため息――。

 酒場自体が繁盛しだすのは夕方以降。

 なので昼前のこの時間は、そこまで混んではいないようだった。


 今の時間はギルドのメンバーに仕事を紹介したり、新入りの世話をしたり、初心者にいろいろ講釈(こうしゃく)()れたり、そういう時間らしい。

 マスターだから当然そういう仕事をしているんだろう。


 つまり――、この中に入れば当然やつは、いる。

 ここでまたセリは大きくため息――。


 入店に躊躇(ちゅうちょ)してしまうのは、朝の仕打ちの後遺症だ。


 入りたくないし会いたくないし口ききたくない。

 でも仕事しなければいつまでたってもあのおっさんに振り回されながら生活することを余儀なくされて、無休+無給でぼろ雑巾になるまで搾り取られてしまう人生を歩まなければいけない。


 ――そんな人生は嫌だ!!


 意を決してセリは乗り込んだ。

「ボルター! 私にちゃんと給料の出る仕事をちょうだい!」


 もう勢いに任せるしかない。

 扉を開け、開口一番用件を告げるとボルターの姿はなく、代わりに似たような年の男が昼間っからジョッキを傾けていた。


 濃藍色の服が品よく男を目立たせていた。

 男のテーブルには槍斧(ハルバート)が立てかけてある。


 エヌセッズって斧使い集団なのかな?


 剥き身で置いてある物騒な武器にセリが気をとられていると、その持ち主と目が合った。


「ボルターに用? あいつなら奥だよ。

 見かけたことないけどギルドの子かな? 初めまして俺の名はインディ」


 インディと名乗った男は立ち上がり握手を求めた。

 仕草の一つ一つが上品で、ガサツなボルターとは全然違う、とセリは思った。


「あ、セリです。大きな声出してすみません。私はギルドとかは入っていなくて……」

「なんだセリ。何しに来た」


 奥からふわふわしたものを抱きかかえてボルターが出てくる。

 よく見ると包帯を巻いた毛足の長い動物のようだった。

 頭には小さな角が生えている。


「どうしたの、それ」

 セリの質問に答えたのはインディの方だった。


「さっき森で拾ってきたんだよ。動かなくなった親の横にずっとくっついてたんだけど、かなり弱ってて見てらんなくてさ。親の方も冷たくなっていたしね」

 セリは呆然とボルターの腕の中の生き物を見る。向こうもセリのことを見つめていた。


 ボルターが面倒そうに吐き捨てる。


「弱いやつは死ぬしかない。この時だけ手当したって世話はどうする。

 うちにはもう居候もいるし、お前だって無理だろ。応急処置だけしたんだ、もう森に戻してこい」


「……だめ」知らずにセリは声をあげていた。「私が世話する。ちゃんと治るまで」


「お前なあ」


「かわりに家事全部するから。それじゃ足りないなら店の掃除、雑用、言ってくれれば何でもする。それなら文句ない?」


 ボルターの言い返す隙を与えずに、セリは固い表情で淡々と告げる。


「優しい子なんだね、セリちゃんって。

 でもね、悪いおじさんに向かってなんでもやるなんて言っちゃだめだよ? 本当に何でもさせるやつだからね、こいつ」


 間に入ったのはインディだった。


「お前、俺と年そんな変わんねえだろ」

 ボルターの静かな抗議をさらりと流してインディが続けた。


「ちゃんと明確に出費と労働の金額をすり合わせしておいた方がいいよ。

 雇用主から不当な搾取をされないためにね。

 もし心配なら俺が第三者で介入して、騙されないようにチェックしてあげるよ。

 安心して、俺ボルターとは仲悪いんだ」


 最後の方はセリを笑わせるためのジョークだったが、セリは無反応で静かに頭を下げた。


「ありがとうございます。私、とりあえずこの子が食べられそうなものを探しに行きたいんですが、どういうものを食べるのか教えていただけますか」


 インディは少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。


「大きな牙のある種族だからね、肉食だと思うよ。森にいる小型の獣とか食べるんじゃないかな」


「そうですか、分かりました」

 セリは小さくうなずくと、インディの腰の短剣を指さした。


「これ、お借りしてもいいですか? お借りする代金はすぐには払えませんが……」

「ああ、いいよ別に。お代は君が無事に戻ってきてくれることで十分」


 いよいよボルターが苛立ちを抑えきれず、インディの肩を押しのけ怒鳴る。


「おいセリ! 森に入るなって何度言わせる!」

「失礼します」


 ボルターの声など聞こえていないかのように、セリは終始硬い表情のまま酒場を出ていった。


「なんか……雰囲気のある子だね。あと、四、五年したら綺麗になりそうだ。

 いいなあ、好みだなあ。俺、もらってもいい?」


「やめろ。犯罪だろさすがに」


 ボルターは吐き捨てるように言い放つと、インディの酒を奪い取り一気にあおった。


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