【第18話】第一部のラストスパート開始です。
「ぴぎゃぁぁぁぁぁっ!!!!?」
けたたましい悲鳴の後、しばらくの沈黙を経て、げっそりとした顔のセリが起きてきた。
そんなセリをボルターは新聞越しにじっと観察してから、声をかけた。
「今日も一段とすげえ悲鳴だったな。
で、今日は狙った記憶は取り戻せたのか?」
セリは青い顔でゆっくりと首を横にふった。
「やっぱ直接ガランタの泉に行かねえとダメなのかもな。
ツアーの客たちはみんな見たがってる記憶を見たい分だけ見れてたぞ?
まあ、見れば見るほど中毒が起きてたけどな」
ボルターは、それとなくガランタの泉の名前を出して、セリの反応をうかがう。
しかし、ぐったりとしたセリの表情からは、特段の興味を引いた印象はなかった。
「……ちょっと……明日は水飲んで寝るの、止めとこうかな……。
なんか……いろいろキツいかも」
消え入りそうな声で話すセリへ、ボルターは適当な相づちを打つと、ここ最近のセリの寝起きの記録ノートに「夢×」「衰弱」「自発的な中断意思あり」と記録を残した。
セリが毎晩寝る前にガランタの泉の水を一滴ずつ飲むようになって数日経過したが、夢に出現するのは決まって兄弟子スズシロのお仕置きシーンばかりのため、セリはすでに死にかけていた。
「いやぁ、毎度すげえ悲鳴だよな。
この前、ひでぶっ! って叫んだときはさすがに爆発したかと思って雑巾持って部屋に飛び込んじまったぜ」
毎度騒がしく飛び起きてはいるが、やはりボルターはセリが何の夢を見たのかは聞かないでいてくれる。
もしかしたら、私が話すのをずっと待っていてくれているのかもしれないけれど。
セリは少しだけ、申し訳ない気持ちになった。
セリの記憶が一番不確かな部分は、キャラバンの仲間が何者かに虐殺されたあと、自分がその場にいて、誰と何を話し、誰の姿を見たのかということだった。
唯一覚えていることと言えば、団長のナナクサが死の間際に言った、『このキャラバンのことは誰にも言うな』と『セリという名前はもう使うな』という二つの言葉だ。
ただし、その言葉も、どういう流れでそう言われたのかが全く思い出せなかった。
キャラバンのことは誰にも言えない。
華やかな踊り子集団の名前を隠れ蓑にして各地を転々とし、その陰に隠れた死の踊り子たちが暗殺を請け負い、暗躍していたこと。
自分もその一人として、育てられてきたこと。
自分たちの存在は、今までもこれからも、秘匿され続けなければいけない。
たとえ、キャラバンが全滅したとしても。
しかし、一方でセリの名前は、どうしても捨てたくなかった。
大好きなナナクサがくれた名前だったから。
本名のオルレアという名前は、残念ながら人から呼んでもらった記憶はない。
今更オルレアと名乗り、生活する自分は想像できない。
もう、自分は『セリ』以外の何者でもないと思っている。
自分が自分でなくなってしまうのが怖くて、セリはナナクサとの約束を破り、今でも『セリ』の名前を使っている。
そして、あの日スズシロはどこにいたのだろうか。
セリにはスズシロが一方的に誰かにやられ、死んでしまうことが想像できなかった。
もちろん、それは団長のナナクサも同じことなのだが、セリの記憶の中でのナナクサは死んでしまったことになっている。
死を見届けたのだろうか、死んだと思い込んでいるだけなのだろうか。
そして、一瞬だけ気づきかけた『逃げた』というのは、なんなのだろう。
そのことを考えると、いまだに頭の中が破裂しそうになり、吐き気がしてくるので、セリはやむなく他のことへ思考を移す。
スズシロは、もしかしてキャラバンを離れて、仕事で留守にしていたのだろうか。
あの日のスズシロの行動が、セリは全く思い出せなかった。
スズシロのことを思い出すと、次第にセリの体に重石を乗せたような疲労感が襲ってきた。
時間としての睡眠は十分とっているのだが、夢の中でスズシロから、拷問に近い稽古とお仕置きをされているためなのか、疲労は溜まる一方だった。
というより、この数日で確実にセリは衰弱している。
これがガランタの水を飲んだことによる副作用なのか、たまたまセリの思い出す内容が、心身に悪影響を及ぼすほど過激なだけなのかは今のところ定かではなかった。
「うぅ……、なんか食欲もない」
「お前は果物でも絞って飲んどけ。俺はベーコン焼いたのが食いたい、ちゃんと厚切りな。卵は目玉焼きでいいぞ? あ、あとコーヒーは濃い目でな」
尊大な態度のボルターにも、今日のセリは歯向かっていく元気がなかった。
****
家事などで体を動かしているうちに、セリの気分は少しずつ回復していった。
朝食の後片付けが終わり、家の掃除も済ませた後、セリは郵便物の回収に家の外に出た。
今日の空は少し薄曇りだ。
外の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、少し体が軽くなるように感じた。
最近は、日を追って少しずつ涼しくなり、朝はちょっと寒く感じる。
ポストから出した手紙やハガキの宛先を確認していると、女性の書いたものと思われる文字で、「かわいい愛しのぼるたんさまへ♡」という文字が目に入り、セリは思わずハガキを持ったまま静止した。
ぼるたん?
…………ボルターのこと?
かわいいぼるたんとかいうノリは、ボルターのご両親とかなのだろうか。
残念ながら、息子さんは全くかわいくないが。
いやどう見ても字体から、この文字は若い女だろう。
――ここここれはもしかして! 俗に言うエッチなお仕事をするエッチなオネエサンからのエッチなお誘いハガキなんじゃ!?
肌寒い外気も全く関係なく、セリの全身体温はぐんぐんと上昇し出した。
こういうお誘い手紙をセリが目にしたことは初めてではない。
キャラバンにいたときも、どこかの街に寄ったときにスズシロを始めとした男たちが、そういう店に連れだって遊びに行っていたのを思い出す。
前に立ち寄った時に馴染になった女性とかが、キャラバンが街に近づいてくるのが分かると野営地に手紙を送ってきたりしていた。
もちろん、彼女たちはスズシロの本業は知らない。
あくまでも相手は、踊り子集団のキャラバンにいるスズシロを気に入って、客として誘っていた。
あと、そういうオネエサンが、街でおつかい兼キャラバンの宣伝をしているような、下っぱの踊り子である自分たちに声をかけてきて「これ♡ スズシロくんに渡しといてねぇん♡」とか言ってくるのだ。
そういう手紙が来ると、スズシロを筆頭に男たちは日も暮れる前から、早々に街まで遊びに行ってしまうのだ。
まだ小さかったセリが、スズシロに行かないでとすがったとき、スズシロがセリの首を絞めながら怖すぎる笑顔で言った言葉が鮮明に思い出される。
「なあ、セリ? 健全な成人男性が長期間人間の基本的欲求を禁欲させられるとどうなるか知ってるか?
攻撃性が増すんだぞ?
つまりだ、俺がこのままお前の言うとおりに出かけなかったら、お前、この後、そんな攻撃力が高まってる俺と稽古すんのか? ん? 死んだ方がマシだったって目に遭わせるけど、それでもいいんだな?」
「ごめんなさいっっ!! いってらっしゃいませ!! ごゆっくりどうぞ!!!」
……三つ指ついて、おでこを地面にこすりつけながら、土下座して送り出したっけなあ……。
……なんだろう、ガランタの水を飲んでいるせいか、兄さま関連の記憶だけが異様に鮮明に思い出せる……。
セリの口から自然と乾いた笑いがこぼれる。正直、ありがたくはなかった。
そんな一方で、団長のナナクサとの記憶は、全く出てくるような気配がない。
――どう考えても、大好きなのは兄さまより団長なんだけどなあ。
ため息をつきながら、セリは郵便を持って家に戻った。
とりあえずこのいやらしいハガキはレキサやロフェに見つからないうちになんとかしよう。そう思い、セリはボルターの部屋のドアを開け、中に入った。
机の上に例のハガキを置こうとして、無造作に置かれている書類が目に留まった。
『ガランタの泉における諸問題の解決策』
なんとなく興味を惹かれ、続きを読もうとしたとき、ドアが閉まる音がしてセリは心臓が飛び出そうなくらい驚いた。
振り向くと部屋の主が立っていて、なぜかいやらしい笑みを浮かべている。
「どうしたセリ? 俺の秘蔵のエロ本が見たくなったのか? なんだよ、言ってくれればおんなじ布団の中で音読しながら実演までしてやるってのに……」
「んなこと絶対にしなくていいし!! っていうかギルドに行ったんじゃなかったの!?」
「忘れもんだよ」
そう言ってボルターはセリが見つけた書類を手に取り、半分に折って懐にしまった。
「……で? お前は俺の部屋に何の用だよ。俺の匂いが恋しくなったのか? ほら、本物だぜ? 好きなだけ嗅げよ」
両手を広げて、にやにや笑いのボルターに、セリはにらみつけた。
「んなわけないでしょ!! べつにあんたの加齢臭なんか好き好んで嗅ぎたくないし!」
「――お前っ、よっぽど……っ!」
エチゾウの方が加齢臭だろうがと言いかけて、ボルターは『エチゾウ』という禁忌ワードを口から出る前に押さえ込んだ。
またここでセリが『発作』を起こすといろいろ面倒くさいのは学習済みだ。
「……これ。このハガキ」
セリはボルターにハガキを押しつけた。そして早口でまくし立てる。
「別にいやらしいとか言うわけじゃないし! 私だって健全な成人男性が人間の基本的欲求を禁欲するとどうなるかくらい教養で一応知ってるから! いちいち説明とかしなくていいし聞きたくないし!
エッチなお店に行くのとかやめてよなんて言ったりしないから!
別に私ボルターの奥さんじゃないし! 別にボルターがそういうお店に行ったって私全然平気だし! 行きたいなら行けば?
ただ! この家は! レキサとかロフェとかもいるから! こういうのはもらわないようにしてくれると嬉しいんだけ……」
セリは思わず言葉が止まってしまった。
ボルターがあまりにも冷たい目でそのハガキを見つめていたから。
大喧嘩もしたし、本気で怒られて怖かった思い出もあるが、今みたいな目をしたボルターは知らない。感情を完全に消してしまった人の表情だ。
でもセリはこの表情をよく知っている。
『仲間』が『仕事』をするときの表情と、とてもよく似ている。
でも、ボルターにはこんな顔して欲しくなかったし、見たくはなかった。
「……お前、これ全部読んだか?」
静かに、平坦な声でボルターが尋ねた。
セリは無言で首をふった。
緊張して声がうまく出せなかった。
かろうじて、「最初の1行だけ」と、かすれた声で答えた。
「……かみさん」
「え?」
何を言われたのか分からずにセリは聞き返した。
「別れたかみさんからのハガキだよ」
それってどういうことなんだろう。
たしか出だしに書いてあったのってどんな文章だったっけ?
確かハートマークがいっぱいついていた……。
セリが何も答えず、放心しているため、ボルターはもう一言付け加えた。
「つまり、レキサとロフェの母親だ」
おかあさん、セリは小さな声でそうつぶやいた。
じゃあ、なんでそんな怖い顔でハガキを見たんだろう。
お母さんが出ていったのってボルターが浮気をしたからじゃないの?
だって悪いのはボルターじゃないの? そんな顔するのって変じゃないの?
頭の中で疑問がどんどん膨らんでいく。
何があったんだろう。なんて書いてあったんだろう。
「……お前まだこの部屋に何か用があんのか?」
「え?」
冷たい声と表情のまま、ボルターがセリを見下ろしている。
その眼が自分を向くとは思わなかった。完全な拒絶の色をした視線がセリを射抜いた。
ボルターが出て行けと言っているのが分かった。
「……あ。ごめん。もう、ない……ごめん」
セリは慌てて部屋から飛び出した。
すぐにドアが閉められてしまう。
怒鳴り合いの口喧嘩をした時には感じなかった威圧感。
高くて、厚くて、絶対に越えられない壁がある。
家族の問題だからお前には関係ない。
そう……言われたんだ、私。
セリの心臓が激しく音をたて、呼吸の邪魔をする。
何故かセリは泣きそうになった。
怖かったのか、悲しかったのか、よく分からなかった。




